第44回地域院生研究フォーラム
日時:2025年4月5日(日)13:30~18:00
会場:18号館4階コラボレーションルーム4
報告者(敬称略)・論題・要旨
1) 板倉渉(地域中南米)「サンディニスタ政権の人民外交─1980年代における米国人活動家との越境的ネットワークの構築─」
本報告では、1980年代における米・ニカラグア関係を考察することを通じ、ニカラグア革命政権(以下、サンディニスタ政権)の外交政策の特色を明らかにする。サンディニスタ政権は反共主義を掲げる米国のロナルド・レーガン政権と対峙する道を進み、約6年にわたって米国の介入を受け続けた。もちろん、米国とニカラグアの間には厳然たる国力の差が存在しており、国家間交渉を行う余地もほとんどなかった。それにもかかわらず、サンディニスタ政権は10年以上もの間、自国の体制を守り通した。
では、サンディニスタ政権はどのようにして米国の圧力を回避し、生存を図ってきたのか。本報告では、国家間のやりとりではなく、米国の世論に直接アプローチする「人民外交」という外交手法が鍵になったと主張する。サンディニスタ政権は米国人活動家との連帯を訴えかけ、ボランティアとして自国に招聘するなど、越境的なネットワークの構築に注力してきた。そして、このサンディニスタの外交政策は市民的な交流を促進し、活動家たちを介入政策不支持へと傾けていった。
2) 橋本藍 (地域アジア)「為政者と科学者―ティムール朝時代のサマルカンドにおける天文学研究とウルグ・ベグ―」
ティムール朝(1370–1507)の第4代君主ウルグ・ベグ(Ulugh Beg、1394–1449、在位1447–49)は、サマルカンドを中心とした地域を支配する為政者であると同時に、天文学や数学の素養を有する科学者の側面を持ちあわせていた。ウルグ・ベグはサマルカンドにマドラサと天文台を建設して天文学や数学の研究と教育の場を設け、これらの学問を奨励し、研究成果を『ウルグ・ベグ天文表』にまとめ、イスラーム科学史において大きな功績を残した。本発表は、ウルグ・ベグの主導したサマルカンドの天文学研究活動を、ティムール朝の為政者に共通する文化奨励の一環としてティムール朝文化史研究に位置付けるとともに、ウルグ・ベグがただのパトロンでなく優れた能力を有する科学者として研究活動に参加していたことを指摘する。さらに、ウルグ・ベグという為政者と科学者の両方の特徴を持つ人物が、科学者たちに影響を及ぼし、サマルカンドの天文学研究の発展に寄与した様子を考察する。
3) 岡田祥寛 (人社イスラム学)「知の定義はいかになされ得るか─ジュワイニーとその周辺─」
「知ʿilm」の概念はイスラームにおいて最も重大な位置の一つを占め、同宗教の名を冠して呼ばれるいくつもの学問がそれを多様な仕方で問題化してきた。カラーム(≒思弁神学)文献では、それを主題とする一連の議論がはじめに置かれることが多く、そこでは、学によって探求される知のあり方から「知る者ʿālim」たる神の性格まで、様々に論攷されてきた。本発表では、とくにアシュアリー派(アシュアリー(936年歿)を名祖とするスンナ派イスラームの神学派)における「知の定義ḥadd al-ʿilm」にかんする議論を取り上げる。先行研究によれば、初期の同派はさまざまな「知の定義」を発表し、互いの主張を戦わせていたが、ジュワイニー(1085年歿)らによって、知の定義がいかになされ(得)るのか、という反省が加えられるようになる。しかしこうした図式的な理解は、いくつかの思想(家)を排除して成り立つものであり、したがって当の論争の詳細な状況を提示するには至っていない。本発表では、それらに目を向けつつ、アシュアリー派における「知の定義」論の思想史を再検討する。
院生交流会
司会:穂原(地域文化研究専攻東欧小地域博士課程)、胡(地域文化研究専攻地中海小地域博士課程)