夫婦掘(めおとぼり)

白石町を西から東に寄り添うように流れる二つの水路がある。地元では夫婦掘りと呼んでいる。北側が永池溜池および朝日ダムからの用水で、南側が焼米溜池から配される水である。このシリーズで、焼米の水は福富を潤すと書いたところ地元から、焼米の水は福富まで行っていませんよという電話をいただいた。そこで、詳細に調べてみることにした。白石町史の図面を見ると、確かに永池からの水は福富まで送水されているが、焼米の水は横手、築切、太原への用水で、福富までは到達していない。焼米の水は永池からの水路をくぐり、しばらくその水路に沿って流れ南東に配水されている。

それではなぜ、焼米からの水路はわざわざ水路をくぐっているのだろうか?

永池溜池は成富兵庫築造の3段の溜池で、焼米溜池よりもさらに古い溜池である。平成9年には県営防災ため池工事が完成し、一部堤防のかさ上げなども行われ、利水容量に治水機能を付加した大きな容量を持った溜池である。焼米の溜池ができるまでは、永池溜池が白石平野を広くまかなう水源であり、江戸時代干拓の進展にあわせて、水路も福富のほうまで延長された。延長に伴い水が不足する地域が生じ、そこに新しい水源を与えたのではないだろうか。もう一つ考えられる理由は、溜池の標高が焼米は永池より低くく、標高の低い地域に沿って送水せざるを得なかったのではないだろうか。疏導要書に焼米の堤について次のような記述がある。「塘床の地形低くそれに従い水道をも低き上、中途に六角江ありて、水引の勝手悪きにより部越といい、水筧(かけひ)を渡して中郷まで2里ばかりの所に水を引けるに最初の目算と違い道のりも遠く、殊に中郷の地面高くして、廻水思わしからず」とある。標高が一つの理由であることを傍証している。

このような理由で焼米の水は永池の水の下をくぐり、2つの水は寄り添って流れている。歌垣で名高い杵島山の下に、縫いの池に水が湧き、その先に、ピッタリと背中合わせの夫婦堀が流れる。なんとロマンティックな風景ではないか。縁結びの新コースになってもよさそうである。