萩ノ尾堰

松浦川萩ノ尾堰の井手おとし

先週、松浦川萩ノ尾堰の堰落しと成富兵庫茂安公の遺徳を偲ぶまつりが行われた。堰落しは、稲作が終わり水田への用水が不要となるこの時期に堰の戸板をはずし、水を落とす行事である。堰上流の水が下がると男たちが水の中に入り鯉を捕獲する鯉攻めが行われた。

伊万里市史によると萩ノ尾堰は天文19年(1550年)に築かれた非常に古い石造りの美しい堰である。現存する堰がどの時代に築造されたかはよくわからないが、表面の葺き石の形状などから見ると古い様式をとどめている。葺き石は水流の抵抗に強いように、瓦ぶきのように下流向きに重ねられ、鳥の羽状に下向きに湾曲している。石の一つ一つは大きく、どっしりとし、周辺の水田と河畔林に溶け込んだ姿は、秀逸な風景である。

この地区の松浦川は地形的に低いところを流れており、川をせき止めないと水が取水できない。ここからとられた用水は、「わけば」と呼ばれる、水路の幅により分水する仕組みで、三方に別れ、二本の水路は松浦川の川底をくぐり対岸の平野を潤している。

成富兵庫茂安公は多くの水利事業を行ったが、その中でも技術的な圧巻は、この川底をくぐる「馬の頭」と呼ばれる逆サイフォンである。日本で最古の逆サイフォンは1634年に建造された石川県金沢の兼六園へ水を運ぶ辰巳用水のものあるというのが通説であるが、「馬の頭」はそれよりさらに23年古く慶長16年(1611年)に築造された日本最古のものである。

萩ノ尾堰の水を落としている 成富兵庫の碑