新しい公の創出(2005)

この文章は2004年に神戸でシンポジウムがあり、その時のワークショップで「新たなる公」というセッションのコーディネータを担当した。その後に、兵庫県立大学の岡田真美子先生に依頼されて書いた文章に若干手を入れたものである。すでに5年を経過しているが、最近、新しい公が話題になっているので、多少は参考になるかもしれないのでここに掲載する。

新しい公の創出

神戸で行われた「空間の継承と再生」というシンポジウムの中で、「新しい公の創出」というワークショップが開催された。筆者は、このコーディネーターとして参加したわけであるが、きわめて興味深い、示唆に富むワークショップであった。ここでは、そのワークショップで展開された話題を中心に新しい公についてそこで議論されたことに基づき、考えて見る。

1.背景

私が専門とする河川の分野では、平成9年に河川法が改正され、河川管理の目的に治水・利水に加え環境が位置づけられるとともに、計画立案時に地域住民の意見を聞くことが法律に記述された。この記述は、住民参加という観点から見ると十分とはいえないが、計画に住民が関与することを認めた法律として社会に少なからぬ影響をもたらし、好意的に受け入れられている。河川事業は、長良川河口堰や徳島の第十堰などの反対運動を経験し、地域住民や住民団体の理解を得ることの必要性と重要性を学習してきたことがその背景にある。また、河川は基本的に公共物であり、公の空間であるために、住民参加がやりやすい、あるいは反対運動がやりやすい空間といえるのかもしれない。全国的に見るとまだまだ事例は少ないが、小さな河川においても、住民団体と行政が対立を乗り越え、話し合いの結果、計画が改善された例も見られる。住民団体と行政担当者が協力しながら川づくりを行っているところもある。

このようなパートナーシップ、話し合い、協働などの動きは、河川のみならず、街づくりや、地域づくりについても、大きな社会現象となっている。これまで、「おおやけ」の仕事と思われていた、公共事業の計画立案や、公共施設の管理などにも、一般住民やNPO法人が関与するような事例も現れてきている。このような社会の変化は、「公」と「私」の関係性の変化と捉えることができる。

このような変化に対応するため、従来の「公」もそのあり方を変化させる必要がある。しかし、いわゆるこれまでの「公」に属する行政担当者は依然として、過去の前例や役割にとらわれることが多く、新たなシステム作りや柔軟で意欲的な取り組みが十分にできていないのが現状である。

2.公とは

公について辞書(新明解国語辞典)で調べてみると、公(おおやけ)と公(こう)の二つの項目に分かれている。これらの二つは少し意味が異なる。おおやけはもともと、大宅(おほやけ、大きい家)であり、天皇家、朝廷の意である。そこから派生し、「官庁または組織体」「一個人としてではなく、その属する機関・組織の構成員の一員としてかかわること。」という意味が生じてきたと考えられる。一方、音読みの公(こう)は、漢語であり、会意文字で「八印(開く)+口」で、入り口を開いて公開することである。(漢字源、学研)すなわち、おおっぴらであることより、包み隠さないこと、私的ではないこと、偏らないことという意味へと発展し、「公平」「公正」「公明」「特定の個人に関する事でなく、一般に関係した事」という意味を持つようになっている。現在一般的に使われている公はおおやけの意味であり、新しい公は音読みの公(こう)、「公平」「公正」「公明」などへの公の意味への展開を図ることと考えればよい。

3.新たなる公

新しい時代にふさわしい、新たなる公についてここで定義してみたい。ここでは公(こう)の本来の意味に立ち返り、誰が行うか、あるいは誰のものかということではなく、「行為、空間などが、国民に公平に、公正に、開かれていること」を新たなる公とし定義したい。すなわちこれまでの公(おおやけ)の考え方は、公的な機関が行う行為あるいは所有する空間のみが公であったが、価値観の変化や社会の変化に対応し、公の領域を拡大することができる定義へと転換させる必要がある。シンポジウムでは「みんなに、みんなで、みんなの」という新たなる公への転換が必要であるという、分かりやすいキーワードの提案があった。

それでは,まず公の母体の拡大について考えてみたい.ひとつは私の公化についてである.近世あるいは昭和初期までの自治組織は,防犯,消防,さまざまな人間関係のケア,子供の集団的な教育ひいては大規模な土木事業も行う,半公的な組織であった.役所が関らない細かな問題にまで,半公的な立場で関った.人間関係のわずらわしさや,役割の固定化などの弊害もあったが,役所との間を埋める役割を果たしていた.農村部では依然として自治組織が機能しているところもあるが,都市部では自治組織の役割は縮小し,子供会さえ無い地域が増えている.昔の自治組織を現代の社会にそのまま再生することは無理があるが,昔の組織を参考に新たな仕組みを作る必要がある.たとえば昔の自治組織が持っていた半公的な機能をひとつの組織で受け持つのではなく,多様な仕組みによって受け持つことなどの工夫が必要であろう.すなわち多様な公,多層な公である.NPO法人や様々な市民活動などが,新たな公の担い手として考えられるが,学生のさまざまな活動がまちづくりや川づくりにひとつの力を与える事例も現れており,企業や学校なども公的な側面を担うことが必要であろう.

次に空間の公化について考えてみたい.私が子供のとき過ごしたのは高知や高松などの地方都市であった.近郊には自然が豊富にあり,自転車などで遊びに行くのは,野や川であった.しかし,日常的な遊びは,都市内のちょっとした空間であった.特別に作られた公園などの公的な空間というよりも,ハラッパや空き地,神社の境内など私的な空間であった.場合によっては,工場や資材置き場なども子供の遊び場として機能していた.現在ではそのような空間は柵で区切られ,子供たちが使えなくなっている.このような私的な空間を公的な意味合いを持つ空間へと変えることも考えてよい.また,私的な空間と公的な空間の境界も重要である.境界空間は本来公共的な意味合いを持っているはずである.東京の下町の路地を見ると,植木鉢や腰掛などが置かれ,小さな子供たちが遊ぶ公とも私ともいえない,曖昧模糊としたほっとする空間がある.地方の農村部にいくと,屋敷と道路や農地との境界が美しい花壇や生垣で彩られているところ見ることができる.これらは,当然,境界を区切るという意味も持っているが,人に見られる,人に見せるという公的な意味も持ち合わせている.ブロック塀はまったく味気ないもので,公と私を完全に区別しており,他人に対するサービスは皆無である.たとえ私的領域であっても,境界は公的な意味を持っていることを再認識することが必要であろう.

次に行為の公化について考えてみたい.母体の拡大,私空間の公化とともにさまざまな活動を公的な活動に組み込む必要がある.人々の価値観が多様化し,公的サービスの多様化が必要となってきている.また,市民が自分の手によって周りの環境を改善し,維持したいという希望も増えてきている.このような社会状況に,現在の公すなわち行政がすべて対応することはおそらく不可能であろう.市民団体やNPOあるいは個人のレベルの活動は,健康な高齢者の増加,社会的な活動への国民の関心が増大する中で増えてくるであろう.このような活動のうち公的な位置づけを与えたほうがより適切なものは社会が公的な位置づけを与えるべきであろうし,活動が盛んになるような誘導策も必要となるであろう.市民が公共工事を自らの手で行った筑後川の「台霧の瀬プロジェクト」に新しい公の姿を見ることができる.このプロジェクトは筑後川に昔の瀬を取り戻そうと市民団体やNPO法人,国土交通省などが企画したプロジェクトである.このプロジェクトの興味深いところは,工事の施工までボランティアによりやってしまったところにある.メンバーの一人である施工業者の市民が重機を持ち込み,多くの住民と川の再生工事を実施した.河川の中に大きな石などを設置し,昔見られた自然の形状に近い台霧の瀬が再生された.江戸時代には,公共事業の一部は普請として,地域住民が行っていた.公が行う御普請と自治組織が行う自普請があった.現代において工事まで,住民が行うのは難しいかもしれないが,公共施設の維持管理,保育,介護などさまざまな分野において私的な活動が公化し,より使いやすいものにして行く必要がある.

以上のように母体,空間,行為などそれぞれの切り口において多様な,多層な公,すなわち新たなる公の創出が必要である.また,従来の公的な立場の人が新しい時代にふさわしい.新たなる公に対応可能な,柔軟性,やわらかさ、意欲横のつながりを持つことが何より望まれている.