第39回地域院生研究フォーラム
日時:2022年9月28日(水)13:00~17:30 及び 2022年9月29日(木)13:00〜17:30
会場: オンライン(Zoom)
報告者(敬称略)・論題・要旨
9月28日
1) 堀洸太郎(地域地中海)「古代末期シリア・キリスト教文学における救済史叙述の変容— 『財宝の洞窟』から『擬メトディオスの黙示録』へ —」
7世紀末にシリア語で執筆された『擬メトディオスの黙示録』は、世の終わりにイスラームの支配からキリスト教世界を解放し、王権を神に返上するビザンツ皇帝像を喧伝したことで知られる。かかる皇帝像のモチーフは絶大な人気を博し、ギリシア語訳をはじめラテン語訳、アルメニア語訳、古代教会スラヴ語訳などを通じ、後代の黙示文学において広く受容された。一方で、シリア語原典は聖書外典の人物や救済史の時間枠組みなどにつき、『財宝の洞窟』(6世紀中葉〜7世紀初頭)を典拠としていることが指摘されているものの、両著作の比較研究は不十分な状況である。本報告では6〜7世紀における合性論派の教会史的状況を踏まえつつ、時代区分と年代計算という要素に絞って『擬メトディオスの黙示録』がいかに『財宝の洞窟』の救済史叙述を利用したのかについて考察したい。
2) 渡辺元裕(南欧文学)「『神曲』における教皇描写と悔悛ーヤコポーネ・ダ・トーディ『ラウデ』との比較から見えてくることー」
ヤコポーネ・ダ・トーディはダンテと同時代を生きた俗語詩人であり、ダンテと同様に教皇ボニファティウス8世の敵対者であったという共通点を持ちながらも、ダンテが『神曲』を含む自らの全ての著作において一切言及をしなかった興味深い人物でもある。ダンテがヤコポーネに関する一切の言及を残さなかったという事実そのものは、古くから研究者たちの興味を惹きつけてきた一方で、ダンテとヤコポーネのテクストを比較対照して何かを見いだすという研究は、これまで十分に行われてこなかったと言える。そこで本報告はダンテとヤコポーネのテクストの重なり合う部分や異なる部分を原典に即して検証する。その際『聖書』や神学的な文献にも目を配りつつ、作家の「自己検閲」という問題を意識しながら、ダンテが『神曲』において行った教皇批判を相対化し、同時代の文学史上においてどのように位置づけ得るのかを明らかにする事を目標とする。
3) 関口麻緒(地域地中海)「14世紀ヴェネツィアの奢侈禁止条例と女性」
奢侈禁止条例とは、13世紀からフランス革命のころまで、イタリア各都市を含めヨーロッパ各地で発令された、衣服や宝飾品などの奢侈品および宴の規模などの規制に関する条例の総称である。しかし、その効力は薄かったものとされることが多く、この類の条例発令は「失敗に終わった」と断じる研究者も存在する。また、その上で奢侈禁止条例が発令された背景や目的を明らかにしようとする研究が多い。本報告では、14世紀のヴェネツィアで発令された奢侈禁止条例に注目し、当時の社会情勢と合わせて、ヴェネツィアで発令された奢侈禁止条例の目的と社会的意義を探る。また、14~15世紀以降、イタリア各地で規制対象が女性の奢侈に偏っていくという現象が先行研究によって指摘されており、ヴェネツィアもまた同様である。そのため、女性の奢侈品消費が批判された背景やその社会的意義を考察することで、当時の女性に対するヴェネツィア社会の態度や女性の社会的立場に言及する。
4) 堀本大貴(地域アジア・日本)「會澤正志齋の行政改革論」
江戸時代後半、水戸德川家に仕えた會澤正志齋は藩主・德川斉昭の信任を受けながら、儒学者としても活躍しつつ、藩政に関与した。とくに、1830年代に行われた天保改革では郡奉行として実務も経験したほか、儒学の知見を動員しながら政策論を展開した。正志齋をはじめとした水戸学の政策論は「尊王攘夷」論のように幕末海防論としての側面を有しているが、一方では水戸德川家や近世日本が直面した内政上の諸問題への処方箋としての側面も有していた。本報告では、主に後者の側面に着目しながら、天保改革に際して斉昭からの下問を受けて執筆した『對問三策』(1837年)およびその関連著作を中心に、正志齋の一連の政策論が有した政策的含意のみならず、その理論的含意を明らかにすることを目指す。
9月29日
5) 趙楚楚(地域アジア・日本)「英仏揚子江巡航事件(1869~1870)における外省督撫の対応--交渉現場からみる清王朝の対外交渉」
1861年、イギリスとフランスは、清王朝との新しい対等な外交関係の開始を期待し、対外交渉を扱う専門の機構「総理各国事務衙門」を北京に設けさせた。しかし清王朝との交際の中で、北京に駐在する英仏諸外国の公使たちは、総理衙門が外国との紛争への対応を遅らせたり、避けたりしている、ということに気付き始めた。総理衙門のその傾向が、特に中国の各地に起きた教案(キリスト教排撃案件)では顕著であった。これに対し、フランス代理公使ロッシェシュアルは、1869年末に砲艦を率いて長江流域を巡視し、自ら各地の地方長官と交渉して、未解決のままの案件を解決することを決断した。本報告ではこの事件を取り上げ、①フランス公使が北京を離れて直接地方長官と交渉したことを、総理衙門がどのように受け止め、対応したか、②各地方官は到着したフランス公使とどのように交渉したかということを分析したい。これを踏まえて、清王朝の対外交渉の一面を具体的に明らかにする。
6) 上田圭(地域フランス)「タルド思想における「自発性」概念の検討——フランス・スピリチュアリスムの社会学的延線に向けて」
19世紀においては客観的な科学の影響力が飛躍的に拡大し、従来は特権視されていた人間心理をも物質に還元する唯物論や形而上学を排除する実証主義の風潮が伸長したが、これらに対する批判的な(ある意味では保守的な)応答として、改めて「精神」が実在することの擁護に回る諸々の形而上学的議論がフランスでは登場した。それらはひっくるめて一般に「フランス・スピリチュアリスム」と呼ばれている。19世紀フランスで活躍した社会学者であるガブリエル・タルド(1843-1904)は科学者を自認し、当時の科学理論を豊富に参照することで自らの社会学理論を構築した人物であるが、その思想の内には「精神」の実在を肯定するスピリチュアリスム的な発想が潜んでいるように思われる。本発表では「自発性」という、主観や人格に先立って存在する心的な活動性を鍵概念とすることで、タルドの思想を19世紀フランス哲学、とりわけスピリチュアリスムの文脈において捉え直すための糸口を模索する。
7) 苅部真也(地域アジア・日本)「戦後日本への朝鮮人による「密航」と地域社会ーー国境の「第一線」としての長崎県を中心に」
帝国日本の崩壊後、朝鮮半島からの渡航者は、日本およびGHQによる治安維持の観点から厳しい取締りの対象となった。これにより、親族や地縁をつたった「越境する生活圏」が犯罪としての「密航」として捉えられることとなる。本研究では、朝鮮半島からの「密航者」が到着する主要な地域の一つである長崎県(特に対馬島)を対象に、「密航」の実態、および地域における住民を動員した取締り体制を分析した。また、「密航」は常に朝鮮半島と日本の政治・経済状況に左右されてきたことを踏まえ、日韓国交正常化がもたらした影響や長崎・対馬の産業構造の経過など「密航」の動向を左右する背景についても考察を加えた。「密航」の取締りが必要とされてきた長崎・対馬であったが、それらの地域自体は高度経済成長が本格化する1960年代でも労働者を多く抱えられるほどの産業構造が強かったわけではなく、あくまで中継地でしかなかったことから、「密航」が朝鮮人コミュニティを維持することにつながらなかった。
8) 金希妍(地域アジア・日本)「「文化の国境」と「民族」がもたらす関係性について:日本の武道(剣道)を習う在日コリアンの事例からの考察」
本研究は、「在日コリアン」のうち、日本武道である「剣道」の経験者を対象にインタビュー調査を行ったものである。現在、「剣道」をめぐり、日本と韓国では歴史的、文化的、政治的な理由から対立関係のまま、その公式的な交流がほぼ断絶している。日本の武道である「剣道」をそのまま伝達する(変容を認めない)方針である日本側(以下、全日本剣道連盟)と「剣道」を競技として発達させたのは日本であると認めつつ、「刀」の起源を大陸から経由したとみなし、「剣道」の日本起源説を否定しながら、より「剣道」のスポーツ性を強調する(変容を認める)韓国側(以下、大韓剣道連盟)の対立は、国境を超えて、日本で剣道を習っている在日コリアンにまで影響を及ぼしている。そこで本研究では、在日コリアンの剣道家がどのような経緯で剣道を習い始め、実際彼らが剣道を習うことで体験する民族的・文化的体験が、彼らの人生にどのような影響を及ぼし、また、両国の関係においてどのような思いをもたらしたのか、について考察する。彼らのライフヒストリーを通じて、国と民族の対立が、個人のアイデンティティ形成にもたらす影響について考えたい。
司会:清野(地域文化研究専攻地中海小地域博士課程)、鈴木(地域文化研究専攻日本小地域博士課程)