佐渡のトキ研究の話

「トキの野生復帰のための持続的な自然再生計画の立案と社会的手続き、H19-21、環境省地球環境研究総合推進費」の研究代表者としてトキの研究に携わった。

自然再生計画を立案するためには、トキの生活史を理解することが基本であるが日本には野生のトキが存在しないため、環境省は過去の佐渡島の生息情報を基に小佐渡東部を野生復帰の対象範囲に選定していた。しかし、実際に放鳥してみると佐渡島全島にトキの確認情報は分布している。以前用いられた情報は、トキの個体数が減少し、追い込まれた時点でのトキの生息地の情報である。

そのため、行動範囲が異なったのではないかと考えている。筆者らの研究グループは営巣可能適地および餌生物の生息可能ポテンシャルを求めることにより、自然再生適地を推定するという手法を用いた研究を進めた。

営巣環境に関しては国立環境研究所の永田さん(現、新潟大学)が、中国の営巣情報を基に、ロジステイックモデルを用い適地推定を行った。国中平野を除き佐渡全島が営巣適地となる結果となった。すなわち営巣地は生息地の制約条件とはならないことが明らかになった。次にトキの餌となるドジョウ、ヤマアカガエル、イナゴなどの生息可能ポテンシャルを東京大学の宮下先生、九州大学の河口先生(現、徳島大学)がモデル化した。参考にドジョウの結果を示した(図―1)。左図に現状の生息予測を、右図に生息ポテンシャルを示している。右の図は現状の生息可能性モデルの水路のネットワークを改善した計算結果である。水路ネットワークを改善すると生息可能性は高まることがわかる。ドジョウの生息可能性は谷筋などの小規模沖積地、加茂湖周辺、国中平野、羽茂地で高くなることが分かる。イナゴやヤマアカガエルなどに対しても同様の図を作成したところ、加茂湖、国中平野、羽茂地、猿八などが餌生物の生息ポテンシャルが高い地域と推定された。

2008年及び2009年に放鳥されたトキの個体の分布データを見ると、トキの分布と餌のポテンシャルの対応はかなり良好となっている。北部の大佐渡地区への飛来は少ないものの、佐渡全土での生息可能性は否定できず、佐渡全土を野生復帰の対象エリアとすることが望ましいという結果になっている。

次に地域計画の具体的な対象と方策であるが、餌場環境としての農地対策、トキをブランド化した農業・観光・産業政策、トキの生息に配慮した社会資本整備、トキが暮らす地域としての景観計画、エコを基本とした環境・エネルギー政策、環境教育などがあげられる。全ての項目について計画的に進展しているというわけではないが、佐渡市の将来を考えると全ての政策をトキと関連付けることにより個性的で、方向性が明確な地域計画になると考えられる。佐渡市では「トキと暮らす美しい島佐渡の未来像」をキャッチフレーズにエコアイランドとし、これらの方向性を模索しながら政策が進められている。

特に農業に関する取り組みは進んでおり、ふゆみずたんぼの実施(水田を冬季湛水しドジョウなどの生物を増やす)、江の設置(水田の端に江とよばれる水路を設け7月の中干し時に生物の避難場所とする)、休耕田などのビオトープ化、魚道の設置、ビオトープと水田の連携などを行っている。これらの手法は餌生物量を増加させることが私たちの研究においても定量的に明らかになっている。現地調査に当たっては当研究グループ、農水省、県の振興局、市などが協力して調査を実施している。調査地点、調査手法も事前に打ち合わせ情報の共有化が図れるように調整されている。この結果、研究成果が速やかに施策に反映できるようになっている。

また、佐渡市では朱鷺と暮らす郷づくり認証制度を開始し米のブランド化を進めている。その認証要件は①佐渡市で栽培された米であること、②栽培者がエコファーム認定を受けていること、③農薬、化学肥料を慣行栽培の5割以上削減していること、④生き物を育む農法(江の設置、ふゆみずたんぼ、魚道の設置、ビオトープとの連携のいずれか)により栽培されたものであること、⑤生き物調査を実施していることである。この認証制度は、トキの餌生物の増加を誘導する要件になっており、生物多様性の保全と農業政策が融合した政策として評価できる。またその他、生き物育つ森づくり、河川の自然再生なども県や国と協力しながら積極的に取り組まれており、きわめて興味深い。

以上のように生物を中心とした地域づくりは、これまでの地域計画論とはかなり異なり興味深い内容となっていることがお分かりいただけたであろう。佐渡島では認証制度などを活用しながら、人の暮らしと生物多様性がつながる仕組みが徐々に構築されつつある。このような取り組みは決してスムーズに展開されたわけではない。私たちの研究グループでは、東京工業大学の桑子先生をリーダーとした「トキと社会」研究チームを結成し、この問題に取り組んできた。「地域の課題」「トキの放鳥のメリット・デメリット」「トキを地域の課題にどのようにつなげることができるか」などについて地域の中で様々なステークホルダーと話し合いを積み重ねてきた。そのワークショップは談義という名前で呼ばれ、農業従事者、漁業従業者、福祉関係者、商工関係者、学校関係者、市役所職員、県職員、地域高齢者、小中学生などのステークホルダー別に3年間で43回約1500人の方々と話し合いを重ねたのである。このチームは研究者、学生、環境省自然保護管、農水省職員、岩首地区の住民で構成され、談義には市の担当職員、県の担当職員も随時参加し、そのプロセスの中でチーム内の問題意識が共有されていった。私たちの研究だけで、現在の状況が達成されてとは考えていないが一定の役割は果たしたと考えている。佐渡市をはじめとする行政機関やNPO団体など多くの関係者の努力と協力が中心になって、現在の佐渡の状況が出来上がっている。以上のように、生き物を中心とした地域計画は人々の暮らしそのものが計画の対象となるため、ステークホルダーとの社会的合意形成はきわめて重要な要件である。