六甲山は、西は須磨から東は宝塚まで東西約30kmにわたる山々の連なりを指し、「六甲山地」とも呼ばれます。連山で最も高い山が「六甲最高峰」で、標高は931.3m。他にも多くの山々が名を連ね、市内の再度(ふたたび)山から宝塚市の譲葉(ゆずりは)山までが、瀬戸内海国立公園六甲地域に指定されています。
https://www.city.kobe.lg.jp/a17526/kurashi/machizukuri/flower/rokkou/index.html
古くから寺院や城砦の資材を供給した六甲山麓は、中世にはたたびたび戦に巻き込まれた。南北朝時代には元弘3年(1333年)の摩耶山合戦や建武3年(1336年〉の湊川の戦い、室町後期には応仁の乱にまつわる文明元年(1469年)の兵庫焼き討ち、戦国時代の天正8年(1580年)の花隈合戦があった。
https://rokkosan.center/history
明治新政府成立から約30年が経ち、明治29年(1896年)に河川法、明治30年(1897年)には森林法、砂防法と国土保全に必要な法整備が進み、明治22年(1889年)に市制を施行した神戸市の上水道の水源域を保全するために砂防植林を実施する環境が整ってきた。
六甲山の災害史