アザメの瀬

アザメの瀬自然再生事業報告書のまえがきです

アザメの瀬自然再生事業の経緯と成果

2001年に自然再生推進法が成立し、国土交通省河川局においても自然再生事業が始められることになった。その、最初のプロジェクトの一つが「アザメの瀬自然再生事業」である。私は2001年7月に武雄河川事務所の所長として赴任したが、それ以前は建設省土木研究所の河川環境研究室に20年以上所属し、自然再生事業の先駆けとなるプロジェクトにいくつか関係してきた。霞ヶ浦、宍道湖の湖岸帯の再生、多摩川の河原の再生、まだ委員会の段階であったが北海道の標津川の蛇行再生などである。

事務所に赴任して数カ月たって、九州地方整備局から自然再生事業にふさわしい場所はないのかという問い合わせがあった。当時、用地買収に入ろうとしていたアザメの瀬がプロジェクト対象として相応しいのではないかと考えた。アザメの瀬は、松浦川の中流部に位置し、左岸側には立派な堤防があるが、右岸のアザメの瀬地区は無堤地区であり、毎年のように氾濫に見舞われる地区であった。アザメの瀬より約3km上流に駒鳴という狭窄、大蛇行部がありその場所のショートカット事業が当時そろそろ完成を見るところであった。この狭窄部より上流は氾濫常襲地帯であり、ショートカットにより、駒鳴上流部の松浦川の水位は1.0-2.0m程度低下し、水害が大幅に低減するため、駒鳴分水路は上流地区の悲願のプロジェクトであった。しかしながら、このショートカットを行うと下流側の水害が増える危険があり、下流部との合意形成のため駒鳴プロジェクトは20年以上の時間を要していた。アザメの瀬は最後に残った下流の氾濫常襲地帯で、この場所の治水対策を行ってはじめて、駒鳴部の新水路の放水が可能になるという時期であった。 アザメの瀬の治水対策は堤防方式や買収方式などさまざまな手段が検討されたが、最終的に用地買収により河川敷地内に遊水区域として取り込むことによりなされることが決まった。

このような状況の中で、アザメの瀬のプロジェクトは開始された。当時の国土交通省の河川局岡山河川環境課長から「自然再生事業は、地域の要望があってするものであるから、地域の人と十分に話し合いながら地域からの盛り上がりがあればやってよい。」との指導があった。このような経緯でアザメの瀬自然再生事業は始まったのである。

アザメの瀬の自然再生事業は自然再生推進法に基づかない、国土交通省の事業としての自然再生事業である。自然再生推進法に基づく自然再生事業は協議会を設け、自然再生計画を立案し、科学的なデータを基礎とし順応的に管理するプロジェクトである。私はこの手続きに対して、いくつかの疑問を持っていた。科学的という点が強調されすぎること、メンバーは学者が中心であり地元の多様な意見が反映されにくいこと、自然再生計画を立案するのにエネルギーがかかりすぎ、計画立案後は計画に縛られ柔軟な変更が大変であることなどである。そこで、アザメの瀬では自由参加を基本とする検討会方式とし、学識者はアドバイザーとし検討会の外側に位置付け、自然再生計画書のようなオーソライズされた計画書は作らず、検討会で議論し計画を順次変更していくという方式で検討が進んだ。アザメの瀬は、対象地区の面積が比較的小さく、プロジェクトが1つの町で完結しており、コミュニティーがしっかりした地域であり、また国の関係機関も国土交通省のみであるという特徴に対応した方式である。アザメの瀬自然再生事業ではこの検討会方式は有効に機能したと評価している。

アザメの瀬の自然再生の目標は氾濫原生態系の回復である。氾濫原とは河川下流部に広がる低地のことで、梅雨時には河川の氾濫の影響を常に受ける湿地のことである。日本では古来、氾濫原は水田として利用されてきた。多くの氾濫原に依存する生物は水田および用水路、ため池などを生活の場とし、水田生態系として維持されてきた。

氾濫原生態系の特徴は、雨期に水、土砂、栄養塩、有機物、生物などが河川から移動、拡散することによって成りたっている生態系である。したがって、氾濫原では氾濫の頻度と強度が極めて重要である。しかし、現在では河川改修による河床の低下、圃場整備による水路の人工化などにより川から水田や周辺の池や湿地などへのつながりは無くなり、氾濫原生態系は大きく劣化している。松浦川アザメの瀬では、雨期には川から氾濫流が湿地に流れ込む氾濫原生態系の仕組みを再生を試みたのである。

松浦川中流部は、比較的自然が豊かな農村地帯であり、事業当初、自然再生事業に地域住民の方々が賛同するかどうかを大変心配した。しかし、多くの住民の方々は、過去に比べて生物が大幅に減少していることを残念に思い、自然再生を希望した。一昔前は水田や河川で魚貝類を採って遊び、生物と触れ合っていた。その遊びは年長者から年少者へと伝えられ、生き物を介して人と人のつながりがあった。遊びで採った魚貝類は、生活の糧にもなった。昔の水田はいったん雨が降れば川からの水で水没し、多くのナマズやフナ、ドジョウが産卵に来ていた。しかし、現在では河川改修による河床の低下、圃場整備による水路の人工化などにより川と水田のつながりは無くなり、それらの魚貝類は激減し、それと同時に人と人のつながりも薄くなっていったのである。

そこで、アザメの瀬では、水田の標高を切り下げ松浦川とアザメの瀬の水の連続性を再生した。出水の時には、アザメの瀬の下流部の切れ込みから水が流入し、その水に乗って多くの魚が産卵に来るなど氾濫源に依存する生き物の生息場が再生された。これは、雨期に河川から氾濫原に水、土砂、栄養分、生き物などが移動、拡散し、そこに生態系が成り立つというような氾濫原生態系のしくみそのものが再生である。

本報告書は、我が国の自然再生事業では初の本格的な成果報告書である。本書は計画、施工、維持管理、研究など網羅的にアザメの瀬の経過を報告している。生物調査の結果は氾濫源に依存する生物が着実に定着し、北部九州における氾濫原に依存する生物の拠点となりつつあることが示されている。また、施工時の詳細な報告が記載されていることも特徴である。本報告書が地域の方々にアザメの瀬の成果を知っていただく一助になるとともに、今後の自然再生事業の参考になることを期待している。

最後に、この事業に係わった多くの方々に感謝するものである。