聖痕十三話

『よりよい薬。より安い薬。安心できる薬をあなたに』

テレビでCMが流れている。

誰もが見飽きた、薬を作っているのだろう会社のCM。

最近よくテレビに出てくるかわいい女優が、小さな女の子に将来病気を治してどうしたいか聞いている。

”生きたい”

女の子はそう言った。

朋鐘調剤株式会社、というよく名前を聞く、けれども実態をよく知らない会社。

たくさんあるうちの一つのCMに注目する者はいなかった。それも大して面白味もない、興味もない会社のCMなど。

授業が5分だけ余ったからと、適当に先生の回したチャンネルで、それは流れた。

みんな思い思いにおしゃべりして、ろくにテレビを見ている者はいなかった。

先生と、マナを除いて。

マナは見逃さなかった。その15秒間を。

ただ無表情に、朋鐘の文字を食い入るように見る。

そのマナの様子に気づく者もまた、いなかった。

+++

朝木の死から四日目。

狂暴化に慣れている生徒や教師たちの順応は早かった。

手早く次の理科教師を手配し、授業は滞りなく行われた。

生徒たちもまた、何もなかったように日常へと戻っていった。

その光景に寒気を覚えたのは、マナだけだ。

人の死が、あまりにも早く忘れられていくのが気味が悪かった。

始業式、マナが転入してきたときもそうだ。

結局あの狂暴化した生徒は、あの時以来話題にのぼったことはない。

けして悲しんでいないというわけではないというのは、端から見ていてもわかった。

その笑顔には明らかな陰りがあったからだ。しかし彼らは無理矢理にでも笑った。無理矢理にでも日常に戻った。

その真意がわからず、マナ一人が取り残されていた。

一度、セナにどうして人が死んだのにみんな気にしていないのか聞いた。

『いちいち気にしてなんかいられないよ』

彼女は無表情にそう言った。

その言葉はたしかに震えていた。

マナがシスマに来てから、三週間ほどが経った。

一ヶ月にも満たないそれは、あまりにも濃密だったように思う。

初日に狂暴化により二人の死者が出た。

一週間ほど経った頃、暴動によりマナのいる中学の生徒までが駆り出された。そのときセナによりまた一人の死者が出た。

それからしばらくして、朝木の狂暴化が急速に知れ渡った。

朝木のバディ――――兄妹のような関係だったとセナが言った――――ユイは、あれから三日、学校に来ていない。

昨日学校を蹴ってまでユイに会いに行ったらしいセナは、全部片づいたらきっと来る、と自信ありげに言っていた。

たった三週間ほどの付き合いだが、マナはユイがあれほどに心神喪失しているのが信じられなかった。それはセナも同じなようで、自信ありげに言いながらも心配している様子は隠しきれていない。

しかしそれほどに、バディというのは特別な関係なのだと実感が出来たことだった。

彼女の心境を想像して、共感して、隠れて泣いた。

マナは思う。この街はあまりにも特殊だと。

そして確信する。やはりこの街に彼を連れては来れないと。

「ねぇ、この街から出てみたいと思ったことはない?」

昼休み、教壇で。

おもむろにそう言い出すマナに視線が集まった。

誰もがきょとんとした顔をしていた。中には理解不能だという顔をしている者もいた。

15人もいない小さな教室で、一人一人の顔を見るのは容易だった。

マナは、言う。

「わたしたち、ここに連れてこられはしたけど、別になにも閉じこめられてないよね。なんでここにいるんだろう?」

そりゃ、俺たちが聖痕保持者だからで……。

一人がつぶやいたことに周りが賛同する。

聖痕保持者に根強く植え付けられた共通理念。それをどう破壊するか、マナは思考を回転させる。

口の立つユイはいない。今が、チャンスだ。

「それが多分思いこみだと思うの。だって隠しちゃえばわからないそんなもの、なんの意味があるの?」

ばっかみたい。言い放てば教室がざわめいた。

誰もが出たいと思いながらも、けして考えてこなかった、出る方法。

彼らは人を殺したことを気に病んでる。故にここから出られないと、思いこむ。

こんなにもガードの緩い檻なのに。

「でも、わたしたち、いつか狂暴化するんだよ?」

「そのときはそのときで、外の人はなにも知らないからただ狂っただけだと思ってくれると思うな」

マナは狂人など見たことはないが、おそらく同じようなものだろう。

意志もなく、理性もなく、ただ殺す。

獣だと思った。

人はなにも考えられなくなると獣に戻るのだと思った。

狂暴化した生徒の巻き添えに死んだ生徒がいた。たしかに恐ろしかった。

あんなものが外に解放されたら、きっと世界は混乱に陥るだろう。

でもそれでなんの問題がある?

そんなことより睦月様が社会で活躍する世界を作る方が、よっぽど重要だわ。

大量の埃に紛れた塵一つが死んで、なにか世界に影響を与えるか。いや与えない。

埃を対価に宝石が手にはいるなら安いものだ。

「どうせわたしたちは人殺しだよ? きっといつ狂ったって不思議になんて思わないよ」

「…………」

子供たちが顔を見合わせる。

不安。ただ不安。そこに自律の気配は見えない。

ユイのように、はっきりとした意志を持ってここにいる者は、ここにはいない。

ユイちゃん。結局こんなものだよ。

みんなが考えれば、みんなその気になっちゃうんだよ。

真面目なのはあなただけみたいだね――――。

あと一押し。マナは心のうちでほくそ笑む。

世界の基盤を作れば、彼はとがめられることなどない。

「そんなに不安ならさ、わたしたちの手で制度を変えちゃえばいいんだよ」

「そんなのどうやって」

「いろんな方法があるよ? みんなが本気を出すのなら」

力があるみんななら。

そう持ち上げればどことなくそわそわし始める。

睦月様、もうすぐですよ。

すべては、あなたのために。

「みんな、この制度を変えたいと思わない? こんなところに閉じこめられて、異物を見るような目で見られて、悔しいと思わない?」

思わないわけないだろ。

そんなの嫌に決まってるじゃん。

ちらほらと声がのぼり始める。

マナは演説を続ける。

「聖痕保持者を人々が見る目は殺人犯を見る目じゃない。あれは人喰いの獣を見る目だよ。わたしたちは人は殺したけど、獣のように自分のためになんて殺してない。あれはしかたなかったの。ただ生きるためだったの。弁明の余地があるはずだよ」

そうだそうだ。

先に殺しにきたのはあっちだし。

あのままだったらこっちが死んでた。俺は悪くない!

てゆーか、こっちの事情も知らないで口出しすんなっつーか。

「そうだよね。わたしたちにだって事情がある。情状酌量くらいしてくれたっていいよね。そんな悔いを残したまま、人としての理性も意志も失って狂い死ぬなんて、嫌だよね」

いつなるかわからないし、ほんとやだ。

あれよだれ垂らして人素手で殺すんだよ?! しんじらんなーい!

考えただけで寒気するし……。

自分が自分でなくなるときってわかるのかなぁ。

「だからせめてわたしたちの事情を知ってもらうためにも、この制度の基盤を崩さないと! みんなならできる、だって力があるんだもの!」

力……。

俺らは特別なんだー!

バカそんな特別いらないっての。

どうやるの? 基盤を崩すなんて。

なっぐりこみ! なっぐりこみ!

えー、どこによー。

「やりようはいくらでもあるよね。テレビ局に立てこもるでも、政治家たちを脅すでも。わたし、どう入ればいいか知ってるよ。だからあとはみんなが乗り気になるだけ」

興奮から少し冷めて、相談をしはじめる。

さすがに自分たちの立場は理解しているだけあって、なかなかただのおしゃべりの域を出ない。

そんなところ冷静じゃなくていいのに、もう!

「みんなは人を殺したことがあるんだよ? いつでも戦う準備はできてるでしょう? 外の人は無力で、無防備で、わたしたちの敵じゃない。あとは行くだけだよ、ねぇ、行こう……」

瞬間、空気が凍った。

興奮入り交じっておしゃべりしていたはずの彼らは、とたんに無表情にマナを見つめる。

ガラス玉のようなまるい目が、ぎょろりと揃って。

なに、わたし、しくじった!?

思わず体を抱きしめて後ずさる。しかし一歩下がるともう後ろには黒板がそびえ立っていて、マナを阻む。

入り口付近に座っていた少女が、そっとドアの鍵を閉めた。

「みんなは?」

「マナは?」

「当然、殺したよね?」

「考えてみれば妙だよな」

「最近ニュースなんもないよな」

「なんでお前いるんだ?」

「マナ。その帽子の下、あるよね」

「見せてくれる? いやかもしれないけど」

「聖痕あるなら、見せれるよね」

見せて。見せて見せて見せて見せて。

聖痕。仲間の証。人殺しの証。見せて、聖痕、見せて。

口々に言うその言葉が呪縛のようにマナを取り巻く。

逃げ場はない。助けはない。

ゆっくりと、彼らの手が伸びる。

マナの、帽子へと向かって。

見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せて見せてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてみせてミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテミセテ

「マナ、仲間の証、見せて」

「…………――――――――――――っ!!」

セナが、腕を、取った。