聖痕一話
今日もよく晴れている。
わたし、天野由井は待ち合わせをしていた。
春とはいえ、まだ長袖一枚では肌寒い。
今は春休み。しかし朝から子供たちが遊びはしゃいでいるかと言えばそうでもない。
ここはシスマという特殊な街。殺人を犯し、『聖痕』という不思議な疵が現れた子供たちが収容されている檻だ。
ゆえに子供しかいないから、仕事だって子供がする。
さすがにバスや役所は外から来た公務員の大人がしているけれど、それ以外は全てが子供で運営されている。
目の前には八百屋や雑貨屋を営んでいる子がいるし、ここに来るまでに農作業を数人の子供がしているのも何度か見た。学校だって、教師は二十歳そこそこの若い人ばかり。
わたしのように学校に行っている人間もいるけれど、2クラス程度の小さな学校だ。それも少ない人数を無理矢理割っているし。
中学校はシスマでは義務教育ではないから、行ってる人間は少ない。ゆえに、こうして遊んでいる子供はどこか目立つ。
「おーい、ユイ~!!」
待ち合わせの時間から20分後、遠目からようやく友人である涼風せながやってきた。
愛らしい容姿によく似合ったお洒落な服を纏っている。
「遅いですよ、セナ。20分待ちました…寒いです」
「えへ、ごめんね?」
謝ってはいるが反省の色は見えそうにない。
セナはいつもこうだ、自分勝手なんだから。待つ方だって楽じゃない。
証拠に指先は恐ろしく冷たかった。
「それで、どこに行きますか」
「そうそう、セナ考えてたんだけどね、南区飽きたしちょっと遠く行かない? 歩いて!」
「行きません」
セナの気まぐれには付き合いきれないところも多い。
どうせ今回もすぐに疲れた帰るとごねるに決まっているのだ。
「えー、なんでー!?」
「どうせすぐに疲れて騒ぐでしょう。引き摺る身にもなってください」
「がんばるから~、ねーお願い~~~」
いやいやと騒ぐセナ。ああもう、周りの目が痛いじゃないですか恥ずかしい。
はぁ、とため息をついてから仕方なく了承する。彼女のわがままにも困ったものだ。
シスマには法律がない。基本的には日本の法を元に普段過ごしているから必要がないだけだが。
互いに支え合って生きているがゆえに、犯罪というのは起こらない。
ひと昔前の下町のような、娯楽はなくとも温かみのあるこの街がわたしたちは大好きだ。
「うわぁ~ん、疲れたぁぁぁ~。アイスティーくださーい!」
「わたしもアイスティーください」
途中疲れたと喚くセナを結局は引きずりながら、隣町の喫茶店に落ち着いた。
さすがに隣町まで歩くと疲れる。来ていた上着は暑くなって途中から脱いでしまった。
セナはさっきから机に伏せってぐだぐだと唸っている。みっともないからやめて欲しいけれど。
喫茶店といいつつも、ただの戸建の家を少し改装しただけの店は狭い。
シスマの店はこんなものばかりだ。元々あった家を持ち主が無くなるたびに改装するから、あまり大きい改装は好まれない。
それに大きな改装ができるほどの材料も人材もここにはない。
けれど家のように落ち着けるから、わたしはこのシステムが好きだった。
「う~、疲れたぁ~~~。これで明日新学期なんて信じらんなーい!! 誰、言い出したのー!!」
「セナが言い出したんでしょう。だから言ったのに」
お待たせしました、と出されたアイスティーを飲む。甘くて、少しだけ渋い味が口の中に広がる。
店員はマスターだろう高校生くらいの男性が一人。
店には私たち以外にも数人がいた。楽しそうにマスターと話している人もいれば、急いだ様子でなにかを書いている人もいた。
そういえば、春休みには宿題があったことを思い出す。
「……ねぇ、セナ。あなた宿題終わりました?」
「…………」
返ってくるのは沈黙。ああ、予想通りしていないらしい。
「……写させませんよ」
「ひどい!! セナまだなにも言ってない!!!」
「いつもいつも終わり間際に言われれば嫌でも考えてることくらいわかりますよ」
まったく、いつもいつも計画性がないんですから。
もう少しちゃんと勉強しようとは考えないんですか。
喫茶店を開くのが夢なんでしょう、経営にはそれなりに勉学が必要ですよわかってるんですか。
そうお説教をしてみると、次第にセナはつまらなそうにうなだれる。
「いいもん、頭いい人捕まえるもん。ユイとか」
「残念ながら喫茶店に興味はないので」
「え~~~~~~~」
そうは言うものの、実はそこまで経理は必要なさそうだったりする。
小学校卒業後すぐに店を開く人がいるくらいだ。外よりずっと店を開くのは楽だろう。
住居は基本的に政府からの支給で家賃などはない。
それにセナならば、そのあたりは適当にこなすことが出来るのだろうな、と思う。
この街の殆どは政府による支援で形成されている。ゆえに学費はないし、家賃等はない。
しかし代わりにまったく物資は入ってこないし、病院等も一切ない。
あるのは住居と勉学、金銭面の保証のみで、それ以外はまったく監督されていない。
+++
「……あ、卵がない……」
セナと別れ、晩ご飯の用意をしようとすると食材が切れていることに気づく。
この街では酪農は行なっていない。それに、買える量もたかが知れているのでいちいち壁の外の店に買い物に行かなければならない。
聖痕保持者の証であるワッペンを服の左肩につけて支度をする。顔のようなわかりやすい位置に聖痕がある人ならともかく、普通は服に隠れて見えない。
それに、見える位置にあっても体ならばどうにかして隠そうと誰もがしている。
だから区別しやすいように、と言うことだろうが当然いい思いなどはしない。この証を持っていて得るのは罵倒だけだからだ。
シスマは子供の殺人者の収容所。聖痕が現れた時点で国から追放されたも同然なのだ。
護身用のナイフを持って寮のすぐそばのバス停から門の入口行きのバスに乗る。
数人乗っていたが誰もが憂鬱そうな表情で外を見ている。みんなワッペンをつけ、そして手に抱えた鞄には凶器を忍ばせているのだろう。
誰だって蔑みと嫌悪の目で見られるのは嫌なものだ。今は夕刻、買い物帰りの人が少なからずいるはずだ。なおさら。
シスマの近くには保持者用の小さなスーパーがある。
従業員はいつもいない。レジはセルフサービスだ。
きっと、早朝に準備をしてあとは放置なのだろう。保持者と遭遇しないように。
必要なものを購入して門の入口へ急ぐ。聖痕保持者が外にいるのは、時折危険を伴う。
周囲から痛いほどに浴びせられる視線もそうだけれど。それだけならば耐えられるけれど。
そう、例えば。
「死ねええええええええっ!!!」
「っ!」
背後からの怒声。軽くよけて、割れないように卵を角に置いた。
目の前には顔を隠すように深く被った帽子にサングラスとマスクをつけた、明らかな不審者がいた。
手に持っている刃物に周りが悲鳴をあげて逃げ惑う。
ああ、またですか。
彼の目的は、わたし。否、『聖痕保持者』だ。
わたしたちは必ず誰かを殺している。それは親だったり、友だったり、見知らぬ人だったり。それゆえに、憎まれていることも少なくはない。
そして一部の過激派によって、わたしたちは命を狙われることが多い。
「大切な人を殺されたから」「存在が危険だから」「殺人者を何故野放しにしているんだ」
望まぬ殺人であった者も多いわたしたちは悪くて、恨みとストレスから最もらしい理由をつけて殺人を行う彼らは悪くないのだろうか。
殺人には、違いなどあるのだろうか?
「何の用でしょう。あなたに恨みを買うようなことをした覚えはありませんが」
「うるせぇ! お前らみたいな危ない奴がいるから、俺の家族は…………!!」
どうやら彼は家族を殺されたらしい。ただの社会人であろう彼が敵討ちを選ぶのに、どれほどの愛と決意と憎悪があっただろう。
そこに、聖痕保持者を無差別に襲うことへの疑問はなかったのだろうか。
「ご家族についてはご愁傷さまでした。ですがわたしとはなんの関係もないことです。あなたの家族を殺した誰かは、壁の内で今も生きているかもしれないし、もう死んでいるかもしれません」
「お前らみたいな奴らを、生かしておけるか……!」
包丁を握る手が震えている。
正常な人間ならば、人を殺すのは怖くて仕方がないはずだ。やらなくていいのなら、したくないはずだ。
もうとっくに手を汚しているわたしだって、人を殺すのは怖いのだ。
「ならばあなたは過去の殺人者を全て殺すつもりですか? あなたの言っていることはそういうことですよ」
「黙れええええええええええええええええええええっ!!!!」
突進してくる男の腕をよけて、動きを止めるためにまず腹部に膝蹴りを入れる。
低くくぐもった苦しそうな声が耳元で漏れた。それから男の包丁を奪って首元に押し付ける。
殺すつもりはない。
「う…………」
「死にたくなければ二度とこんなことをしないで、もう帰ってください。あなたはこんなことをしていい人じゃない」
ぷつ、と力んだせいで彼の首筋から血が一筋流れる。
慌てて力加減を直して、そしてその血を見るのが辛くて視線を男へ戻す。
「…………った、から……はなせ……」
恐怖に歪む表情で、苦しそうに言う。
そう、慣れないことは、しなくていいことは無理にしなくていい。
包丁をゆっくりと下ろし、そしてもう一度忠告をする。
「帰りなさい。あなたは過ちを犯してはいけない」
凶器を奪われどうしようもなくなった男は踵を返してすごすごと帰っていった。
何故わたしたちは命を狙われるのだろう。
ただの殺人者でも、ここまで危険と隣り合わせだろうか?
罪を犯したものは普通、罪を償い社会に戻れるはずなのに。何故わたしたちは迫害され続けるのだろうか。
理由は十分にあるけれど、何故これほどまでに明確に。
聖痕保持者を殺すことが当たり前のように赦される世界が、おかしいと思う。
わたしたちが赦されず、彼らが赦される理由はなんなのだろう。
+++
「……明日か」
「はい。――様」
静謐なる部屋に二人きり。寄り添い座る彼らは先の理想を想い囁き合う。
暫しの別れと引き換えに、きっと輝かしい未来があると信じて。
「お前だけに行かせるのは辛いけど…。頼むぜ」
「はい。必ず、成功させてみせます。全ては、――様のために……」
少女は恍惚なる瞳で愛しい人を見る。
小さな歴史の1ページが、静かに動き出す。