レジスタンス九話
わたしが八歳のときに、父は戦争で死んだ。
わたしが十歳のときに、母は病気で死んだ。
幼かったわたしの腕を引いてくれたのは、十三歳で家督を継いだ兄さんだった。
+++
遊牧民の朝は早い。
日の出前に起きて、日がのぼる頃には活動を始める。
地平線の向こうから太陽がのぼってくる美しさに魅せられながら、夜明けの風に腰まである蒼い髪を撫でられるのが、一日の始まる合図。
「よ、起きたかラディーヌ」
「おはよう、兄さん」
テントを出るのは、まだ空が赤く染まろうとする時間。
まだ寝起きのままのラディーヌと違い、兄のグーヴァーはいつもこの時間には身支度をすませて食事の準備をしている。
蒼い髪。金の目。ラディーヌと同じ特徴を持った兄の姿は、ラディーヌたちの部族に共通するものだ。
五つ年上の兄は、どうして同じ親から生まれたのだろうと思うほどにラディーヌと似ていない。背が高く筋肉質で、童顔のラディーヌとは違い年相応の男性らしい色香を持っている。
幼い頃から部族の長の役職を担ってきたその聡明さに加え、剣の腕は戦闘に特化した部族の中で一番という、兄の能力の高さはラディーヌの誇りだった。
甘えるようにグーヴァーの隣へ座る。
鍋の中を見てみると、白くどろりとしたものが鍋を満たしていた。今朝の食事はシチューらしい。
「ふぁ~あ……おはよう、グーヴァー、ラディーヌちゃん」
「おはよー! おっしゃ、今日はシチューだ!」
「おう、おはよう。もうできるぞ」
食事ができるのを待っていると、仲間たちが順繰りに起きてくる。
のんびりとアーリアが、朝から元気よくユナスが。そのあとにロヴェルドおじさんや、その妻のパナマなど、部族のみんながぞろぞろと集まってくる。
こうやってひとつの鍋を囲んで朝食を食べるのは習慣だった。
「ごめんね、グーヴァー。ほんとはわたしが作らないといけないのに」
「いいよ。どうせ一番に起きるのは俺なんだし」
のんびりと謝るアーリア。その腕の中でまだ眠そうにうつらうつらしている幼児は、グーヴァーとの子だ。
ラディーヌの甥にあたる。三歳の甥の名はハーティと言った。
「ユナス、一人でそんなに食べないで。足りなくなるでしょ」
「んじゃラディーヌの分くれよ。それ以上乳だけでかくなっても邪魔だろ」
「ほんっとサイテー」
婚約者とは名ばかりで、遠慮のない会話ができる一番の友人、ユナスは大食らいで、毎朝のようにこんなやりとりをしていた。
グーヴァーとアーリアのような、互いを思いやるような会話を二人はしたことがない。一応数か月後には結婚を控えているというのに。
だがラディーヌはそんなユナスとのやりとりが心地よくて好きだった。
がやがやとしゃべりながら朝食を取っていると、終わるころには陽も顔を出し切っている。鍋の片づけをパナマに任せて、ラディーヌは服を着替えて仕事の準備をする。
「やっと出てきたか。ラディーヌ、こっち来い」
テントの外で待ち構えていたグーヴァーが手招きする。
その手には髪結いの道具。ラディーヌは抵抗せず、兄の前に背を向けて座った。
「自分でできるって言ってるのに」
「いーんだよ」
「アーリアさんにもやってあげたらいいのに」
「やってるさ」
グーヴァーはこうやって髪をいじるのが好きだった。特に、ラディーヌの髪が。
物心ついてから、グーヴァーの結婚した今まで、毎朝ラディーヌの髪を結うのだけはやめない。
腰まで伸ばした髪を丁寧に透いて、グーヴァーは無骨な手できれいに結いあげていく。これほどまでに長くしているのも、兄の希望だった。
あまり甘えるのもいけないと思いつつ、こうやって兄に甘やかしてもらうのがラディーヌは好きだ。たった一人の肉親と、結婚したからと距離を取るのは嫌だった。
「――お前の髪は、綺麗だな」
ラディーヌの長い髪を結いながら、グーヴァーがつぶやく。
腰まで伸びた、つややかで深い蒼色の髪は、太陽に当たると美しく色を変える。
「絹のように艶やかで、海のように深い蒼……」
そう言いながら、髪を結び終える。高く括られた二本の髪が風に揺れる。
兄の、朝の儀式のようなものだった。祝詞のように毎朝、こうして呟きながら髪結いを終える。
振り返ると、同じ金色の、鋭く男らしい眼がラディーヌを見つめていた。
太陽が、頬を照らす。
「同じ色をしてるくせに」
「お前のは別格さ」
さあ、仕事するか。そう兄が立ったのを合図にラディーヌも意識を切り替える。
愛しい牛たちの世話をしにいかなくちゃ。
+++
部屋に溢れる、何もない漆黒。
陽の光は未だ出ず、全てを覆い尽くす夜は晴れる気配のないまま。
「うぅ……ぅ…に…………いさ」
部屋に溶けるうめき声。苦しそうな吐息が漏れては夜に吸い込まれていく。
ラディーヌの額には玉の汗が浮き出ており、眉間にはかわいらしい顔には似合わない、深い皺が刻まれていた。
夏が近づいているとはいえ、まださして暑くない夜。布団はすでに蹴り飛ばされ、服は汗で濡れている。
汗で額にはりついた前髪を鬱陶しそうに手で寄せて、それからゆっくりラディーヌは瞼をあげた。
「夢……」
朝だ。
仕事をしなくちゃ。
兄さんに髪を結ってもらってから。
意識が夢に引きずられて、無意味にそんなことを思う。
戦争前の、平和だったあの頃の夢。
まだみんなが生きていて、仲間たちに囲まれて、毎日同じようなことを安穏と過ごしていたころの夢。
徐々に意識が覚醒してくると、夢であったことを強く認識しはじめる。
今は、みんないない。兄さんも、アーリア義姉さんも、ユナスも、みんな……。
ぶわっ、と夢の反動がラディーヌを襲う。
涙は出ない。ただ、言葉にしがたい苦しさが溢れてくる。
もうあれから一か月が経った。それでもラディーヌは受け入れきれていなかった。
こうやって、夢を見ることは少なくない。今日はまだ眠れたほうで、ひどいときは夢のせいで眠れないこともあるほどだ。
夜になるのが辛かった。寝たら、故郷の夢を見る。
――お前の髪は綺麗だな。絹のように艶やかで、海のように深い蒼――……。
グーヴァーが口癖のように言っていたその言葉は、今だって聞こえてくるようだ。
いつだって隣に、手の伸ばせるところにいたのに。もうどこにもいないなんて。
兄が毎朝褒めてくれた髪も、今は顎のラインまでしかない。
夢ではないと、嫌でも知らしめる。
汗に混じって頬を濡らす涙をぬぐう。そうして視界をきちんと映すようになった眼で、部屋の景色を見まわしてみる。
こんな風に、“部屋”となっていること自体が、ラディーヌには信じられないものがあった。家具の造りも、服の柄も、なにもかもが故郷と違う部屋は、今なお別世界を見ているようだ。
――この感覚を忘れるわけにはいかない。
ラディーヌは自分に言い聞かせる。
どんなに辛くても、苦しくても、ラディーヌはこの落差を忘れてはならなかった。
制圧戦争によって、あの夢の中の日常が破壊された。そのことをラディーヌは忘れてはならないのだ。
きつく手のひらを握り締め、刺さる爪の痛みを確認する。
いつも、小隊の彼らの騒がしさに流されて意識を忘れてしまうが、彼らはなによりも憎い仇なのだ。彼らがラディーヌをここに連れてきて、ラディーヌの故郷を破壊したのだ。
なにがなんでも、この憎しみを忘れるわけにはいかなかった。
あの人たちがどんなに優しくしてくれたって、敵なことは変わらない。
優しさに惑わされるわけにはいかない。
言い聞かせて、キッとラディーヌは外を見る。
地平線の見えない異世界。
――きっと壊してやる。
猫のように光る眼が、空を漂う雲を射抜いた。
+++
腰につけたサーベル剣をがちゃがちゃ言わせながらラディーヌは歩く。
今朝の集合は中庭。そこは女子寮から行くには、どうにも回りくどい道順で行かなければならない。
城に来て、一か月。まだラディーヌは道に迷わないことがない。同じ風景が続くだけの廊下が気持ち悪く、どんどん不安になっていくのだ。
早朝でまだあまり人の動いていない時間なせいもあり、向かい側から誰かが来る気配もない。
やや走るような早足で、ラディーヌはやみくもに廊下を横切ったり曲がったりしている。本当に、どうなっているのか、この城は。今自分がどこにいるのかも、自分がどこから来たのかもわからない。
道というものがラディーヌにはどうも理解できなかった。更地にしてやりたい衝動に駆られてくる。
焦燥感と怒りともどかしさに、そろそろ八つ当たりでもしたくなってくると、また十字路が見えてくる。特に前も確認せず、そのままの勢いで曲がった瞬間、目の前に影がかかって――
「きゃあ!?」
「ひゃっ!?」
二人同時に悲鳴を上げる。衝撃でしりもちをついたラディーヌの上に、さらになにかが降ってくる。
痛くはない。重みもない。やわらかでふにゃふにゃとしたそれらは、ラディーヌの顔を覆って息を奪う。
「あーっ、すみません、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、です……」
ばさばさと降ってきたそれをまとめてどかす。
予想以上に大きなそれは、短い毛の生えたタオル地の布。たしか、そう、シーツとか言った。
目の前にはすっかり空になった楕円の籠が転げている。その中に入っていたらしいシーツは、あたりにばらばらになって落ちていた。
「すみません、お怪我は?」
「あ、ありがとう……」
衝突にぽかんとしていたラディーヌに、細い手が差し伸べられる。
相手の顔を見ようとして、思わず目を細めた。眩しい、まるで太陽が目の前にあるようだ。
それが、美しい金髪であると気付くのに時間はかからなかった。けれど、こんなにも美しく輝く金の髪が存在するのか。
ラディーヌも髪の美しさは自慢だったが、この輝きには負けたと思った。
「ごめんなさい、前がうまく見えなくて」
「いえ、わたしも急いでたから」
輝く金髪から、少女自身に視点を移すのが難しい。なんとか、小柄な印象の割に彼女の背が高いことに気付けるほどに。
茶の給仕服と、白いヘッドドレス。城を見回せばたくさん見かける、給仕の服装。
だが、妙だった。こんなにも美しい金髪ならば、見れば覚えているはずなのにまったく記憶にない。どころか彼女は、他の給仕たちよりも圧倒的に存在感がない。
ドーナの給仕は、浚われてきた女たちがほとんどだ。どれもこれも、こぼれ出さんばかりの存在感をぶつけ合っては仕事をしているのをよく見る。
そんな彼女たちと、目の前の少女は、どうも同じものに見えない。それどころか別物に見える。
じろじろと少女の顔を見ようと、必死に金髪から目を逸らそうとしていたところで、ようやくラディーヌは彼女にも見られていることに気が付いた。
萌葱色の視線が、初めて金の目と合った。
「――はじめまして、ラディーヌ・アディスさん」
金の髪を揺らして彼女が微笑む。
名前を知られていることは珍しくない。たった一人の女兵だ、一か月もあればあっという間に名前と特徴は知れ渡った。
そういえば、こんな風に綺麗な金髪の人の話を、前に聞いたはず。
そんなに前のことではない。ラディーヌは先日ルーシィの職場に行ったときのことを思い出す。
まとめ役のシンディが言っていたはずだ、ある人と接触せよと。
――カレン・フィンツィ。
――金髪ばかりが綺麗で、存在が消えそうなのが逆に浮いてる奴だ。
「あなたはカレン・フィンツィね」
「話は通っているようですね」
ようやく彼女の顔が見えてきた。
美しい金髪にかすんで存在感のない顔立ち。特徴のない萌葱色の瞳。希薄というよりは普通すぎて、けして悪い顔立ちではないのにその金髪には見劣りしすぎているきらいがある。
シンディの説明にようやく合点がいった。もしも何も知らなかったら、金髪以外に印象に残らない少女だろう。
「わたしがカレンです。あなたの加入をお待ちしていました」
「ルーシィに話をしたのもあなたね」
「はい。……本当はわたしが話そうと思っていたんですが、あの人にせっつかれてしまって」
その場面が想像できるようだ。
ルーシィとはまだ数えるほどしか会ってもないが、それでも彼女の無邪気さと強引さは感じてきた。あの美貌に迫られて平静でいられる人間などそういない。
「それで、あの……失礼だけど。……あなたはどこの出身なの?」
勇気を出して言ってみる。
こんなことを言うのは失礼だとは思ったが、言わねばならない。反乱軍は、浚われてきた女だけがいる組織ではないのか。
垢ぬけない幼さを持つ少女は、その印象に残らない顔をまだ神妙に構えた。
「わたしはこの国の出身です。ラディーヌさんは、浚われてきた人しか見たことがありませんか」
「ええ……」
「わたしたちの中には、この国出身の女も、男も、どちらもいます。そもそも、わたしたちは別のグループだったんです」
カレンは淡々と語る。
曰く、この国には戦争前から反乱因子が存在したという。その中には男も女も、年齢も関係なく、この国とグラシェードに抵抗する者たちがいた。カレンも、元はその一人だ。
一人、また一人、グラシェードへの反逆に気付かれて処刑されていく中で、先の戦争が起きた。
そうして、外へと脱出を目論む浚われた女たちによる反乱軍がもう一つ作られた。それがルーシィ率いる反乱軍だ。
彼女に話を持ちかけられ、現在は合併している状態だと言う。数は多い方がいいからと。
カレンたちの目的は、王の殺害と国の改革。何十年と迫害されてきた、市民層の地位の向上と、治安の安定を図ることだという。
ルーシィたち外の女は、この国の未来に興味はない。だからこそ利権を争わずに共闘ができると言うことだった。
今まで自分のことで手一杯だったが、今の状況を不満に思っているのは連れ去られてきた女ばかりではないことに、ラディーヌはようやく気付く。
突然町に溢れたよそ者に、ドーナ国民も混乱と不満を募らせている。今まで蓄積させてきた不満が、戦争での刺激によって爆発をさせようとしているのだ。
グラシェードの采配は、国全体を揺るがしつつある。
「そういうわけで、情報が入り次第お伝え……」
「おーい、ラディーヌ!」
「ッ!」
ひそやかな会話に割り込む男の声。
二人の間に緊張が走って、一斉にそちらを見る。
カレンと違い、くすんだ金髪の男が大股で近づいてくる。カータレットだ。
カレンを見ればすでに洗濯物を抱えて去り始めている。会話は聞かれていないだろう。いつも通りの意地の悪そうな顔を見て、ラディーヌは苦々しい顔をするしかない。
「やっと見つけた。どーせ迷うんだから寮で待ってろって言ったのに」
「別に、わたし一人でも中庭くらい行けます。ちゃんと、真ん中に向かって歩いてましたし!」
「集合場所と反対だぞ、こっち」
「え」
+++
迷子になることを予想していたカータレットのおかげで、不本意ながら時間通りに中庭に着くことができた。
あまり訓練に適しているとは思えないその場所に集まっていた小隊は、けして人数は多くないのに、全員の背の高さから異様な雰囲気を醸し出していた。
「あ、ラディーヌさん! おはようございます!」
「おはよう、エルヴィス」
一番手前にいた大男がラディーヌたちにいち早く気付く。
相変わらず、叔父であるラグダッドに似ていない表情の豊かさと明るさで、まっすぐラディーヌに向かってくる。
「おいエル、俺にも挨拶は」
「あ、おはようございますカータレット伍長」
「おい」
「ラディーヌおはよー!」
「ぎゃあああ!」
足が地面からぐわんと持ち上がる。脇腹を掴んで“たかいたかい”をされている。ほとんど毎日されていることだが、どうにも慣れない。
「降ろしてください、アロースミス伍長!」
「うんうん、おはようラディーヌ」
話を聞く気もないのか、自らの腕にラディーヌを座らせるとにこにことあいさつをしなおす。
どうしてこう――こう、アロースミスはラディーヌを子供のように扱うのか。
「なにをやっているんだお前たちは。はやく集合しろ」
「……」
呆れたような声音で、スチュアートが声を上げる。
その隣には巨像のように突っ立っているラグダッドが、またガラス玉のような目で空を見つめていた。
声をかけられて、ようやく小隊が一列に並ぶ。
揃ったのを確認して、スチュアートは話を始めた。
「最近、他国の人間がドーナへ侵入することが多い。どこの人間かは知らないが、少なくとも戦争の残党兵だな。人数は……少し多いな、百いくかいかないかくらいだ。おそらく、敗戦国の人間が集合してこちらに向かおうとしている。今日は、その制圧に行く」
「それ、俺達だけっすか?」
「ああ。どうせ大した戦力じゃない。俺の仕事は、やつらをこの人数で制圧して、“ドーナに逆らえない”ことを徹底的に植え付けることだ」
ラグダッド小隊は、ラディーヌも含めてたった六人。その人数に、真っ向から全滅をさせられれば、誰も逆らおうと考えたりはしない。
普通ならば、そんな無謀なことはしない。
だがこちらにはラグダッドがいる。故に誰も、それが不可能であると疑いもしなかった。
この一か月、ラディーヌは思うことがある。小隊の人間は異常なほどにラグダッドへの信頼が厚かった。
その理由はたった一つ。彼の圧倒的な強さ。
百人を相手にしても、きっと傷一つ受けずに勝ってしまうだろう、その実力への純粋な信頼と降伏。それがラグダッド小隊をまとめているのだ。
認めたくないけれど、認めざるをえない。
「場所は、ウェルタールとの間くらいか。そんなに距離はないから、長引かなければ暮れには帰れるだろう」
「失敗した場合は?」
「門の近くに三十人ほどいる。誰かに伝令出して呼べばすぐ来るだろう。まあ、呼ぶようなことにもならないと思うが」
やや適当に指示が飛ばされていく。
これは彼らの自信から来るものだ。
ドーナでも随一の実力を持つ、ラグダッド小隊。チームワークに重きを置いて個人の実力はあまり高くないドーナ軍の中では、彼らは別格だった。
特別に実力の高い者だけを抜き出した特別小隊。その名は伊達ではない。軍に入って三年という、まだ若いミドルトンでさえもその剣術は他の兵の比ではない。
彼らは負けることを予想することもない。
それだけ彼らの実力は強固であり、ラグダッドへの信頼が厚いからだ。
「出発は十時。エルヴィス、アロースミスは剣の整備を。ラディーヌ、カータレットと俺は馬の手配に行く。ついてこい」
「中尉、あと二時間しかありませんよ?」
「十分だろ、大した仕事じゃないんだから」
「中尉ー、バナナはおかしに入りますかー」
「遊びに行くんじゃないんだぞ!」
けして戦に行くような雰囲気でない、呑気なラグダッド小隊。
あまり軽んじるのはどうだろうか、と思わないでもないが、戦争からまだ一か月。
他国はどこも疲弊状態のはずだ。大した装備はそろっていない。
そう判断しているのだろう。そしてそれは正しいはずだ。
「それぞれの仕事につけ。十時になったら門へ移動する」
はっ、と返事が揃う。
ラグダッドが話すことは、結局なかった。
+++
迷子になることを予想していたカータレットのおかげで、不本意ながら時間通りに中庭に着くことができた。
あまり訓練に適しているとは思えないその場所に集まっていた小隊は、けして人数は多くないのに、全員の背の高さから異様な雰囲気を醸し出していた。
「あ、ラディーヌさん! おはようございます!」
「おはよう、エルヴィス」
一番手前にいた大男がラディーヌたちにいち早く気付く。
相変わらず、叔父であるラグダッドに似ていない表情の豊かさと明るさで、まっすぐラディーヌに向かってくる。
「おいエル、俺にも挨拶は」
「あ、おはようございますカータレット伍長」
「おい」
「ラディーヌおはよー!」
「ぎゃあああ!」
足が地面からぐわんと持ち上がる。脇腹を掴んで“たかいたかい”をされている。ほとんど毎日されていることだが、どうにも慣れない。
「降ろしてください、アロースミス伍長!」
「うんうん、おはようラディーヌ」
話を聞く気もないのか、自らの腕にラディーヌを座らせるとにこにことあいさつをしなおす。
どうしてこう――こう、アロースミスはラディーヌを子供のように扱うのか。
「なにをやっているんだお前たちは。はやく集合しろ」
「……」
呆れたような声音で、スチュアートが声を上げる。
その隣には巨像のように突っ立っているラグダッドが、またガラス玉のような目で空を見つめていた。
声をかけられて、ようやく小隊が一列に並ぶ。
揃ったのを確認して、スチュアートは話を始めた。
「最近、他国の人間がドーナへ侵入することが多い。どこの人間かは知らないが、少なくとも戦争の残党兵だな。人数は……少し多いな、百いくかいかないかくらいだ。おそらく、敗戦国の人間が集合してこちらに向かおうとしている。今日は、その制圧に行く」
「それ、俺達だけっすか?」
「ああ。どうせ大した戦力じゃない。俺の仕事は、やつらをこの人数で制圧して、“ドーナに逆らえない”ことを徹底的に植え付けることだ」
ラグダッド小隊は、ラディーヌも含めてたった六人。その人数に、真っ向から全滅をさせられれば、誰も逆らおうと考えたりはしない。
普通ならば、そんな無謀なことはしない。
だがこちらにはラグダッドがいる。故に誰も、それが不可能であると疑いもしなかった。
この一か月、ラディーヌは思うことがある。小隊の人間は異常なほどにラグダッドへの信頼が厚かった。
その理由はたった一つ。彼の圧倒的な強さ。
百人を相手にしても、きっと傷一つ受けずに勝ってしまうだろう、その実力への純粋な信頼と降伏。それがラグダッド小隊をまとめているのだ。
認めたくないけれど、認めざるをえない。
「場所は、ウェルタールとの間くらいか。そんなに距離はないから、長引かなければ暮れには帰れるだろう」
「失敗した場合は?」
「門の近くに三十人ほどいる。誰かに伝令出して呼べばすぐ来るだろう。まあ、呼ぶようなことにもならないと思うが」
やや適当に指示が飛ばされていく。
これは彼らの自信から来るものだ。
ドーナでも随一の実力を持つ、ラグダッド小隊。チームワークに重きを置いて個人の実力はあまり高くないドーナ軍の中では、彼らは別格だった。
特別に実力の高い者だけを抜き出した特別小隊。その名は伊達ではない。軍に入って三年という、まだ若いミドルトンでさえもその剣術は他の兵の比ではない。
彼らは負けることを予想することもない。
それだけ彼らの実力は強固であり、ラグダッドへの信頼が厚いからだ。
「出発は十時。エルヴィス、アロースミスは剣の整備を。ラディーヌ、カータレットと俺は馬の手配に行く。ついてこい」
「中尉、あと二時間しかありませんよ?」
「十分だろ、大した仕事じゃないんだから」
「中尉ー、バナナはおかしに入りますかー」
「遊びに行くんじゃないんだぞ!」
けして戦に行くような雰囲気でない、呑気なラグダッド小隊。
あまり軽んじるのはどうだろうか、と思わないでもないが、戦争からまだ一か月。
他国はどこも疲弊状態のはずだ。大した装備はそろっていない。
そう判断しているのだろう。そしてそれは正しいはずだ。
「それぞれの仕事につけ。十時になったら門へ移動する」
はっ、と返事が揃う。
ラグダッドが話すことは、結局なかった。