聖痕四話
学校が始まって、一週間。
まだ授業は本格的ではなく、昨年度の振り替えりと今年度の授業を繰り返しながら少しずつ本調子になりはじめている。
シスマの学校の目的は最低限の常識を、人との調和を身につけることだ。
実は授業自体はおまけのようなものだったりする。しかしテストというものはあって、それは外と変わらずわたしたちを苦しめる。
成績なんて形だけのもので進学にも就職にも影響することはないのに、不思議なことにわたしたちはいつだって善し悪しを決めたがる。
娯楽のない小さな街の、ちょっとした楽しみ。
「ユイ、今日こそは負けないからね!!」
わたしが教室に入るやいなやセナが指を差し喚く。
まるで決闘を申し込むような態度に何をしたっけと考えるけれど、怒らせるようなことはした覚えがない気がする。
「あいさつもなしになんですか、いきなり」
「忘れたの、今日は体育があるんだよ?」
その言葉に納得する。そういえば今日は体育があった。
シスマの体育は特殊だ。
わたしたち聖痕保持者は狙われやすい。そのため身を守る術を身につける授業がある。殺す覚悟はなくても、身に付けておけば勝手に動く。でなければこっちが殺されるだけなのだ。
「セナちゃんは体育が好きなんだ? なにするか聞いてないけど……バスケかなにか?」
話を聞いていたらしいマナが近づいてくる。
質問をしてから気がついたようにおはよう、と笑った。
「違うよ、護身の授業だよ! ユイに決闘を申し込むの!」
「わたしは受けませんからね」
「……護身?」
なんのことだろう、と言うようにマナは首をかしげる。
わたしとセナは顔を見合わせてから、彼女がシスマの詳しいことをまだ知らないことに思い至る。たった一週間ほどなのに、すぐにいることが当たり前となるのだから時間というのはすごいと思う。
「んーとね、聖痕保持者って狙われやすいんだよね」
「狙われやすい?」
「こうして犯罪者を一つに集めて、のうのうと生かしておくことに反対する人も大勢います。外に出ることを禁止されているわけでも、強制的に働かされてるわけでもないですからね」
「ようは税金食う雑草をみんな抜いちゃえーって、やつらも当然いるわけ」
わたしたちの生活は全て税金で賄われている。
当然それを面白く思っていない人間は多くいて、中には殺してしまえという過激派もいる。
殺してしまえと騒いでいる過激派、簡易的な労働をさせて少しは利益をという工場化派。
どちらも人権がどうの、とテレビで醜く騒いでいるのをよく見る。
わたしの意見としては、働かせてもらえたほうが気が楽なのだが。
「うん、テレビでよくやってるよね、そういうの……」
「そ! で、中には本当に殺しにかかってくる奴がいるんだよねぇ~」
「え……」
ショックを受けたのか硬直する。殺意を持って襲ってくる人間がいるのは、たしかに少しショックかもしれない。
「そういう人間から身を守るための授業が、春と秋にあるんです」
「あとは狂暴化した人間を殺すため、ってのもあるかな。見たでしょ、アレ」
マナが転校してきてすぐに起きたあの狂暴化。加害者が仲間なら、殺すのも仲間だ。
だからできるだけ迷いなく殺せないといけない。そのために、対峙するのに慣れておかないといけない。
それでも、遊び気分の授業じゃ大半は身になりはしないけれど。
「シスマって、大変だね……」
不安げに眉をひそめる。たしかに、外じゃないことだろう。
「ま、不安ならセナたちが守ってあげるし大丈夫だって! 買い物とか、ねぇ?」
「そうですよ。ただの授業ですから」
「……怖いなぁ」
+++
体育は5時間目。
お弁当を食べればみんなが楽しみにする時間。
体育着というのはないから、血が付いても大丈夫なような黒服に着替えることになる。
体育館へと移動すれば、そこには大量の武器を閉まってある倉庫がある。
体育館の床は、こびりついた血と刃物で傷つけた疵痕でひどい有様だ。その光景は凄惨で、シスマの50年の歴史を、嫌でも彷彿とさせる。
それはマナも同じのようで、体育館を見た瞬間顔色が少し悪くなった。
「これ……」
「すごいよねー、これ。無駄に年季入ってるっていうかさ」
能天気にセナが武器を取ってくる。斧と、鎌と、包丁。鎌はわたしので、包丁はマナ用だろう。
「はいこれ、包丁」
「ぇ……え?」
包丁とセナを交互に見る。
「包丁……。ほんとにやるの……?」
「やらなければ死ぬだけです。包丁は外に持ち出すこともしますから慣れておくに越したことはありません」
刃物を振り回す。そのこと自体が恐らく不安なのだろう。
初めは誰だって恐怖し、躊躇った。
しかし人間は慣れる生き物のようで、数年いれば逆に楽しむようになってくる。
少しだけ、怖いと思うけれど。
「まぁいきなりやる必要はないと思うよー? 今日は見学したら?」
「いずれ慣れますよ。セナの言うとおり今日は見学していましょうか」
「よ、よかったぁ……」
「ただし次はやりますからね」
「ええぇ~……」
非常に嫌そうな顔をしたマナを放っておいてセナに向き合う。
周りを見ればこうして突っ立っているのはわたしたちだけだった。
「さてっ、セナたちもそろそろはじめよっ!」
「……このままサボっても良かったのに」
あまり戦うのは好きではないし、しないでいいならしたくない。そう思うわたしはどうもものぐさらしい。
その点セナはやる気らしく、大振りの斧を両手で構える。
軽く素振りをしながらセナの出方を見る。わたしたちの戦いはいつもこうやって始まる。
まず、セナが突進をしてきて
「……ったぁっ!!」
それを一旦よける。セナの武器は当たれば辛いが、大きく重い分動きが鈍い。
一回一回の攻撃に隙が出来やすく、わたしからすればあまり戦い向きではないと思う。
もう一度振り落とされる腕を掴み、鎌の柄の部分で腹部に殴り込む。がふっ、と嫌な咳が漏れて、セナの手から斧が落ちそうになるのを見計らって奪う。
けほけほと咳き込むセナの背を撫でながら、口を半開きにしたままぼーっとしているマナに声をかけた。
「まぁ、大体こんなことの繰り返しですかね」
「ハイレベルすぎてわかんないよユイちゃん」
速攻でわからないと返された。別にそこまでレベルの高い戦いではなかったと思うけれど。一瞬だったし。
「けほっ・・・。どーして毎回ユイに勝てないの―――!?」
「あなたの動きは大きすぎてよけやすいんですよ、いつも言ってるじゃないですか。もっと小さな物に変えたらどうですか?」
「だってかっこいいじゃん、斧~」
それで今まで使ってきたのだから呆れてしまう。
「……そういえば、見てて思ったんだけど」
マナが遠くを見回しながら言う。
「色々あるけど、刃物と打撃攻撃できるものだけしか使ってないんだね」
「そりゃあ、こんなところで爆弾使われても困るしねぇ~」
呑気にセナが答える。確かにそういう理由もあった。
狭い体育館で行う授業では拳銃はいささか危険すぎる。流れ弾だとか、色々と巻き添えが出てくるからだ。しかし理由はそれだけではなかった。
「ここには物資がありませんから。有限である銃火器は使えないんです」
「あ、そっか」
「だから、使えるのは刃物と鈍器だけってこと。その中からなら選び放題だよ? 包丁とか斧とか鎌とか、槍とか剣とか、刀とかハンマーとか薙刀とか」
「ず、随分たくさんあるんだねぇ……」
刃物らしい刃物から、日常生活でも使うような鈍器まで。あらゆる武器と成り得るものを使って、どんな状況でも身を守れるようにする。それがこの授業の目的だった。
「おしまーい! 武器を片付けて掃除!! 怪我をした奴はこっちこーい!」
終わりの合図に杉崎先生が叫ぶ。それぞれ戦いをやめて、武器を洗ったり、片付けをしに動く。数人の生徒が先生の元へ行って、手当を受けたり。
「ありゃ、終わっちゃった」
「そろそろ片付けますか……。マナは床掃除手伝っていてください」
「あ、うん。いってらっしゃい」
体育も終わり、着替えたり着替えなかったりしながら次の授業が始まるのを待つ。
それなりに広い教室に15人足らずの人間だと、あまり窮屈は感じない。それぞれが友達と集まって、自由に話していた。
「ねぇ、他にもシスマ特有のなにかとか、あるの? 供給がないから殺した人食べちゃうとか……⁉」
「ないよそんなのー。セナたちだって別にしたくてやってるんじゃないんだからー」
護身の授業に圧倒されたのか、ショッキングな妄想を吐露する。彼女が来てから随分と立て続けに色々起きている。そう考えたくなるのも当然かもしれない。
わたしやセナにとっては日常すぎて、異常だと思う気持ちも薄れているけれど。
外の人間に襲われることも、仲間を殺さなければならないときが来ることも。
けれどそのことに対して辛いと思う心は変わらない。人を殺したくないし、化け物を見るような目で見られるのだって嫌だ。環境が、それを許してはくれなかった。
「ねー、なんか先生遅くない?」
「そうですね。別に構いませんけど」
セナに言われて時計を見れば、とっくに授業が始まっているはずの時間。チャイムが鳴ったのは誰だって気づいている。授業が始まらないならわたしたちは遊ぶだけだ、来ない方がいいに決まっている。
そんな満場一致のゆるやかな雰囲気に、一つの警報が鳴り響く。
『南門より暴動が起きました。生徒は各自自習しておくように。また、中等部にいつ呼び出しが来てもいいように準備をしておくこと。繰り返す……』
切羽詰った様子のアナウンスが流れる。それを合図に教師一同が各自の武器を持ち南門へ駆けていくのが窓際に行けば見えた。そこにはお兄ちゃんの姿も、もちろん。
「……どういうこと?」
「言ったでしょ。雑草を、毒草を抜きたがる人が居るって」
「内乱ですよ。シスマを恐れる人たちのね」
あまり多くはない、けれど少なくはない。
一個人の逆恨みで無差別に保持者が狙われることが小規模の暴動だとすれば、これは団体の大人たちがシスマの人間を根絶やしにしようと大規模な暴動を起こすのだ。
外の大人と内の子供。その内乱は、恐らく50年前から変わらず行われているのだろう。
この平和呆けしたご時世では、人を殺したことのない大人たちはさしたる脅威ではない。けれどわたしたちが本当に殺せばきっと大騒ぎになり、それこそ野蛮人だなんだと言われ一掃されかねないことをわたしたちは本能的に悟っている。
だから、殺すこともできず、わたしたちは殺さずに適度な傷を負わせてから追い返すよう努力をしている。向こうだって、わたしたちを殺すことはできない。これは戦争ではないのだし、日本で殺人はどんな形でも許されてはいないのだから。なにより人を傷つけたことにショックを受けて逃げ出してしまう人も大勢いる。
だからお互いにいつまでも膠着状態のままでも、あった。
「わたしたちも、出るの?」
「ううん。セナたちが出るのはあんまりないよー」
シスマは門側から高校、中学校、小学校と内のほうが年齢が低くなる。いち早く暴動に対応できるように配置されている。まずは教師や門周辺に住む人や高校生。それでも人数が足りず対応出来そうにないと判断されたら、中学生。
特にわたしたち3年生はシスマではもう十分の戦闘要因であった。
「それに出ることになったって、マナにまで出てきて貰いませんよ。まだ戦い方も知らないわけだし……」
「おいセナ座れよ。プリント配っから」
「待ってよなんでセナだけなの!!」
若林が注意がてらにセナにちゃちゃを入れる。手には自習用のプリントで、彼は案外真面目に学級委員の仕事をしているようだった。
「ほらセナ、早く座りなさい」
「自分だけちゃっかり座ってないでよーー!!」
「うるっせーぞ馬鹿女! 座れっつーの!」
「なによー、真面目ぶって! 勉強なんかする気ないくせに!!」
「ポーズは大事だろ!!」
「ぶっちゃけんなー!!」
周りから、もっとやれー、だとかちゃちゃが入ったりして一向に自習は始まりそうもない。
セナと若林の夫婦漫才を見ながら次のアナウンスを待った。
出来れば出ていく必要がないことを祈って。
『中等部の生徒は至急武器を持って南門へ!! 繰り返す、中等部の生徒は武器を持って南門へ!!!』
さぼりながら、話しながら自習をしていると再びアナウンスが流れた。願っていた内容ではないほうで。少し焦ったような声にわたしたちも不安を煽られる。
「うっそ! なんでここまで!?」
「え……?」
セナが珍しさに驚き、マナが突然のことに混乱する。
あまり中学まで来ることはないが、それでも出来る限り早く動かなければいけない。中学校まで援護を頼むということは、数少ない大人たちでは対処が少し難しい人数だということだ。もしかしたら怪我人が出ているのかもしれない。
「全員早く武器を持って移動! 若林、バスの準備を!」
「了解! 俺の武器、誰か持ってってくれ!」
少しの混乱と経験からの迅速な行動。少しがやがやはしているが、けして遅れを取るレベルではない。
シスマのバスは普段は外からの公務員が運転している。けれどこういう時はそうも行かなくて、運転もわたしたちがしなければならない。見よう見真似でも事故さえ起こさなければいいだろう、それがわたしたちの見解だった。
なんとなくの習慣でルールは外の法律と一緒だけれど、この中で無免許運転しようと外で罪に問われることがないからだ。それにこれ以上罪を重ねても何の情動も起きない。
「ユイちゃん……」
「あなたはここで待っていてください」
「ユイ、鎌! そこ歩くな、急いで!!」
先にわたしの分を持ってきてくれたセナから武器を受け取る。刃先の鋭い二丁鎌を両手に携えバスへ走る。
「き、気を付けてね……っ!」
マナの声を背中に受けて。
+++
がらんとした教室。マナは窓から彼らが出ていくのをただ無表情に眺めていた。
中々繋がらない携帯を片手にぼんやりと。本来ここにあるはずのない携帯だが、今ここにはマナ一人。誰にも咎められることはない。
――――ぷるるるる
4、5度目の通話を試みるが、依然として繋がらない。忙しい人だから、用事があるのだろうか。少し残念に思いながら、次出てくれなければ夜にかけ直そうと考える。
もう一度、通話ボタンを押す。
――――ぷるるるる
無機質な小さな音が教室に響く。
誰一人いない学校で、じっと電話が繋がるのを待った。
――――ぷるるるる
『・・・はい、朋鐘です』
「睦月様!」
ぱっ、とマナが笑顔になる。電話の向こうは、マナが誰よりも愛している人。
『ごめんな、すぐに出れなくて。ちょっと立て込んでたんだ』
「な、なにか……?」
『大丈夫、なにもバレてない。ただ家庭教師がすぐに帰らなかっただけだ』
「よかった……」
一瞬、最悪のことを予感した。マナは心から安堵する。
『それで、夜じゃないのに電話してくるなんて珍しいな。今どこだ?』
「学校です。なんか、暴動? が起こったらしくって、みんな出ていっちゃいました」
『なんだそれ。危ないな……』
マナが告げることから睦月と呼ばれた少年は怪訝そうな声で呟いた。そのたびにマナは大丈夫、大丈夫と言ってきた。シスマの危険性も、保持者たちの様子も、全て彼に報告済だ。
「でも、そんなに多くはないそうです。普段は高校生以上の人たちがなんとかしちゃうらしいですし……」
『でもそれだけ聖痕保持者が恨まれてるってことだろ。俺が行くのも嫌だけど、お前に行かせてると思うと……』
「いいんです。睦月様はそこにいてください。わたしが自分で来ると言ったんですから」
『でもさ』
「睦月様、わたしが絶対助けてあげます。だから気兼ねなく、お勉強していてください」
力強く誓う。ここに来たのは自分の意思だ。睦月を煩わせるわけにはいかないのだ。
「みんな、いい人ばかりです。だけどそれはこの中だけ、わかってます。みんなこんな状態でいいなんて絶対思ってない。だから、変えるんです。50年も子供が罪を償うこともなく檻の中に軟禁されてる状態を」
『……マナ……ごめんな』
「謝る必要ないですよ。睦月様、全てはあなたのために」
花のような笑顔で、電話越しの愛しい人に呟く。
全ては、あなたのために――――
+++
「はああああぁぁぁっ!!」
これで、4人目。
殺さないように戦うのは難しい。考えながら戦わないといけないのもそうだが、なによりセナは外の人間を心から憎んでいた。
いっそみな殺しにしたい想いを押さえ込んで、腕の一本でなんとか済ませている。
――――戦いづらい……っ
力強く地を蹴って重い斧を振るう。叩き折った腕のせいで、斧は大分汚れていた。
斧を振るうたび、一人、また一人と逃げ出していく。どうせ殺す度胸もないのなら来なければいいのに。そうすれば、お互い嫌な想いをしなくて済むのに。
そのとき。
「…………涼風?」
周りの仲間とは違う、もっと老け込んだ男の声。思い出したくない記憶の底にある、聞いたことのある声。
嫌な予感を感じながら振り向くと、そこには
「お前…………なんで……ここ、に……」
セナの目が大きく開く。憎悪が溢れる。
みんな殺したと思ってた。なんでこいつはここにいるんだ。
「……相変わらずお前、殺人鬼なんだな……」
「――――なんで生きてんの大牧いいいいいいいいいっ!!!!」
過去の敵を殺しにかかる。
もう、頭の中には常識や法律や後に起こる面倒なんて、なかった。