第42回地域院生研究フォーラム
日時:2024年4月7日(日)14:30~17:00 /4月13日(土)14:30~17:00
会場: オンライン(Zoom)
報告者(敬称略)・論題・要旨
1) 板倉 渉(地域中南米)「ニカラグア革命政権の広報外交ーーFSLNとコントラ戦争をめぐる米国世論の形成ーー」
1979年7月、中南米の小国ニカラグアで親米独裁政権が倒れ、サンディニスタ民族解放戦線(Frente de Sandinista Liberación Nacional: FSLN)により革命政権が樹立された。アメリカ合衆国政府はこれを打倒すべく反革命勢力の動員工作を行い、ニカラグアではコントラ戦争と呼ばれる内戦が始まった。中南米諸国は米国の介入を幾度となく受け、超大国の力に屈してきた過去を持つ。そのためニカラグアの革命もすぐに崩壊するかに思われたが、実際には1990年の選挙でFSLNが下野するまで体制は維持され続けた。このような状況の背景にはニカラグアの主体的かつ巧みな外交が存在しており、これはまた冷戦末期における第三世界の姿をありありと映し出している。
本研究は、1980年代におけるニカラグアと米国の外交闘争について分析を行い、ニカラグアの外交政策の特色を明らかにするものである。特に米国市民をアプローチ対象とした広報外交に焦点を当て、コントラ戦争をめぐる米国世論の形成過程にFSLNがどのように関与してきたのかを明らかにする。
2) 川人 準 (人社西洋史)「9世紀地中海におけるビザンツ帝国の海上交通:アラブ人のクレタ・シチリア征服の意義」
827年、ビザンツ帝国領だったクレタ島とシチリア島にそれぞれアラブ人が上陸し、両島はその後数十年をかけて征服されたが、その後ビザンツ帝国は960年に奪還するまで幾度もクレタ島への遠征を繰り返した。このアラブ人によるクレタ・シチリアの征服は、地中海の海域史の転換点としてすでに注目されてきた。その中でクレタ島はしばしば「東地中海の交通・支配の重要拠点」とされてきたが、一方でクレタ島が容易く占領されたという事実は、これまで考えられてきたビザンツ帝国のクレタ島への評価や島嶼防衛のあり方に見直しを迫っている。本報告は、アラブ人征服の前後におけるビザンツ帝国のクレタ島への評価とクレタ島のビザンツ帝国の中での位置付けについて、ビザンツ側の年代記や聖人伝、『戦術書』の他、遺構・発掘史料などを用いて考察する。その際、ビザンツ帝国の海軍の運用と海上政策、そして海上コミュニケーションの観点を交えて検討することで、中世の地中海地域におけるクレタ島の意義を明らかにすることを目指す。
3) 佐藤 優音 (地域中南米)「サハラパタク土器から見たアンデス形成期末期の社会動態」
本発表では、アンデス文明形成期(紀元前3000-紀元後1年ごろ)の末期(前250-後1年)の社会動態について、サハラパタク土器と呼ばれる土器タイプの分布域に着目して考察する。形成期末期とは、前時代にアンデス地域広域に大きな影響力を持った第神殿の活動が停止したことによって、各地域が新たな地域内・地域間関係を再構築する時期であった。アンデス各地では地域内の統合が強まり地域外との緊張が高まった一方で、北部中央高地に位置するワヌコ盆地では、盆地外との対立ではなく交流を増加させるという傾向が確認されている(Matsumoto 2020: 117)。形成期末期のワヌコ盆地は、末期社会の多様なあり方を示す興味深い事例であるにもかかわらず、地域横断的な研究の不足などが障害となり、これまで十分な研究がされてこなかった。
そこで本発表では、形成期末期にワヌコ盆地と近隣地域で見られるサハラパタク土器の分布域に着目する。各地の調査報告の情報を収集・比較を通じ、従来想定されていたよりも多様な地域と交流があったことや、地域によって交流の密度にも差異があったことについて報告する。
4) 荒井 恵由(地域アジア・中国)「19世紀前半のガリツィアにおけるアイデンティティ形成」
本研究は19世紀前半、ハプスブルク領ガリツィア・ロドメリア王国におけるアイデンティティ形成に関する研究である。ハプスブルク君主国は、1772年から3度に渡るポーランド分割によって新たに得た領土をガリツィアと名付け、この地をウィーンが支配する直轄地として再編しようとした。ガリツィアはポーランド人、ウクライナ人、ユダヤ人など様々な民族と文化が混合し、また分割によって国境線が何度も変更されたため地域としてのアイデンティティが不安定であった。そしてガリツィアを支配するアプローチは18世紀後半のマリア・テレジア、ヨーゼフ2世による啓蒙専制主義改革と19世紀前半のメッテルニヒによるウィーン体制に至るまで、その時代の思想基盤と連動して変化する。このような背景からガリツィアという言葉そのものが複雑で幾重も移り変わる意味を蓄積していった。
今回の報告では、19世紀前半に見られたガリツィアにおける地域アイデンティティの形成と、ドイツ人官僚のポーランド化を例に人々のアイデンティティ形成の様相を検討する。
司会:穂原(地域文化研究専攻東欧小地域博士課程)、胡(地域文化研究専攻地中海小地域博士課程)