女男石 秋月

講演会で使ったパワーポイント[女男岩の河川技術上の意義](PDFにしました)を追加しました。 https://sites.google.com/site/shimataniyukihiro2/fairukyabinetto

女男石は扇状地の扇丁部の構造物である。扇丁部の治水の要点は、河川の流路固定と旧河道を利用した用水路への配水と考えている。有名なのは山梨の信玄堤や万力林であるが、この女男石もこの類似の構造物とみていいだろう。女男石は、秋月藩家老、堀平右衛門が1620年代に構築したと推定される、近世初期の古い治水施設であり、現在においても機能している点を含め、歴史的に重要な構造物である。

地図を見てほしい、女男石より下流の扇状地面において、小石原川は南側に寄せられている。一方、用水路は扇状地の北面に沿って流下させてある。このように、川を南に固定し、利水をその地点から旧河道に導くための一連の施設の一部が女男石と考えてよいであろう。

湾曲して流れてきた小石原川を女男石にぶつけ、その場所が洪水で破られないようにし(流路が扇状地面の北部に行くのを抑制しと言った方がいいかもしれない)、流路を曲げるための構造物である。あわせて、洪水の流れが激しいため、エネルギーを消散させるために右岸沿いの川底に巨石を多数配置する工夫(現在の工法でいえば根固め水制工)がなされている。女男岩に正確に洪水をぶつけるためには、左岸側の流れの処理も重要であり、絵図に見られる大きな岩を対岸に配している。現在は土砂が堆積し竹林となっているが、おそらく掘ればこの巨石があらわれるものと思われ、これも女男石と一連の水利構造物として重要である。このような工夫をして特別大きな2つの岩である女男石にぶつけたものと思われる。女男岩に正確に水をぶつけていくためにはさらに上流の左右岸側を強固にする必要があるが、巨石あるいは水制などが配置されている可能性があるが、現状ではわからない。調べてみると面白いと思う。

女男石には強い流れが当たるため、享保年間に被災を受けた記録が残っている。天保年間に書かれた望春随筆によれば、3重の護岸になっているようである。是も現状ではわからないが、それらを含めて治水遺構であろう。

また下流に荒川井出と呼ばれる堰があったが、福岡導水により撤去されている。川底には現在も巨石の敷石が見られる。おそらく、女男石が設置された時から、取水されたものと思われるが、詳細はまだ調べていない。

佐賀の石井樋との類似性も高く、同時代の成富兵庫あるいは加藤清正と何らかの交流があった可能性もある。北部九州の近世初期の治水技術を考えるうえで重要な治水遺構である。