聖痕六話
セナの暴走により、今回の暴動は治まった。
どうして殺しなんかしたのかと一度聞いたけれど、セナはなんでもないと一言言っただけだった。笑顔だったけれど、それが逆に怖くて深追いするのはやめた。
死体はみんなでバラバラにして報道陣が集まる前に燃やしてしまった。おそらく行方不明扱いになるだろう。
幸い誰も怪我をせず、被害者はセナが大牧と呼んだ男一人だけ。しばらくニュースでうるさくなるね、と一人が面倒臭そうにつぶやいた。
「……なあ、天野」
「なんですか、若林」
声を潜めて若林が声をかけてきた。少し怪訝な表情で、言いづらそうに。
「……アレ、セナが殺したんだろ? あいつ前から殺してもけろっとしてたけどさ……。……今回はなんか、異常じゃね?」
「……あなたもそう思いますか?」
セナはいつも、狂暴化した仲間を殺そうがなんだろうが、なんの悲しみもなく殺してみせる。マナが来た日もそうだった。服が汚れて最悪、と死を悼むわけでもなくぼやくのだ。
常々変だとは思ってはいたが、今回はすっきりしたと言うように笑顔で恐怖さえ感じてしまう。若林も感じているのだ。“なにかある”と。
「お前、なんか聞かなかったの?」
「聞けるわけないでしょう、どう見たって地雷じゃないですか……」
聖痕保持者はいつも、自分が聖痕保持者になった所以を探られるのを嫌う。
そこには確実にトラウマが隠れているからだ。だから誰も聞かないし、だれも言わない。
セナとは3年くらいの付き合いになるけれど、彼女がどうして聖痕保持者になったのかはわたしも知らないし、セナもわたしの過去を知らない。そういう無言の約束。
そのせいで、セナの様子がおかしいとは思ってもどうしても聞くことはできなかった。
「とにかく、放っておくほかないでしょう。……いつものことだとしておくしかないですよ」
「……そう、だよなぁ……」
「ちょっと若林―、バス早く出してよー」
少し話している間に片づけが全て終わったのかクラスメイトが呼びに来た。別に運転するのは若林でなくてもいいけれど、キーを持っているのは若林だから彼なしに帰れない。
「おー、わりぃ。……あれ、セナは?」
「セナ? とっくに歩いて帰ったわよ。バス汚しちゃうからって」
「ん……わかった」
少し納得いかない表情をしながら若林がバスへ向かう。ほらユイも、という声に連れられてわたしもバスへ向かう。
いくつかのバスが並んで進んでいくのを見ながら、ぼんやりとセナのことを想った。
+++
歩くたびに地面につく血痕が薄れていく頃に、セナは学校についた。
セナはまるで一雨降られたかのようにあっけらかんとしていて、そのなんともない表情と凄惨な格好のギャップがさらに狂気を感じさせるものだった。
ひた、ひた
血を吸って重い服が歩くたびに水音をたてる。ほとんど人のいない廊下でそれはひどく響いた。
ひた、ひたとゆっくり歩いていくと一か所だけ明かりのついている教室――――セナのクラスが見えてくる。開けっ放しのドアを覗けば、マナがぽつんと一人窓際に立っていた。
「――――マナ、ただいまっ」
「……あ、おかえりセナちゃ…………」
声をかけられ振り向いたマナの表情が一瞬にして固まる。上からゆっくりと視線が下へと下げられ、足元で止まった。
上履きにまで染み出すほどの血の量に少しずつ顔色が悪くなる。
「その……血……」
「あー、これ? セナの血じゃないよ。セナは無傷!」
セナがえっへんと胸を張る。その様子にじり、と後ずさりしてから無理に落ち着こうとしているようにこぶしを握った。
「……なにかあったの?」
「なんにもないよ?」
笑顔であっさり返されるが、そのガラスのように感情のこもらない目にぞっとする。
なにかある。そう確信するとマナの目が強気に変わった。不安気に胸元をいじっていた手を下して、セナに詰問をしはじめる。
「……嘘。じゃあその血、誰の?」
「んー?」
「外の人の、だよね」
「うん、そうだよ。外のクズの血。ほんっとやだよねー、……悪運が強いのって」
暗い目をしてセナは笑う。殺意と、悪意と、嫌悪の混じった普段なら絶対に見せない顔だった。
「……セナちゃん。外の人、嫌い?」
「大っ嫌いに決まってるよ!」
今だ。そうマナは確信する。
「あいつらはいつもセナたちを馬鹿にする。そのくせこんなところに閉じ込めて怖がって……許せないなら殺せばいい、罰せればいい! 大体セナたちだって好きで殺したわけじゃないのに、……こんなの、理不尽だよっ」
「そうだよね。わたしだって、ここに居る時間は短いけど……わかるよ」
外への憎悪が高まっている、今。
「ねぇ、セナちゃん。外に出たいと思わない?」
「そりゃ……っ。……でも、できないよ」
一瞬本音を言った後、すぐに理性が歯止めをかける。
シスマの人間に共通して広まった諦めを、どうにか解こうと口説く。
「そんなことないよ。大体、外に出るのは自由なんだよ?」
「買い物に行く時しか出ちゃいけないんだよ」
「そんなの誰が決めたの? セナちゃんたちが思い込んでるだけじゃない」
マナがここに来た時に、外に出るなとは一言も言われなかった。
ただ連れてこられ、聖痕保持者の目印である腕章と住むための家があてがわれただけで注意事項もなにもなかった。連れてきた人間ができるだけ早く帰りたがっていたのもあるかもしれない。
「誰もわたしたちを拘束なんかしてない。してるとすれば、それは世間の目だよ。今の状況は、変えられる。囚人らしく刑にかけられて、殺されるなり働かせられるなりされるようにできるよ。元の場所に戻れるんだよ、セナちゃん」
「マナ……」
「復讐を始めよう?」
やりたい、そうセナが口にしようと思ったとき、
がら、と教室のドアが開いた。
「……なにしてるんですか?」
セナに幾分遅れて学校についたわたしたちが教室の扉を開ければそこにはマナとセナが対峙していた。
それは当然のことなんだけれど、どこか様子がおかしい。
セナがまるで内緒話でもしていたようなばつの悪い顔をしている。対してマナは繕ったような笑みを見せた。
「ううん、なんでもないの。よかった、みんな無事だったんだ! セナちゃん血だらけなんだもん、ほかの子もそうなのかなって、心配してたんだよ」
「いえ、まぁ……トラブルはありましたが問題はありませんよ」
二人の温度差を気味が悪いと感じながら、それを問うことはできなかった。
結局その日の授業は中止。
暴動のあとの後味の悪さから、全員が全員複雑な表情で教室を去った。
そして、今。血だらけのセナと並んで帰り道。
なんの理由もなく、……否、理由はよくわかっているのだが、お互い押し黙って帰っていた。
なにか話そうにも、今口を開けば地雷ばかりを踏んでしまいそうで話すに話せなかった。
そうして、家路も半ばと言ったとき。
「……ね、ユイ」
「……なんですか?」
言いづらそうにセナが口を開いた。
暴動直後のあの嬉々とした笑みは今は消え、逆になにかをじっと考えているような表情をしていた。
「あの、……さっきマナと話してたんだけどさ」
「……ええ」
「セナたち、ここから出られるかな」
「!!」
突然言い出したことに驚いてセナを見つめたまま立ち止まる。
セナは思いつめたようにうつむいて、わたしが止まったことを察したように同じく立ち止まった。
「マナが言ってたの。……考えてみたら、たしかにセナたち、ここから出ちゃいけないなんて、言われてないんだよ」
ぽつり、と呟くような声で言う。
「出たいときに出れるし、特に規約も決められてない。…………ならなんでセナたち、ここにいるの?」
純粋な疑問。
それはたしかにもっともだった。わたしだって思わないわけじゃないし、その気持ちはわかるけれど。
でも、わたしたちには隔離されなければいけない理由があるはずだ。
「わたしたちは、聖痕保持者ですよ? いつ狂暴化するかわからないのに……外に出られるわけがないじゃないですか」
「じゃあどうして今もおめおめと生かされてるの? どうして殺されないの? セナたちがここに集められてる意味って? 考えてみれば何も知らない! 何も教えられてないんだよ!!」
半ば八つ当たり気味に叫ぶ。
このシスマの曖昧すぎる定義への不満。わたしはとっくに諦めて忘れてしまった、感情。
それを真っ向から向けられてひるむ。セナだってわかっているはずだ。けれどきっと感情がそれを放っておかないのだ。
「せめて出るのは無理でも、セナはここにいる理由が知りたい。……ねぇ、ユイもそう思うでしょ? ちょっとでも変えてみたいって、思うでしょ!?」
「わたしは……」
セナの気持ちもわかる。でもわたしはこの街を好きだったし、現状にも満足していた。
だからこそマナの言う改革も、あまり甘美には聞こえなかった。
どうしてこのままじゃいけないのだろう。
「わたしは、そうは思いません。シスマができて50年、そんな騒動起きたことがないはずです。つまりそれって、必要なかったってことですよね?」
「でも、セナたちはいつも不満に思ってるよ。無差別に狙われたりして」
「それでも抵抗する術は身につけてるじゃないですか。共存できてるとは言えませんか?」
「言えるわけない!! だっておねえは、外の人間に殺されたんだよ!?」
「!!」
突然の告白。
セナのバディがもういないことは知っていた。けれど、その死因までは知らなかった。
こうまでもセナが外の人間を嫌う理由はわかった。でも、それでもわたしは同意はできなかった。
「でも、…………でも、わたしはシスマを出るのは反対です」
「どうしてよっ! 殺されてる人もいるんだよ、なのにセナたちは殺されて当然って、おかしいと思わないの!?」
「思いますよ、思いますけど……っ」
「セナはもっとはっきり示してほしい! シスマってのがなんなのか! ……それすらユイは思わないの?」
「わたしは…………っ」
知るのが怖い。ただ諦めて、ここで狂うまで暮らしていたい。
――――そう思うのは罪ですか?
「っ……また明日」
「ユイの馬鹿! いくじなしっ!!」
セナの怒声が背中から聞こえる。逃げ帰るしか、今はできそうになかった。
+++
「……ユイ、大丈夫ですか?」
「…………えっ?」
食事中、お兄ちゃんがわたしを覗き込む。
ぼんやりとしていたせいで前後の記憶が曖昧だった。
セナとの口論に逃げた後、わたしはそのままお兄ちゃんの家に寄っていた。
いつも通り、お兄ちゃんの生活の世話をしにと、……それからセナとのことを相談したくて。
「だ、大丈夫です。・・・ちょっと、考え事をしていて」
さすがに食事中にする話ではないので急いで食べてしまうことにする。
お兄ちゃんが怪訝な顔でこちらを見ていたけれど、今は無視してしまうことにする。
「それで、ユイ。……体調でも悪いんですか? 顔色が悪いですよ?」
「いえ、体調が悪いわけではなくて……」
食事後、机を挟んで向かい合い、今日の放課後のことについて話した。
セナの様子がおかしかったこと、マナが不思議なことを言い出したこと、帰り道にセナと口論をして、逃げて帰ってきてしまったこと。
シスマでは互いを傷つけないように過ごすことが多い。だから喧嘩という喧嘩は初めてで、なんだか心苦しかった。
「……なるほど。シスマを出る、ですか」
「わたしは必要ないと思うんです! ……でも、気持ちもわかるからあまり強く出られなくて」
理屈も感情も、きっと向こうの方が上だ。
でも今の今まで我慢していたのに、どうして今更、という想いも強かった。
やっぱりマナに唆されてるようにしか思えなかった。
「そうですね。僕もユイに同意します」
「!!」
「僕たちがここに連れてこられた訳は、みんなわかっていることです。でも、それを不満に思わないでいられるか、と言われたらまた別の話です」
「そう、ですよね……」
セナだってマナだってわかっているはずだ。それでも抵抗したいのは、迫害されて当然という感覚に吐き気がするからか。
その認識を覆したいのは、よくわかる。でもわたしたちは犯罪者だ。
「僕も、ここに来たばかりのときだったら崎守さんや涼風さんに賛成したでしょうね」
「……お兄ちゃんも、そんなことを思うんですか?」
理知的なお兄ちゃんがそんな感情論を支持するなんて珍しい。
少し悲しそうな笑顔で、お兄ちゃんがほほ笑む。
「一緒にいたかった人がいるんです」
直感的に恋人なんだろうと思った。そしてそれは、多分間違ってはいない。
それを感じ取って、切なくなる。あまり聞きたくない。けど、聞かざるを得ない。
「一緒に、いたかった人?」
「……ここに来る直前まで、付き合っている人でした」
やっぱり。
できるだけ顔に出さないようにする。黙ってお兄ちゃんの話を聞いている。
わたしは、お兄ちゃんのただの妹だ。
「……どんな人、だったんですか?」
お兄ちゃんが今も想いを寄せている人は。
「聡明な人でした。僕に聖痕が現れても怯えもしない、強い人でした」
懐かしそうな、悲しそうな、遠い目でお兄ちゃんが言う。
「あなたは、どこか彼女に似ていると、初めて会ったときに思いました」
「……わたしが?」
わたしの頭を、ゆっくりと撫でながら、おにいちゃんは語る。
「ええ、まなざしがどこか。あなたは幼いうちに聖痕が現れたというのに、僕と会ったときは随分と落ち着いているように見えました」
「あのときは……」
緊張していただけです。と返すと
「そんなことはありません。冷静に周りを見据える事ができる、それはあなたの長所ですよ。自信を持っていい」
「…………はい」
お兄ちゃんがそう言うのなら、わたしはいつまでもそうできる気がします。
不安定だった心が落ち着いていくのを感じてほっとした。