レジスタンス一話

ラディーヌは立ち尽くす。知らない町の大通りに一人、ぽつんと。

馬から降ろされるとすぐに大男率いる軍は去ってしまい、一人になった不安が急にこみ上げてくる。戦闘の疲れと仲間たちの死の衝撃でさっきまで霧がかっていた思考が嘘のように、目の前の景色を明確に捉える。

綺麗に整えられた石畳、レンガで作られた建物。地平線が見えない、建物に両側を囲まれた通りの閉塞感に息が苦しく感じる。

「ここは……」

あたりには同じような境遇なのであろう女たちが溢れている。同様に路頭に迷い、突然の襲撃に未だ状況を飲み込めていない女たち。唯一違うといえば、血にも煤にも汚れておらず、その白い肌は変わらず美しいということだ。

あちこち痛む体を抑えながら一歩、歩き出す。女であるラディーヌとの戦いは比較的避けていたのか、傷よりは火傷の痛みのほうが強い。しかし我慢できないほどの痛みではない。

「……とにかく、どうなってるのか、聞かないと」

悪魔の国、ドーナ。

そう、兄グーヴァーが揶揄した国というのは一体どういうものなのだろう。

そもそも国というものに初めて足を踏み入れる。女であるラディーヌは今の今まで、周辺諸国のことなど教えてももらえなかった。そのことに恨みはないが、知らないがゆえに不安を煽られるのもたしかだった。

「あの、すみませ……」

「きゃあああああっ!!」

手近の女に声をかけようとするも、女たちは顔を見るやいなや逃げ去ってしまう。

服に染み付いた赤黒い、元の色さえわからないような量の返り血、それに混ざった煤。ところどころ剣で裂かれ、燃やされたせいで短くなったスカート。髪は炎に焼き切られ短くなり炭化している。

それだけ異様な格好をしていれば、避けられるのも当然だった。しかし聞かないわけにはいかない。

「すみません、この国ってなんですか!? どうしてこうなってるんですか!?」

「きゃあ!? なによあなた!!」

「お願いします教えてください、この国がどこだかさえわからないんです!!」

即座に逃げなかった女の腕を無理やり捕まえる。怯えた顔をしないこの人なら大丈夫だ。そう確信して勢いまかせに質問を続ける。

「なんでわたしたちここに連れてこられたんですか!? お願いします、本当に知らないの!!」

「な、なによ……。制圧戦争を知らないでいるほうが無理よ」

「本当に知らないんだから仕方ないじゃないですか……」

怪訝な顔をされて少しへこむ。よほど常識的なものらしいが、まったく関係のない生活をしていたのは紛れもない事実なのだ。

つい一昨日まではたしかに青々とした草原に放牧をしながら、仲間たちと馬を乗り回して野生動物を威嚇しているような日々を過ごしていたのだ。

「変な子……。制圧戦争は、ドーナが大陸を征服した大戦争――――たった一国で、半年も経たずに大陸を制した、恐ろしい戦争だったわ。いいえ、むしろ一方的とも言っていいわね」

女が、ラディーヌとは違う土地の訛りで語りだす。

その戦争が起こるまで、なんの力もない小国という認識にすぎなかったドーナの評価が一変したという。

彼らの軍はまるで波のように各地へ押し寄せ、それまで大陸を制していた大国ウェルタールでさえ抗うことが出来なかった。ましてやそれまで誰も、戦争の気配を感じ取れることがなかったのだ。

それだけ王グラシェードの手腕は恐ろしく、嘲笑うように侵略する姿は悪魔の国と揶揄されるほどとなった。

「で、わたしたちが連れてこられた理由は、その後」

つい一週間前に終戦の宣言がされた後、王グラシェードが大陸全土へ向けて放った一言。それが、今こうしている理由だった。

『大陸の美しい女を我がドーナへ連行せよ』

これにより戦が終わったあとも変わらずドーナ軍は横行し、疲弊した各地で再び争いが起こった。しかし軍ではない市民に剣先が向かったために、ほとんど抵抗はできなかったという。

逆らう者は男も女も、老人も子供も見境なく殺戮し、兵士たちの眼鏡に適った者だけが生きてドーナの地を踏むこととなった。

「……!!」

「ついでに言うと、ドーナは塀に囲まれてるから、多分出るのは無理ね。浚ってきたのにこうして放置する理由まではわからないけど」

お手上げというように、女が話を終える。

ラディーヌはいっぺんに話された内容をなんとか整理して、飲み込む。これは大きな収穫だった。

女子供には一切情報を渡さず、男だけが他国へ入ったり戦ったりする、そんな習慣のせいで今まで戦争が起こっていることさえ気付いてはいなかったのだ。いつか兄が言っていた、特別な協定とやらでラディーヌたちのいる平原には彼らは立ち入ってこなかったから。

「……ありがとうございます」

「どうしようもないから、どこかで仕事でも探さないとね。あなたはどうするの? その……そんな格好で」

女は冷静ながらも、気味が悪そうにラディーヌの体を見る。せっかくの幼げな美貌も、血と煤で凄惨なものとなり、近寄りたいと思えるような雰囲気ではない。

「城に行こうと思います」

「城に? どうして……」

「復讐をしに」

戦争のことなどわかりはしなかったが、その戦争に故郷は関係がなかったはずなのだ。ましてや各国と協定を結んで、完全に独立した中立地帯だったあの場所が戦火に呑まれるなどおかしな話だった。

許せない。

なにも知らないまま連れてこられたのも、無関係であるはずなのに戦火に巻き込まれたのも、理不尽に仲間たちを殺戮したのも、兄を殺したのも。

おかげで世界でたった独り、見知らぬ土地へと放り込まれ、さらに放置されている。なんの説明もなく、感傷に浸る暇もなく。

「復讐なんて、そんな」

「なにもしないでなんかいられないんです。あなたみたいに、順応しようなんてできない」

大通りの先にそびえる、地平線を支配する城を見上げる。たとえ城という概念を知らずともわかる。あそこに全ての元凶がいることが。

道も知らなければ剣さえないが、とにかく行かなければならなかった。あれだけ大きい場所なら向かって歩いていけばたどり着く。

この怒りや悲しみを、どうにかしてぶつけなければ感傷に浸ることも、ましてや故郷の惨事を受け止めることさえできそうにない。

「あなた一人でどうするのよ。行っても殺されちゃうわよ!」

「わたしの生死なんてどうでもいい」

理性的な女の制止を振り払う。

「とにかく行かなきゃ」

状況がわかったとたん湧き上がってきた苦しみのぶつける場所を探す。

未だ鮮明に残っている、大男の姿。ガラス玉の目はけして忘れられそうにない。

許してなるものか。

戦争を象徴する城に向かって足を進める。制止の声は、もう耳に入らない。

+++

城門から離れたところで様子を窺う。

日が落ちかけている今、少し脇道に入れば姿はあっさりと隠れてしまう。そこからラディーヌはじっと兵士を待つ。

突撃をしようにも手ぶらではできない。どうにかして剣を手に入れなければ、ただの女にすぎないことはよく知っていた。しかし買うという選択肢はない以上、持っている人間から盗むしかない。それに兵士はちょうどよかった。

剣を持てば並の人間に負ける気はなかった。あのときはたった五人にしてやられたが、それでも、相手が一人なら。

体こそ子供のように小さかったが、それを活かした速さでずっと猛獣たちと戦ってきた。仲間のなかでも勝てたのは兄のグーヴァーだけ。それを思えば、奇襲をかければ勝てると確信していた。

パラパラと数人の塀が通り過ぎていくのを見る。時間が立つにつれて人数は減っていき、ついには一人の兵士が目の前を横切る。

今だ。黄色の目を闇夜に光らせ路地から飛び出す。振り向きかけた兵士の顔に向かって足を振り上げれば、突然のことに反応が遅れた兵士は地面に体を打ち付けた。

起き上がらないうちに素早く腰から剣を抜き取る。

「な、なんだお前……っ」

「あなたに恨みはないけど、ごめんなさい」

体を起こしかけた兵士に対し一閃。若干重く感じたが、振れないほどではない。切れ味は良好で、引っかかることなく胸に真一文字の傷ができる。吹き出した血がかかるのも気にせず、そのまま胸に向かって剣を突き刺した。

ごりっ、

悲鳴をあげる暇もなく、兵士は白目をむく。ぴくぴくと少し痙攣したあと、操り糸が切れたように事切れる。

のしかかる男の体を横に倒し、突き刺さした剣を抜こうとする。しかし引っかかっているのかうまく抜けない。両腕で引っ張っても体が持ち上がってしまうから、踏んづけるとようやく抜けた。

剣を振り、血を飛ばして兵士の腰から鞘を取る。まるで盗人のようだと思考をかする。

どうしようもないんだ。これは。罪悪感が広がる中、自分を正当化するべく言い訳を重ねる。剣がないと復讐もできないし、まずこいつは故郷を滅ぼした奴らの仲間なんだから、復讐の一端だ。

ごめんなさい、でも、絶対に許さない。

自分より一回りも二回りも大きな兵士をずるずると引きずって細い路地へ隠す。石畳には暗闇でさえわかるほどべったりと血がついているが、それを隠す術はない。

自分の身長の半分ほどもありそうな剣を背にかけて、夜を待つ。自分の故郷を荒らしここまで連れてきたあの大男を討ち取るために。

+++

深夜。

城門の前には二人の兵が退屈そうに立っている。相手できない人数ではないが、それで大事になっても不都合なのだ。

ラディーヌは細い路地の中で歯噛みしながら、城の様子を窺う。

大男を探すには城に入らなければならないが、他の連中に見つかっては復讐どころではない。なんとしてでも、一対一で。

「ラグダッド小隊のみなさま、行ってらっしゃいませ」

拙い頭で打開策を練っていると、城門の開く音がした。

先頭を歩く二メートル近い身長の大男と、それより頭一つ分小さな、配下であろう男が二人。配下の二人も、門番たちに比べればずっと身長は高い方だというのに、大男のせいでまるで子供のように見えてくる。

夜のせいで顔こそ見えないが、あれほど背の高い男がそういるはずもない。

なにより、立っているだけで恐怖さえ感じるその存在感を、ラディーヌはよく覚えている。

あいつだ。

男たちがラディーヌの潜む路地を通り過ぎる。門番の様子を窺ってから、距離を置いてゆっくり後をつけていく。

背にかけた剣の柄を握り、いつでも攻撃を仕掛けられるようにする。部下がいるのは邪魔くさいが、奴の部下なら仇に違いない。誰でもいいから一人、殺せればいい。

気配を消して様子を見る。配下の男たちは緊張感なく話していて、こちらに気づいた感じはない。大男はその騒がしさを注意するでもなく、ただ黙って歩を進めている。

大男の存在感だけは異様だが、その緊張感のなさからこちらに気づいているとは思えなかった。

城から十分に離れた。今なら、いける。

剣をゆっくり抜く。

「いつまでついてくるつもりだ」

「!」

剣を構えたところで息が止まる。

気づかれていた!?

慌てて物陰に隠れるものの、大男の視線はこちらから揺らごうとしない。

気づかれたならしかたない。ならもう、正々堂々、殺してやる。

「うらぁぁぁぁああああああ!!」

覚悟を決めて飛び出す。配下の男たちはなんの準備もできてなく慌てるばかりで、その間を通り過ぎるラディーヌになにもできない。

月を隠してそびえ立つ大男の胸に向かって剣を構える。剣を抜いた大男が、あと一歩のところでそれを防ぐ。

――――早い!

全力で行ったはずだ。それでもなお避けずに剣を抜く余裕があるだなんて。

すぐに後ろへ飛んで、再び剣を振るう。思い切り力を込めているのに、大男は一歩も動かない。それどころか、まるで子供をあやすかのように本気さえ出していない。

繰り返せば繰り返すほど、こちらの自信が削がれていく。自尊心も、やる気も、復讐心も、全ての原動力が絶望へと飲み込まれていく。

勝てない。

一瞬でも思考をかすめた言葉を振り払う。殺さなければならない、たとえどんなに実力が離れていても。

かすり傷も負わせられないで、やってられるか――――!!

「っくあ!!」

「………………」

重い一閃に剣が弾き飛ばされる。驚きについ尻餅をついてしまう。

ただそこに立っているだけで、ただ微動だにせず防いでいるだけであれほど絶望的に勝機が見えなかったのに。

――――なんだ、この人。

剣を振るわれた瞬間、勝とうという気さえ浮かばなくなった。

ガラス玉のような目が、ラディーヌを見下ろす。二倍も身長がありそうな大男は、こうして目の前に立てば悪魔か、怪物か、もしくはそれ以外のなにかのように見えた。

銅像でも動いているようだ。ラディーヌはどんどんと空っぽになっていく己の心を自覚しながら、大男を見上げた。

あのときと同じだ。絶望のあまり、なにも感じなくなってくる。思考が回ろうとするころさえしなくなる。

「お前のせいで、わたしの故郷が滅んだ」

空っぽの思考で、気がついたら口を突いていた言葉に半ば驚きながら続ける。

「お前は絶対に赦さない……必ず、必ずいつか殺してみせる……!」

大男は表情を変えない。

その無表情がなおさら腹がたった。自分の故郷は、仲間は、大男にとっては虫けら同然なのだと思った。巨人が通り過ぎる時に、運悪く踏みつけられてしまったにすぎないのか。

無口な大男が、ラディーヌの首元に剣を突きつける。

殺されるのか。悲しみは湧いてこない。

ごめんね兄さん、仇は取れなかったけど、わたしも行くね。

「俺を殺すのは構わないが、それではなんの解決にもならない。やめておけ」

目を閉じて痛みを待っていると、刺されたのは別のもの。

言われた意味がわからず呆然と目を見開く。

殺すのではないのか。

期待を裏切られ、なおさら空洞が広がる。

どういう意味かを聞こうとしようとする頃には、大男はもう部下を牽引して背を向けてしまっていた。

強大すぎる存在感が呑み込んでいた恐怖心が一気に襲ってきて震える。寒いと思った。これから夏になろうという、この季節に。

――――解決?

ただ兄と仲間たちの仇を討ちたい。それ以外を考えようともしなかった。

それ以外を要求するつもりもなかった。奴を殺したあとを考えることもしなかった。一時の感情に任せてただ動いていたし、今でもその想いは変わらない。

大男の要求する解決とはなんだろう。

ぼんやりとした頭で、ゆっくり剣を拾う。

大男が見逃してくれた理由、放った言葉の意味。理解をするには、まだあまりにラディーヌ自身が混乱していた。

ただ殺すだけで満足なのに、それ以上に恨みを晴らす方法があるのだろうか?

どこか眠れる場所を探そう。

弛緩した精神に襲いかかる睡魔が、考え事は無理だと教えていた。

疑問を放置したまま、とぼとぼと、初めに連れて行かれた城下町へと歩き出す。