聖痕三話

「……これで大体終わりでしょうかね」

「ありがとう、ユイちゃん!」

「……いえ。別に」

三階建ての小さな校舎は、慣れるのは比較的早い。どの学年もクラスが二つあるかないか程度の人数だし、特別教室はあるもののあまり数が豊富とは言えない。

しかし小さいとはいえ慣れるまではその都度教えるつもりだったから、別にわざわざ案内する必要は本当はなかったのだ。案内したのは、わたしが血塗れの教室から早く逃げ出したかったから。

「それにしても、この街に来てびっくりしたよ。……本当に保持者の扱いって酷いんだね……」

唐突に、崎守さんが呟く。

「保持者側に回って初めてわかりましたか?」

「……そうだね。わたしもすごく差別してた気がする。いや、差別されるのは仕方ないんだけどね、なんて言えばいいんだろう……」

殺人者としても、ただの子供としても扱われない、怪物として扱われる違和感を彼女はどう言い表せばいいのかわからないようだった。

「罪を償うことすら許されないまま、こんなところに閉じ込められて、でも自由で、……周りの人の、目が怖くて、……なんて言うのかな、すごく奇妙」

それは、ここに来てすぐに誰もが思う違和感。けれどいつしか、異物を見る目だけに怯えるようになってここにいることに疑問は持たなくなってくる。

事実、わたしも言われるまでそんなこと忘れていた。

「なんか、変、だよね。普通犯罪者にだって裁判の余地が与えられるのに、それもないまま檻に閉じ込められて、でも自由にそこから出れて……でもみんな出ないの。なんでだろう」

「……わたしたちはみんな、殺人者であることくらい自覚しています。だからできる限り街から出ないし、反抗するつもりもありません」

「うん、それはわかるんだけど……」

違う、なにかが違う。そう崎守さんは呟く。

「……今の状況、どうにかできないかな」

ぼそりと一言。

ここから出ることを考えた人が居ないわけではないだろう。けれども今まで暴動があったことはない。だけどもどうすればいいのか、なにをしたいのか、誰にもわからないのだ。

わたしたちは殺人者だ。喚いたところで罪が消える訳がない。

「……無理でしょうね」

「出来るかもしれないよ。やってみなくちゃわからないよ」

初めてはっきり見据えるその目に少しだけ立ちすくむ。

「……変えるといっても、一体なにをしたいんですか」

「せめて一般的な犯罪者と同じ扱いをされたいよ。ここ、化け物の飼育小屋みたいで、気味悪い」

「……わたしたちは、化け物ですよ。さっき見たでしょう、わたしたちは誰だってああなる可能性があるんですよ?」

「でも、ならどうして殺さないの? それにわたし、あんなの外ではひとつも聞かなかったよ」

狂暴化のことが、外の人間に知られていない?

わたしはここに来たのが小さかったから、外のことをあまりよく覚えていない。

「外に狂暴化のことが知られてないなら、まだ改善の余地はあると思うの。せめてわたしたちが罪を償う場を作り元の社会に戻れるようにするくらいはさ?」

「そんなの、」

出来るわけないじゃないですかと言いかけて少しだけ言葉に詰まる。

元の社会に戻れるとしたらそれは確かに素敵なことだと思う。けれどわたしたちの中には保護者がもういない人間も多くて。たとえ戻れて、また普通に生活ができるとしても、そのときわたしたちはここから出ようとするだろうか?

「わたしたちが危険じゃないって知らせるのはきっとすごく簡単なことだと思うの。聖痕のことはあまり知られてないから、マスコミ捕まえれば一発だよ!」

まるで名案のようににこっと笑って提案する。

「……無理ですね。わたしたちが一般人に関わることは禁止されています」

「それは法的に?」

「習慣的に、です」

だって、誰だって蔑まれるの前提で近づくことなどないでしょう?そして向こうから来ることはそれこそ有り得ない。

「でも、デモとか……最悪実力行使とか。シスマの人って普通の人なんか目じゃないって聞いたよ?」

「……人を殺したことがあるかないか程度の違いですよ。それに、そんなことをしたって悪印象しか与えないし死体の山が出来ますよ」

外の人間を恨んでる人間は少なくはないし、向こうだって容赦はしてくれはしない。だとすれば、人を殺すことにためらいのないわたしたちのほうが幾分か有利だ。一旦刃を向けてしまえばどちらか片方を殲滅するまで終わりはしないだろう。

「でも……」

「何をしているんですか、あなたたち」

不意に後ろからかけられた男性の声。振り向けば白衣を来た先生がいた。

朝木智久。理科の担当で、生真面目で生徒の評判はよくはない。左頬にあるタトゥーのような聖痕は酷く痛々しい。

「朝木先生……」

「天野さん。今は学活の時間のはずですが?」

気難しげな声音で訪ねてきた。ああこれは怒っているなと直感的に悟る。

いつも無表情だけれど、この人はいつも声音に感情が現れるのだから。

「死亡者が出たので今掃除しているところです。ちょうどいいので新入生に校内を案内していました」

「またあなたは……掃除から逃げてきましたね?」

「……まさか」

過去にも何度か狂暴化した生徒がいた。そんなことがあるたびに教室を抜け出していたことをいつのまにか知られていたようで、先生は嫌味ったらしくため息をついてきた。

別にいいじゃないですか一人くらい。だって死体の処理って面倒なんですよ? それに死体に慣れてない人を遠ざけてあげるのって必要だと思うんです。そう心の内で言い訳を連ねてみるが言おうとはしない。余計に怒らせるだけだし。

「杉崎先生はどこへ行ったんです?」

「あ、あの、さっき脱走した男の子たち追いかけていっちゃいました……」

控えめに崎守さんが行った。そう、掃除の指揮を取るはずの当の先生は騒動が起きる前に教室から飛び出してしまっていたのだ。ゆえにわたしたちは喜んで休み時間としていた。

そのことを聞いた朝木先生は大げさに頭が痛いという仕草をしてため息をついた。別にいいと思いますけどね。どうせまだ初日なのだし。

「……とにかく教室に戻りなさい、杉崎先生は僕が呼び戻しに行ってきますから」

「連れ戻さなくてもいいのに……」

「なにか言いましたか?」

「いえ、なにも」

「……ユイちゃん……」

皮肉的に呟くわたしをたしなめるように崎守さんがわたしの袖を引っ張る。

それに答えるように踵を返して教室へと戻った。

わたしたちが教室に戻った頃には一通りの掃除が終わっていた。血の臭いは抜け切らず、窓が全開にされていたから正直肌寒い。

「あーっ、ユイまたサボってたでしょー!!」

セナだってちゃんと掃除してたのに!と目ざとくセナが怒鳴ってくる。さっき服が汚れたせいか今は体操着だ。

「サボってませんよ。崎守さんを案内していただけです」

「嘘付けただの口実でしょ!?」

「案内してくれたのは本当だよ?」

突っかかってくるセナをなだめるようにフォローをしてくれる。

さすがのセナも知り合ったばかりの人間に突っかかれはしないのか大人しく引き下がるが不満は隠すつもりはなさそうだ。

「…………不良」

「そこまでいい子なつもりないですから。ねぇ、崎守さん。そんないい子じゃなかったでしょう?」

さっきのわたし。そう話を振ってみれば戸惑ったようにえ、とかあう、とか言葉に詰まってみせる。

「えと、結構、先生に突っかかるんだなぁ、とは思ったり、」

しなかったりしたけど……とまた曖昧に返答された。別にもっとはっきり言ってくれても構わないんですけどね。

「? 誰か先生に会ったの?」

「えっとね、顔に疵のある先生……朝木先生? にあったよ」

「あー、それ朝木先生だからだよ。だってユイほかの先生の前じゃもっといい子ぶってるもん」

「いい子ぶってるとは失礼ですね。立派な処世術ですよ」

「猫かぶりって言うんだよ!!」

「まぁまぁ。……そうだ、ユイちゃん」

「なんでしょう?」

「わたしのこと、崎守さんじゃなくてマナでいいよ。わたしもユイちゃんって呼んでるし」

ね? と微笑まれ、戸惑いながらもはぁ、と生返事を返せばなにを気に入ったか満足気な笑顔が返された。犬がなついてきたような錯覚を受けるのはなぜだろうか。

そんなことをしているとガラリ、と乱暴にドアが開く。

「わりーわりー、朝木先生に怒られちまった」

そう言いながら男子生徒を引きずって杉崎先生が現れた。せんせーなにやってんのー? あんたらダサくない、捕まってんじゃんとクラスメイトが口々に茶化す。先生は気にしてる様子もなく笑い、捕まった男子も悔しそうにはしても特別逆らう様子もない。

それからようやく席へと戻り係りや委員決めが始められる。本来ならば一時間前に終わらせておくべきだと言うのに。

「で、学級委員だけど――――」

「はいはい、俺やる俺ー」

「はぁ!? なんで若林がやんの!?」

嬉々として手を上げる若林にまたセナがちゃちゃをいれてそこから喧嘩が始まってみたり、それを煽ってまた授業を潰そうと企む生徒がいたり(わたしは何もしてません)、珍しく杉崎先生が先生らしく喧嘩を止めてちゃっちゃか係り決めを進めてみたりと、学活は騒がしく進んで行った。

こういうことをしていると、やはり思うのだ。

このままでいいじゃないか、ここがわたしたちの住む世界なのだ。

でもそう思っているのはわたしだけかもしれない。

+++

まだまだ試運転な始業はじめの一週間の終わりの日。

わたしは食材を学校帰りに買い込んで、自分の家ではない家の前に来ていた。

相手のいるいないはお構いなしに合鍵を使って扉を開ける。どうせ彼は仕事で帰ってはいないだろうし、インターホンを押すだけ無駄だった。

扉を開けば綺麗に見えるがただ物が少ないだけという現状の屋内が見える。本当に、男の一人暮らしと言った感じだ。わたしも住んでいた頃はそうではなかったのに。

ここはかつてわたしも暮らしていた義兄の家だった。

シスマにはバディ制度と言うものがある。

小学生以下の子供を一人で暮らさせるわけには行かないので、高校生以上の生徒に預け、中学生になるまで面倒を見るというものだ。

もうここを出て三年になるが、今でも週末になれば泊まりに来て食事や家の掃除などをしていた。わたしの義兄は、どうにも生活面がだらしないのだ。

一通りの家事を終わらせ帰りを待っているとガチャリと鍵の開く音がしてそちらを振り返る。

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

「……ただいま。いつもすみません」

「別に構いません。今ご飯持ってきます、着替えてきてください」

入ってきたのは左頬に特徴的な疵を持つ男――――朝木先生その人だった。

キッチンに立てばこの一週間食べていたのだろう弁当やらカップラーメンやらの空き容器が乱雑にゴミ箱へ捨てられていた。学校で生真面目だからと敬遠されている人の私生活ではないと、つくづく思う。

「そういえば、今日は遅かったですね?」

「……ちょっと調べものをしていまして」

少し気難しげに食事をする。疲れているのだろうか。

「調べ物? 何を調べていたんですか?」

そう問いかけるとますます眉間に皺がよる。そんな不機嫌な表情で食事をされると作った側はなんだか複雑なのですが。

「……最近、聖痕絡みのニュースなどないでしょう」

「ええ、ないですね」

それ自体はとてもいいことなのだが、一体なにをそんなに深刻な顔をしているのだろう。

「それなのに新入生だなんて、おかしいと思って少し調べてみたんです」

「崎守さ…………マナのことですか?」

そう問えばこくりと一回うなづいて、一旦箸を置いた。本格的に話すことにしたらしい。

「たしかに彼女は保持者として登録されていました。けれどそれと合う殺害及び殺害未遂事件が見当たらないんです」

「保持者はいるのに事件がない?」

「ええ。死体は確かに存在し、聖痕の存在も確認されているんです。なのに一切事件になっていない。これって妙だと思いませんか?」

死体があるのに、聖痕があるのに事件にならない。報道されない。マスコミの情報漏れかと思ったが、そんなものは有り得ないと義兄は言う。つまり、情報規制?

「あまり人を疑いたくはないですが、崎守愛という人はもしかすると聖痕保持者ではないかもしれません」

「……でも、なんの意味が」

そんなことに一体なんのメリットがあると言うのだろう。こんなところ、来ないのが一番だと言うのに。

否、ただの冤罪かもしれない。だとすれば彼女は疑心暗鬼な外の人間の被害者だ。

「それはわかりませんが……。まぁ、僕の気にしすぎかもしれません。ひとりごとだと思ってください」

「……お兄ちゃん」

「もちろん、今の話は口外にしないこと」

そう優しく微笑まれてはもうなにも言えない。この話はおしまいだと言うように再び箸を取って少し冷めてしまいましたねと味噌汁をすする。

そんなお兄ちゃんを見ながら、わたしの頭の中はマナのことでいっぱいになっていた。

保持者でないのなら、何故ここに来たのか。外からのスパイ? ここの生活を探るために? 否、それだったら別に改革を言い出すことはしない。そもそも彼女は自分の意思でここに来たのか? こんな化け物の檻に?

何故、何故、何故……。ループする考えはお兄ちゃんのごちそうさまという言葉でせき止められた。食器を片付けようとするお兄ちゃんの手から食器を奪って洗うことにする。

どうせわたしの頭では答えなど出ないのだから、と単調作業に集中しようとする。

だって、知り合いを、クラスメイトを、疑いたくはないから。

その罪がなんなのかもわからずに。