2021年11月13日研究発表例会 発表報告

中世真宗における妻の道場運営と後世の認識
―堅田妙専尼と仏光寺了明尼の二人の「坊守」を中心に―

 

板敷真純 奨励研究員 

 中世真宗の道場主の妻は道場主と共に道場を守ることから「坊守」と言われた。「坊守」は特に道場主の死後、道場本尊の管理や道場後継者の指命に深く関与していた。この「坊守」という役職は管見の限り真宗にしか見られないものである。現在でも浄土真宗で「坊守」と呼ぶ場合は真宗僧侶の配偶者を指すことが多い。現在の「坊守」は、特に住職とともに教化に関わること、寺院の管理・運営をなどを行っている。

 本発表では、まず堅田妙専尼の事が記された『本福寺由来記』を用いて中世坊守の活動について論究を行った。その後「長性院性宗覚書」、『渋谷歴世略伝』などを用いて室町期、江戸期の仏光寺了明尼の後世の認識について追及した。その結果、以下の点を明らかにすることが出来た。

①十五世紀前半には妙専尼に見られるように、積極的に仏法教化に関与し後継者を真宗の教えに導く坊守が見られる。堅田本福寺はもともと仏光寺末であった可能性があり、坊守である妙専尼を中心に道場が維持されていたのも荒木・仏光寺門徒の宗風によるものと考えられる。

②十五世紀後半では、了明尼が一道場の坊守に留まらず、法脈相承の先師として門弟たちに大きな影響を及ぼしていたことが分かった。了明尼の回忌法要では周辺の仏光寺末が参詣を行い、歴代の回忌法要時に行う斎をも行われていた。このことは坊守が仏光寺歴代として認識されていたことを示唆している。また江戸期の仏光寺では、了明尼が坊守の寺務代行の前例と見なされていたことが分かった。これらのことはどの時代の仏光寺でも了明尼が特に重視されていたことを示すものである。

 以上のように、道場主の妻たちは主体的に道場の運営を行っており、後世には法脈相承の先師としての扱いを受けて回忌法要と斎が行われていた。そして坊守は道場後継者の教化に関与していた。十五世紀に制作・書写されたとされる『親鸞聖人御因縁』には、坊守を「道場の主」とも記している。同時代の妙専尼などの坊守の活動を見る時、彼女たちはまさに「道場の主」として活動していたと言えるものである。

 しかし坊守の特異性については戦国時代以降のさらなる検討が必要である。また他の仏教宗派の僧の家族関係や、善知識と描写された中世の女性に対する詳細な追及も必要であるように思われる。これらのことは今後の課題としたい。

 

 

インドの宗教的語り芸カターについて

-チャイタニヤ派寺院のゴースワーミー師の事例から-

 

澤田彰宏 客員研究員 

 本発表では、インドの語り芸のカターについて、発表者がコロナ禍以前の2019年に2回実施した現地調査(インドのヴリンダーヴァンにあるチャイタニヤ派ラーダーラマン寺院の司祭であるゴースワーミー師への聞き取り)の事例と現在Web上で得られる情報に基づき報告した。

 本発表で取り上げた「カターkathā」とは、宗教的な語り物(縁起譚)を聴衆に聞かせるある種の「法話・講話」である。語り芸として広く民衆の間に行われているが、一部のバラモンたちも語り手として寺院内外で行っている。

 本事例でのカターの原典となっているのは『バーガヴァタ・プラーナBhāgavata Purāṇa』であり、そのカターはバーガヴァタ・カターとなる。ただし、カターの語り手は原典のサンスクリット語をそのまま用いるのではなく、地域語(本事例ではヒンディー語)で聴衆にその内容(神の行為や言葉など)を自身の言葉で語り、同時にヒンドゥー教的道徳・倫理をも説いている。カターの語り手は基本的に単独で、その技能も聴衆を引き付けるために重要になる。

 カターの場となるのは寺院、信徒の邸宅、ホール、広場などが多く、ゴースワーミー師(以下、師と表記)の事例ではインド各地の会場に出向いている。会場では語り手が中央の演台に着座し、そばに伴奏の楽器演奏者たちが座り、聴衆は語り手に向かって座る。カターの期間は1日~数日間(バーガヴァタ・カターであれば連続7日間)で、朝から晩までになることもある。

 本事例でのカターは師弟の関係を結んでいる信徒を対象としている(これから弟子となりそうな人々も含む)ものが一般的であるため、弟子を持つ師だけがカターを行っている。カターは師と各地に住む弟子が直接会う機会となっていて、その際に師は弟子の悩み(世俗・宗教的双方)を聞きアドヴァイスを与えるという。師がラーダーラマン寺院から得る収入は、輪番の儀礼担当時に参拝者からのダーン(布施)で、その輪番職は現在約2年半に一度のせいぜい数十日の期間のみである。そのため特定の財産を持たない師にとっては、カターの際の弟子からのダーンが重要な収入源になると考えられる。

 現在コロナ禍によるためか、YouTubeやFacebookなどのSNSを通じた多種のカターの配信が盛んになっている。カターの語り手は自身のSNSアカウントへの登録を呼びかけていて、ダーンには電子マネーでの支払いも準備されている。

 カターはバラモンによる講話(声の通り具合、語り方の魅力)と音楽(歌、楽器演奏)を媒体とした宗教(ヒンドゥー教)的なライヴでありエンタテイメントである。叙事詩やプラーナというサンスクリット語の古典文献に普段親しまない聴衆にとっては、カターを通じてその詳しいストーリー(教え)にふれることができる(教化につながっている)。カターの語り手にとっては、各地に住む弟子との交流、新たな弟子の獲得、そして収入を得る重要な機会でもある。

 

 



『トリスタリーセートゥ』における聖地巡礼の特徴

 

                                                                                  宮本久義 客員研究員 

 インド中世のヒンドゥー教徒の聖地信仰が記述された『トリスタリーセートゥ』(Tristhalīsetu)は十六世紀にヴァーラーナスィーで活躍したナーラーヤナ・バッタ(Nārāyaṇa Bhaṭṭa、一五一四~一五七三)の手になる全四巻の書である。プラーナ聖典においてはインド各地の聖地縁起譚が多く説かれるが、聖地巡礼とは何かを論じる書はほとんどない。それゆえ本発表では、プラーナ聖典がほぼ出そろった時期に、プールヴァ・ミーマーンサー学派の学者であった彼が、聖地や巡礼をどのような視座から見ていたかを考慮しつつ、ヒンドゥー教において巡礼に関する何が問題とされたのかを検討した。

 本書は、「三聖地に架ける橋」というほどの意味で、第一巻に当たる「総論」に続き、北インドの三つの重要な聖地、カーシー(ヴァーラーナスィー)、プラヤーガ(プラヤーグラージ)、ガヤーの各巻から構成されている。今回の発表では「総論」の第十一章「聖地巡礼の規則」(tīrthagamanavidhi)、および第十二章「聖地巡礼での遵守規則」(tīrthayātrāyāṃ niyamāḥ)を取りあげ、『トリスタリーセートゥ』における聖地巡礼の特徴の一端を考察した。

 第十一章において、作者は最初に聖地巡礼の大枠の規則(なすべきこと)を取りあげる。すなわち、巡礼予定の者は、①家で断食する。②ガネーシャ神と祖先とバラモンたちと聖なる人々をできる限り礼拝してから出発する。③〔聖地から〕戻って、祖先を敬う。そうすれば、④〔聖地巡礼から得られると〕説かれている果報を得るであろう、という流れである。そのあと、個々の条項を、肯定したり、特例としたりして分けて検討し、さらに上記の規則を補足する規則を精査する。第十二章では、聖地巡礼中に遵守すべき諸規則、とくに浄・不浄の問題、巡礼者の精神的な問題、さらには巡礼中に死んだ場合や、誓願を立てて目的地に向かったが到着せずに帰宅した場合など、当事者がどのように対処しなければならないかが、論じられている。

 作者バッタは何種ものプラーナ聖典を比較して、基本的にはプラーナ聖典の記述に従いつつ、それらの記述から導かれる事柄を総合して判断する姿勢を取っている。ときには疑問点を洗い出し、詳細に自説を展開している。以上の点を見ていくと、バクティ(信愛)やタントラの思想が隆盛する中世の時代にあっても、遵守すべき規則は基本的にはダルマ文献等に説かれた伝統的な教義に従っていることが理解される。