焼米ため池

国道34号線を佐賀市から武雄方面に走り、北方町に入ると右側に大きな堤防が見えてくる。焼米ため池である。又の名を龍王池と言い、ここの海童神社では古くから雨乞いが行われていた。堤防に登ると、広い水面と、対岸にこんもりとした森が見える。美しい神秘的な風景である。平野の方を見ると、六角川が見える。下を向くと、焼米堤防のすぐ下まで泥の線が見える。満潮の時には六角川を通じて、そこまで潮が上ってくる。ため池から、流れ出た水は、国道の下をくぐり、さらに六角川の下をサイフォンでくぐって、福富町までを潤す。

江戸時代中期、福富新搦干拓事業が完成し、1790年に福富新村が誕生する。これにより白石平野の水は不足し、龍王池が建設されることになる。1799年に建設が決まり、1800年に完成、その早さに驚く。ため池で湖底となる人家が23軒、田畑13町歩の移転問題では揺れたようである。当時は六角川の上を、幅1.5m程度の木製の水路で渡し、船の通行時にはその水路の一部を開けて通行料を取り、水路の維持管理にあてたようである。

さて、ため池の対岸には、水面から森へと立ち上がる階段があり、その奥に玉垂宮がある。本来は裏山がご神体であったろうと思われるほど小さな古い石造りの社が岩の上にのっている。旧暦12月14日の満月の夜、火をたく厳かな祭りがある。いわゆる月神信仰である。大きな干満差を持つ有明海の住民にとって潮の満ち干は、生活に何より密接で、満ち干と関係する月への畏敬は大きかったろうと思われる。

私も武雄に来て、大潮・小潮、干潮・満潮など潮の状態がいかに川の管理と密接につながっているのかを学んだ。満月、新月の時には干満差が大きくなり、台風が来ると高潮の危険がある。満月、新月が近づくと台風よ来ないでくれと願ったことが何度もある。

注:今回は北方町の地元の方のお話に基づいています

玉垂宮

焼米のため池