レジスタンス六話

じっと、ラディーヌはそのくすんだ金髪を睨みつける。

手の届かない距離まで離れて、いつでも剣が抜けるように手をかけて、アシュリー・スチュアート中尉の言葉をほとんど聞き流しながら、じぃっとクライヴ・アロースミス伍長の隣に立つ男を睨みつける。

「……ラディーヌ、聞こえてるか?」

「聞こえては」

「バーニー、お前ラディーヌになにしたの?」

「なーんもー?」

いい加減、ラディーヌとバーニー・カータレットの間に走る緊張感に嫌気がさしたのかスチュアートがとうとう話を中断する。アロースミスがのんびりと聞いても、カータレットはいつもの人を小馬鹿にした笑みを浮かべて否定した。

その態度にラディーヌはなおさら目を吊り上げて睨み付ける。昨日、ラディーヌを襲おうとしたというのになんて気のない態度だろう。

もっと悪びれるとか、いやらしい目で見てくるとか、そういう変化があればラディーヌももっと言いようがあるのだが、こうもいつも通りに、なんの悪意もなく近くにいられると逆に腹が立つ。おかげでこちらは怖い思いをしたというのに。

これが演技だったら、それはそれで怖いものがあるのだが。

「昨日、自主練に夢中で自分の身が狙われてることにも気付いてなかった馬鹿に忠告をしてやっただけっすよー。見てくださいこの怪我。せっかく教えてやったのに恩を仇で返された」

「お前がまた余計なこと言っただけだろ?」

「うわー、信用ねーのー」

カータレットが皮膚のずる剥けた額を指さしてのらりくらりと言ってのける。

狙われてることにも気付いてなかった。忠告してやった。

ラディーヌはカータレットの発言に昨日のことを思い出す。あのあと結局男に襲われかかったが、まさかその前にも誰かいたのか。ならやっぱり、あのとき逃がしてくれたのはカータレットだったのか。

問おうとして、やめる。もしそうだとして、礼を言うのは絶対に嫌だ。

「それは、カータレット伍長がわたしを襲おうとしたから逃げようとしただけです。忠告だなんて恩着せがましい言い訳しないでください、見苦しい」

「伍長、ラディーヌさんになにしてるんですか!!??」

「ほらー、やっぱり余計なことしたからじゃんー」

「うるせーぞクライヴ、エルヴィス」

過剰に反応するエルヴィス・ミドルトン上等兵に怒鳴りつけて、カータレットがついにラディーヌに近寄ってくる。アロースミスを挟んでいただけに過ぎない距離では逃げようとしたときにはもう遅く、あっさりと腕を掴まれた。

その手に昨日の恐怖が蘇って、無理やりにでもほどこうとするも逆の手も捕まるばかりで無意味だった。

しまった、こんな状況で本気で動かれたら、ほかの人も一緒になって来られたら本当に犯される――――!!

「なんか馬鹿な勘違いしてるみたいだから初めに言っておくけどな、俺はお前みたいなチビでバカでちんちくりんなお子様に興味はねーの」

「…………はぁっ!?」

びしっ、と目の前に指を突き立てられ、カータレットが捲し立てる。言葉の無礼さに怒りが沸くよりも先にカータレットは次々に言葉を並べていく。

「俺にはな、来年あたり結婚しようと考えてる、外から連れてきた女共よりよーっぽどかわいい恋人がいるわけ。とっくに親への挨拶も済ませてるし、婚約指輪だって渡してあるの。ほんとは今年結婚するはずだったけど制圧戦争があったから一応やめておいただけで、既に永遠を誓った彼女がいるんだよ。それなのに他の男みたいに目の色変えて女漁るほど女に飢えてるとか思われんのはさいっこうに不愉快。そりゃあふざけが過ぎたのは謝るけどな、お前がいつまで経っても警戒心ないからわざわざ教えてやったことに感謝しやがれドチビ。ま、お前を狙うのなんか変態趣味のおっさんだけだから安心しなちんちくりんのラディーヌちゃん」

「な、な、な……」

つらつらと並べられる事実と罵声に頭が追い付かない。

つまり。昨日のは演技で、ラディーヌの危機感を煽るためだけのものだったと。

つまり。カータレットには婚約済みの恋人がいるから他の女には興味が無いのだと。

カータレットの所業を告発したにも関わらず、小隊の反応がさして危険人物を見るものではなかったのはそのためか。小隊の人間が横行している強姦に嫌悪感を抱くどころか賞賛していたら話は別だが。

それよりも、それよりもだ。

「伍長に恋人がいるんですか!? 嘘でしょ!? こんなに性格が悪いのに!!」

「お前俺をなんだと思ってんだよ、こんなに優しくてイケメンな俺に恋人がいないわけないだろ」

「中尉、イケメンの定義ってなんでしたっけ?」

「あいつの頭の中ではイケメンのボーダーが低いんだろ」

「聞こえてんすけどぉ?」

カータレットのターゲットがスチュアートに移ったところで、ラディーヌはそっと小隊から距離を置く。うっかり彼らの勢いに乗ってしまったがこんな風に一緒に騒いでいい関係ではないはずだ。

いつもいつも、普通に会話をしていると彼らへの憎悪を忘れそうになる。悪い傾向だった。

どうも彼らの悪意のなさと純粋すぎる好意に当てられて、ラディーヌは普通の仲間のように接してしまうことが多かった。一番の目的はラグダッドだが、他の小隊の面子もラディーヌの故郷を潰した一員なのだ。復讐相手なのは変わらない。

もっと悪意と欲望にまみれていたらよかったのに。そうしたらもっと素直に恨めるのに。

ずれた逆恨みをしながら、騒ぐカータレットたちを見る。近くにいればいるほどに、ラディーヌはもがいて苦しんだ。

「いい加減にしろカータレット! 話が進まないだろうが!」

「へーい」

スチュアートが怒鳴ると、カータレットは掴みかかった手をあっさり離して列に並ぶ。今日の遊びはここでおしまい、と区切りがついたらしい。

隣に来ようとするのを阻止して、ラディーヌは弁解をされたあとも変わらず距離を保とうと離れて並ぶ。睨まれたのを睨み返すと、挟まれたアロースミスが少し困ったように微笑んだ。

+++

「あー、腹減った。昼飯だー」

「今日のごはんはなんでしょうね! お肉ありますかね!」

「お前ら、言う前に食堂に行こうとするのをやめろって言ってるだろう」

十二時を知らせる鐘と、それぞれの腹の音が同時に響くのを聞いてすべての兵が剣を投げ出す。一番にカータレットとミドルトンが食堂へと意識を向けるのを咎めるスチュアートの声を聞きながら、ラディーヌもまた後をついていく。

少しだけ、気後れしながら。

人の多い場所には慣れなかった。食事もあまり見たことのないものばかりで、楽しいのだが少しだけ怖いのだ。

のんびりと歩くと歩幅の小さなラディーヌはあっと言う間に小隊から置いていかれる。とうとう、一番最後を歩いていたラグダッドにも追い抜かれたのを見て、もう少し早く歩かないといけないかと思いながら、やっぱり速度を上げるつもりになれなかった。

ふと、昨日の晩のことを思い出す。

男の襲われた後、部屋で待ち構えていた美女ルーシィとの対話を。

――――次の休み、あんたいつ?

――――明後日、だったと思うわ。

――――じゃあ、お昼に大通りに出てきて、アタシたちの会った場所のあたりよ。仲間を紹介してあげる。来れるわよね、お休みでしょ?

――――た、多分。

――――絶対なんだからね!

休日に城から出るというのはこの一か月で初めてだ。だから少し不安だった。

それも一人で。ルーシィと会った場所は随分な人ごみだった。

あそこに行くのには大抵見回りの時だったから誰かしら一緒にいることが多く、一人で行こうとするのは初めての試みだ。最低限の買い物も、そんなに回数行っていない。だから奥深くまで行くのは、これで初めて。

無事につける気が、あまりしない。

「どうしたんだラディーヌ。具合悪いのか?」

「アロースミス伍長」

ぼんやりとしていると突然アロースミスが目の前に現れた。

優しげなたれ目でラディーヌを見下ろして、ちまちま歩くラディーヌの速度に合わせて、半ば止まりながらアロースミスが問いかける。

「いえ、少し考え事を」

「ふーん? 次の休みにどこ行くかとか?」

「は、はい……そんなことを」

うっかり、肯定してしまう。

今までラディーヌが休みの日も訓練に費やして外に出ていないということは目撃されているのに、これでは怪しまれるのではないか。口を塞ごうとしても、出してしまった言葉は覆らない。

動揺をできるだけ表に出さないように、突っ込まれたときの言い訳を考えてみる。そういえば普段着をろくに持ってない。買いに行くことにすればいい。

「どこ行くの?」

「服を……あの、普段着なくて」

「そっかー。じゃあ今度の休みに新しい服見れるの楽しみだなー」

にこにこと見下ろしてくるアロースミスに、怪しんでいる雰囲気はない。

なにを考えているのかわからないところがあるが、この花畑な様子だと実はなにも考えていないのかもしれない。

「でもラディーヌ、一人で大通り歩けるか? いつもふらふらして迷うじゃん」

「まっすぐ歩くだけならわたしにだってできます。ほ……ほら、食堂着きましたよ、先行きますからね!」

「あ、待てよー」

扉の上の部分が隙間から覗いたのを見て速度を上げる。

あのまま会話していたら、アロースミスが次に言おうとする台詞は容易に予測できた。

――――危ないから一緒に行こうか?

着いてこられたらいけないのに、断りきれないのも予想できた。本当にタイミングがいい。

アロースミスのやんわりとした態度は、小隊で一番付き合いやすい。けれど逆に、そのせいで懐に忍び込まれやすいのもあった。

反乱軍に加わる以上、あの人に近寄るのは想像以上に危険かもしれない。

嘘をつくのも、隠し事をするのも苦手な性質だ。アロースミスと話しているとうっかりなにかを漏らしてしまいそうだ。

今までのように、ラディーヌはもう一人じゃない。ということは、隠すべきはラディーヌの憎しみだけではないのだ。

どこまで隠しきれるか、自信がない。

早く全てを切り捨ててこの国から出なくてはならない、とラディーヌは強く思う。

長く居ればいるほど、きっと彼らに馴染んでしまうと確信していたから。

+++

約束の金曜日。ルーシィとの約束の通り、ラディーヌは大通りへと足を運ぶ。

ラディーヌが唯一持っている、ドーナに来たときに助けてくれた女性から貰った服には無骨なサーベルが下がっていた。少女らしい民族衣装に対してその無骨なサーベルはラディーヌの異質さを際立たせていた。

やはり目立つのか、すれ違う人という人がラディーヌを振り返る。それも無視して、慣れない人ごみをふらふらと歩いた。

待ち合わせはルーシィと会ったあたりだと言われたが、正直どこも同じように見えてどのあたりかわからない。適当に歩いてみて、きょろきょろとあたりを見回すも、誰よりも目立ちそうなあの美女はいない。

彼女はどうやって自分と合流するつもりなのだろう。言われるままに来たが、ラディーヌは少し不安になる。どんなに考えても、国というもの自体に不慣れなラディーヌには行動のしようがない。

ふっと、目の前に影が出来る。次に衝撃が来て、そこでぶつかったのだと気付いた。

しかし気付いた時には二人目、三人目とぶつかりはじけ飛ばされる。くらくら、ふらふらと道を歩いていると突然今度は足が浮いた。

「なにやってんのお前は。だから大丈夫かって聞いたのに」

「! アロースミス伍長!」

突然浮いた足。気が付けば頭が見えている通り掛けの女性たち。体温を感じる背中と膝に、抱きかかえられているのだと気付く。

驚くラディーヌも、好奇と警戒を持って見上げてくる周囲も気にしないで、アロースミスはにこにこと笑った。

「でも見つかってよかった。昨日言いそびれたから今日言おうかと思ったのに、お前いつ出るのかわかんなかったんだー」

「……まさか、ずっと探してたんですか?」

「んー、暇だったから」

何時に行くのかわからなかったから、朝からずっとここで待っていたのだろうか。

なんでそんなことを自分のためにするのか。

「あとラディーヌと一緒にいたかったし。私服見たかったし。一人で外に出して危ない男に絡まれたら大変じゃん? どうせ道に迷って遅くまで帰って来れなさそうだし」

「大きなお世話です。あなたはわたしの父か兄か恋人かなにかですか」

「兄がいいなぁ~」

この男の好意の種類が純粋にわからない。

にこにこと、その行動の真意を理解させない笑みを浮かべて、アロースミスはラディーヌを見る。その笑顔の中に下心はどこにも見えず、だからなおさら、断ることが難しい。

不自然にならないように、とどんなに考えても不自然にならない断り方というのがわからなかった。

しかしこのままでは、ルーシィと合流ができない。

「伍長、降ろしてください。今日は一人で行かないといけないんです」

「なんで? 色々買うんだろ、荷物持つよ」

「そ、その……」

ぱっと思いついた言い訳を、言っていいのか迷う。

言ってしまったら、なにかを捨てる気がする。だが迷えるような状況じゃない。

ぐっと手を握り締めて、覚悟を決める。やるしかない。

「し……下着を買いに行くので、男の人が一緒なのはちょっと……!!」

言った直後、顔が急激に熱くなる。それこそ湯気が出そうなほどに。

恥ずかしさのあまり涙で視界がうるむから、アロースミスの反応はよく見えなかった。しかし少ししてから、ゆるやかに体が降ろされていくのを感じた。

「そっか……それならしかたないな……。門限までに帰ってこいよ……」

「は、はい……」

あからさまに肩を降ろして、どんよりとした雰囲気をぶら下げるアロースミスについ気の毒という感想さえ持ってしまう。

そんなに一緒に買い物がしたかったのだろうか。

「じゃ、気を付けて行っておいでなー」

「……ありがとうございました」

最後までにこやかに、アロースミスが手を振って帰るのを見届ける。

見届けてから、周囲に人がいないことに気が付く。商店街を通り抜けた大通りは人がまばらになっていて、アロースミスがおとなしく引き下がったのはこのためかとすぐに理解した。人ごみの苦手なラディーヌのために落ち着ける場所まで運んでくれたのだ。

それに気付いてから、また優しさに助けられたことに腹を立てる。カータレットといいアロースミスといい、仇に助けられてどうするのだと。

人を嫌うことがあまりなかったとしても、仇と親しくなってどうするのだと、ラディーヌは自責する。自覚はしているのだ、絆されやすい性格であることは。それでもどんなに気を付けても、無邪気に懐に踏み入られてしまうと相手のペースに巻き込まれてしまっている。

自覚して、ため息をつく。

諦めてはいけないのに、仇討ちなんて柄じゃないのかもなぁ、と思ってしまう。

「はぁ……やんなっちゃう」

「そうよねぇ、あんな人に逆らうの疲れるわよねー」

「そうなのよ、悪意なんてどこにもないから……え?」

「ハァイ」

よっ、と隣に立っていた人物が手を挙げる。

雪のように白い肌、太陽に透ける薄茶の髪、切れ長の深緑の目。血色のいい口紅を塗ったその女は、非の打ち所がないようなほほえみを浮かべた。

ぎょっとして後ずさると、くすくすとルーシィが笑う。

まったく気がつかなかった。

以前会った時のようなドレスではなく、素朴な町娘の服を着た今のルーシィはあの異様な魔性が薄れていた。だから、気づけなかったのかもしれない。

「ルーシィ! ……いつからいたの?」

「んー、抱き上げられてるの見つけたから、着けてた。見つけやすくて助かっちゃったわ」

返事を聞いて、かっと顔に血が登る。

あんな状態で目立つなというほうが難しいのはわかるが、見られていたという事実がとても恥ずかしかった。小隊の人間に担ぎ上げられるのはそう珍しいことではないにしろ。

「あの人、上司かなにか? 仲いいのねー。今度紹介してよ、結構かっこよかったじゃない」

「紹介しないしかっこよくない。早く案内してよ!」

「ムキになって怒んなくてもいいじゃないのー」

+++

少女は闇にひそみ盗んできたパンをほおばる。

パサパサとした、土のような舌触りのパンを味わうことなく、ろくに咀嚼もしないで飲み込んだ。のどが渇いたと思っても水さえ飲まず、むりやり出した唾液で口の中を潤わせる。

こんな食事だか餌だかわからないものを食べ続けて一か月近いが、それでもこの味には慣れそうにない。

はぁ、とため息をついて、薄汚れたマントのフードを目深に被り直す。

少女の前に立ちはだかるのは、もう人気のない娼館。つい先日、経営者が夜逃げしていくのを見てずっと狙っていたのだ。

門扉は取れ、暗い闇が口を開けている。その奥はよく見えないが、あちこちが壊れて荒れていることはわかった。

詳しくは知らない。だが逃げていく経営者団の様子から、きっと税金が払えなくなったのだろう。

兵士が何人も乗り込んでいくのを見たから、この荒れ具合はそのときの戦闘の爪痕だとすぐにわかった。

冷静に分析をして、ずいぶん盗みに手馴れてきたと思い気分が悪くなる。

しかし金が必要だった。一日でも長く生き延びるための金が。一か月かけて王都に辿り着いたが、だからと言ってすぐに王宮に乗り込むわけにもいかない。

武器を用意しなければならないし、できるなら兵士を雇う余裕もほしい。反乱を起こすのにも金が要るのだ。

こんなところの安物のドレス程度、売ったところではした金にしかならないのはわかっている。それでもなりふり構ってはいられないのだ。

少女は一歩踏み出す。赤い目だけが暗闇に光っていた。

+++

路地裏を突き進むルーシィのあとを、わけもわからぬまま着いていく。

一歩大通りから外れた路地裏は迷路のようだった。ラディーヌにはもう自分がどのあたりにいるのかもわからない。

けれどルーシィは慣れた足つきで迷路の中を進んでいく。やや面白がっているようにも見えた。

「とうちゃーく。ラディーヌ、剣は抜いておいてね」

「……ここが、拠点だって言うの? なにかの冗談よね」

「ええ、ここは拠点じゃないわよ。ここはつい最近潰された娼館」

大きく口をあけた入口を、ルーシィが指差す。

ドアは無く、窓は割れ、その内側は見えない闇に包まれている。かつて娼館だったという廃屋。言われてみれば蜘蛛の巣も張っていない屋敷はまだ新しいものだった。

しかし、あちこちに剣で傷つけられた跡や血痕が見えたりとお世辞には綺麗と言い難い様相をしている。純粋に潰れたにしては荒れすぎているようだった。

「つい最近……ほんとに二、三日の話よ。経営者が税金払えなくなって逃げたの。ここは戦争前からあった場所らしいから、客をうちが取っちゃったのね。それで、兵が取り立てに来たときはもう何も知らない娼婦だけ。……それで、憂さ晴らしに襲ったり殺したり壊したりでこの有様。ひどいもんでしょー、あれから一人も見ないけど、城で奴隷でもやってんのかしらねー」

つまらなそうにルーシィは語る。

けれど深緑の瞳は険しく歪み、鋭く屋敷を睨み付けていた。

理由は、同胞への同情だろうか、兵士への怒りだろうか。ラディーヌはルーシィの考えていることが見当もつかない。だが、同じ仕事をしている以上、ルーシィもこうなる可能性があるのだろうかとふと思った。

だとしたら、彼女が見ているのは同じ状況に立たされた自分かもしれない。

「……さ、行きましょう。盗賊退治!」

「え……っ?」

ぱっ、とルーシィが笑い、ラディーヌの方へ振り返る。

先ほどまで険しい顔をしていたというのに、その怜悧な表情にはどこか似合わない子供っぽい笑顔に変わったルーシィに、ラディーヌはついていけない。

戸惑うラディーヌを強引に屋敷の中へと引きずり込んで、ルーシィは再度説明を始める。

「最近、このあたりで盗賊が暴れているらしいの。それも娼館とかの廃屋だけを狙ったね。特徴はあまり伝わってないから、全部が同じ人物かって言われると、ちょっと悩むんだけど……まぁ、そのうちの一人が確実にここに来ると思うのよね」

あまり光の入らない娼館の中ほどまでに来たところで、ルーシィが腕を離す。

中は酷いものだった。

まずあちこちが壊されているせいで足場が悪い。倒れた箪笥や割れた窓の破片が落ちているし、ところどころ穴も開いているようだった。うっかりすると足を取られてしまいそうだった。

そしてなにより空気が悪い。血と、精液と、肉の臭いが混じりあった空気は淀んで、どんなに開放的にされていても屋内から流れ出ていかないらしい。

塞いでいく気分の中、ルーシィの意図を理解する。

「つまり、わたしが本当に使えるか実験したいってことね。わたしが剣を持ってこなかったらどうするつもりだったのよ……まぁいいわ、さっさと終わらせてここ出ましょう。……でもどうして今日だって思ったの?」

「えー、なんとなく?」

「…………」

なんて無責任な。

呆れながら剣を抜く。しかし、盗賊程度に負けるラディーヌではなかったから、今日いようがいまいがどうでもよかった。実力の証明なんて後でいくらでもできることだろう。

「ねぇ、ルーシィ」

「なぁに?」

「盗賊が狙うとしたら、どこの部屋?」

「そうねぇ……」

衣裳部屋じゃない?

そうルーシィが指さした向こう側に、かすかに人の気配を感じた。

+++

ルーシィが衣裳部屋に案内したとたん、小さな少女兵が弓のように飛んで行った。

まさか予想が当たるとも、本当に盗賊がいるとも、思っていなかった。この娼館に来たのは初めてであるし、衣裳部屋だという確信もなかったのだ。

ただ、盗賊が盗むとしたらドレスくらいしか残ってないだろう、とそれしか確信がない状態でここまで引き当てた自分に感嘆する。

そして目の前の少女兵に戦慄する。

「…………хорошо……」

ほうっ、とため息をつく。

ラディーヌと、フードを深く被った盗賊がくるくると肉薄を繰り返しているのをルーシィは眺めた。

あの小さな体から溢れる殺気、気迫。そこまで期待はしていなかったが、さすが天下のラグダッド小隊に所属するだけはある。

ラディーヌに襲い掛かられているフードを目深にかぶった盗賊は、先ほどから手も足も出ていないようだった。幾度となく突き出されるサーベルを避けるのに精いっぱいで、反撃する余裕は見受けられない。

ラディーヌの攻撃の仕方は、どこか独特だった。

けして正面から行かないのだ。正面から剣を突き合わせてすり合わせて、力比べをする、想像していたような戦い方とは違う。

死角へ、死角へ、どんどん場所を変えて攻撃をしようとするのだ。だからくるくるくるくる、なんだかおもしろそうな様子に見えてしまう。

一体いつまで続くのだろう、と少しおもしろがりながら見ていると、ついにラディーヌが動きを変えた。

一気にしゃがみこんで盗賊の足を払ったのだ。

避けきれなかった盗賊は無様に背中から落ちる。もう逃げられない。

「あ。ラディーヌ、殺しちゃだめよ!」

「……っ早く言ってよ!」

盗賊にまたがり止めを刺そうとするのを見て慌てて止める。

動きを見ているのがあまりにもおもしろくてつい魅入ってしまった。殺されては困るのだ、その正体を見るまでは。

はぁ、っと胸を撫で下ろしたとき、ルーシィはなにか違和感を感じた。

ラディーヌは殺さずに攻撃する方法に悩んだのか少し盗賊から離れている。盗賊を抑えているものは当然なにもなく、起き上がる盗賊がなにかを掴んでいることに気が付いた。

暗闇でよく見えない。ルーシィは目を凝らす。

――――パシュンッ!!

「……っ!?」

「ラディーヌ、大丈夫!?」

なにか光るものが一閃したと思うと、ラディーヌの左頬に一筋の血が流れる。

矢だ、と理解するのに時間がかかった。慌てて盗賊を見れば、その手にはクロスボウの発射台を持っていた。

まさか、娼館に武器があるとは。

「……あーもう、手加減なんてするんじゃなかった」

低く、ラディーヌが呟く。

それと同時にダンッ、と大きく床を蹴って盗賊へと襲い掛かる。

早いと思った次の瞬間には、盗賊はラディーヌに組み敷かれてしまっていた。

鮮やかと言うと同時に、もっと早くそうすればよかったのにとルーシィは思う。

身動きを封じるように盗賊の顔の横に剣を突き立てるラディーヌに、ルーシィは称賛の拍手を贈った。

「お疲れ様、ラディーヌ。……もっと早くそれをやったらよかったんじゃない?」

「…………」

ふてくされた表情のまま、ラディーヌはこちらを振り向かない。

攻撃されたことがよほど不満らしい。かわいらしい相貌を不機嫌に歪め、アーモンド形の金の目は盗賊が二度と妙な真似をしようとしないように、一微の狂いなく盗賊に注がれている。

「にしてもクロスボウが娼館に残ってるとはねー。皮一枚で済んでよかったじゃない、痛い?」

「触らないで。……ねぇ、“彼女”のフード外してくれない? 殺すなって言うんだから、なんかあるんでしょ」

言われて初めて、ルーシィは盗賊に視線を向ける。ラディーヌに乗られている盗賊は思いのほか大人しく、口を真一文字に結んでいる。

実は殺すなと言ったのは深い意味はないのだが。盗賊の顔くらい拝んでおいてもいいだろう、とルーシィはその薄汚れたフードに手をかける。

女だったら味方に引き込めばいいし、なんて――――。

「……!!」

ラディーヌと二人、息を呑む。

思わずその瞳に身がすくんだ。いますぐに跪きたいような衝動に駆られたことに、ルーシィは反抗する。

盗賊は、少女だった。

こけた頬、血色の悪い肌、ぼろぼろでほとんど櫛を入れてないだろう油の浮いた髪。どれも美しさとは程遠い、手入れされていない少女の容貌。

しかし、一旦きちんとした生活を送ればすぐに比べるものはない美貌の少女になることは予想しなくてもわかった。目鼻立ちは整っていて、そしてどんなに汚れていても高貴な雰囲気は隠しきれていなかった。

極めつけは、赤く光るその宝石のような瞳だった。

その瞳の色の意味は、この世で生きる者なら知らない人間はいない。

「まさか……ティエル家のお嬢様がドーナにいるだなんて」

「わかったなら早く退いてくれないか、なにもしないから。重いんだけど」

少年的な話し方で、盗賊が口を開く。物言いは要求だったが内容が命令であることは明白だった。

ラディーヌに目配せをして、盗賊から降りるように指示をする。どこか理解をしきれていないような表情をしているのは気のせいだろうか。

ラディーヌが退いた後、盗賊は気だるげに体を起こしてルーシィとラディーヌを見る。

赤い瞳で見られるのは、嫌な緊張が背筋に走った。

「はは……盗賊が女の可能性は考えてたけど、まさかお貴族様だなんて思いもしなかったわ。すごいわね、戦争って。お嬢様が盗賊にまで堕ちるのね」

「口を閉ざせ女。僕はまだ堕ちちゃいない」

「お嬢様のわりに口悪いわね……」

ぎっ、と睨みつけてくる盗賊にルーシィは辟易する。

三下貴族程度なら会ったことがあるが、ここまで口が悪いのは初めて見た。貴族というのは中身はともかく口ぶりだけは優美だったと覚えているが、こんな少年的な話し方をする貴族だなんてルーシィは知らない。

ましてや、それがティエル公爵家の令嬢だとは。

「放っておいてくれ、僕がどう話そうと勝手だろう。さぁ、殺すなりなんなり早く処分を決めるがいい。なにもしないなら僕は帰るよ、今日の食事の分がまだ稼げてないんだから」

「そんなに喧嘩腰にならないでよ、別に取って食うためにつかまえてもらったんじゃないのよ。女だったら……」

「ね、ねぇ……」

おそるおそる、と言った声がルーシィと盗賊の会話を遮る。

さっきから一言も話していなかったラディーヌが、戸惑ったようにこちらに問う。

「あの……ティエル家って、なに? 話についていけなくて……えらい人?」

空気が凍る。

なに言ってるんだこの子。

思わず盗賊の方を見る。赤い目を丸くして、不可解なものを見るようにラディーヌを見ている。

自分の反応はおかしくない。なに言ってるんだこの子。

「あんた、どこの出だっけ……? ティエル家を知らないってもぐりどころの話じゃないわよ?」

「一体どこの田舎にいればティエルを知らないで生きてこれるんだい?」

「えっ、えっ……そんなにおかしなことなの? 女は動物の世話の仕方以外教えてもらえなくて……だからその……ごめんなさい」

もごもごと言うラディーヌの様子からすると冗談を言っているようではないらしい。

正直信じられないという気持ちは抑えきれないが、ルーシィも学はないので知らないことを責められない。知らないものは知らないのだ。

「……わかった、簡単に教えてあげるわ……」

ティエル公爵家とは、ドーナの隣国、ウェルタール王国の一貴族。

大国だったウェルタールの中で最も権力を持っていたティエル家は、各国の貴族と結婚を繰り返しつながりを作り、その交流網を利用して大陸の貿易を支配していた。

大陸を行き来する商人のほとんどはティエル家、もしくはその親戚筋に雇われているものであり、大陸に住んでいる人間はティエル家と無関係でいることは不可能。

貿易という、生活の基盤を支配するティエル家はゆえに大陸全土にその名を轟かせ、ひそやかに大陸の王と呼ばれている存在である。

さらに特徴的なのが、その赤い瞳。

通常ありえないその瞳の色は今までティエル公爵家の人間だけが受け継いできたものである。赤い瞳とは権力の象徴であり、ティエル家の代名詞なのである。

それゆえに人は「赤目のティエル」と彼らを呼ぶ。

「つまり、貴族の中でもトップもトップ! 一国の王様でさえ手出しがしがたいほどの権力を持っていたのが、ティエル家ってわけ。で、この赤い目の盗賊さんはそのティエル家の直系のお嬢様ってわけよ」

「そんなすごいところがあったの……。そういえば、ミルクを買いに来る商人さんがそんなところの囲いだって言っていた気がするわ……」

「そ、だからこの一か月の貿易はしっちゃかめっちゃかだったらしいわ。今はティエルの親戚縁者で持たせてるらしいけど。でもいつまで保てるか不安なものね、すごい批判の嵐らしいわ」

ぽかん、と口を開けて、ラディーヌは赤目の盗賊を見てしまう。

ドーナの名も存在も知らなかったラディーヌだが、そんな大きな存在であるティエル家を知らなかったことを今更恥ずかしく思えてくる。

精力的な赤い目を見たときただものではないとだけは思えたが、そんなところのご令嬢だったとは。通りで、盗賊の少女が気品にあふれているわけである。

「……僕の身分はわかったかい?」

「はい……先ほどはすみませんでした……」

「そんな畏まらなくてもいいわよラディーヌ。そうは言っても過去の栄光だもの、今このお嬢様にはなんの価値もな・い・の」

「ちょっとルーシィ」

ルーシィの軽い口調に、盗賊の少女の目つきが明らかに鋭くなる。

慌てて止めるもルーシィは悪びれることなく少女に睨み返して続ける。

「それに、別にアタシたちはこの人に仕えてるわけじゃないんだからやっぱり畏まる必要なんかないわ。同じ立場同じ被害者。そうでしょ?」

「それは……」

「貴様のような小娘と僕が同じ立場だって? 笑わせるな!」

ルーシィの軽口に乗せられて少女が声に怒りを込める。

怒れば怒るほど彼女の存在感は増し、迫力に負けて思わず屈服してしまいそうだと怒りを向けられていないのに思う。

生粋の支配者であることがただ対峙するだけでも伝わってくる。

「このラギルダ・ティエル、今こそ盗賊の身に案じているけれど時が来れば必ずドーナ王の首を取りティエル家を復興させる! その使命が僕にはある。なにも背負っていない貴様のような根無し草と一緒にしないでもらいたいね!」

竹のように伸びた背筋。鐘のように通る声。

まだ少女であるにもかかわらず、上に立つものの威厳と責任を彼女はしっかりと身につけていた。まだ傲慢な幼さを残しながら、確かに彼女は支配者だった。

その姿に、ラディーヌは族長だった兄を重ねる。

「ティエル家はまだ過去ではない。僕が生きて再建を図る限り」

「へぇー、すごいすごい。お嬢様って大変ね、そんなこともしないといけないのね」

跪きたくなるような盗賊の少女――――ラギルダの高らかな怒りの言葉に対して、ルーシィはどこまでも飄々とした様子で返す。

そんなルーシィの態度にラディーヌは少し違和感を感じた。

ルーシィもまた、ラギルダの放つ圧力に苦しみを感じていた風を見せていたのに、今のこの余裕はなんなのだろう。気紛れな風の彼女だが、こんな様に挑発することはあっただろうか。

「でもそれって、一人でできることじゃないわよね。どうするつもりなの?」

「……何が言いたい」

ルーシィが怪しく微笑む。そこまで見て、ラディーヌは嗚呼、と思った。

このために誘導したのか。

「“同じドーナに連れ去られてきた被害者同士”、仲良くしましょってことよ。とにかく来なさい、この国をひっくり返す場所へ案内してあげる!」

勢いよくルーシィが立ち上がる。長い腕をまっすぐにラギルダへ向けて言う。

あの晩ラディーヌへそうしたように。