下記の通り地域院生研究フォーラムの第13回研究会を開催しました。
今回は、翌週の専攻シンポジウムに向けて、テーマ「コスモス・幸福・愛」に関する研究発表を募りました。
10名程の院生が出席し、発表者やコメンテーターと議論を行いました。
日時:2015年6月20日(土) 14時から18時
場所:18号館4階 コラボレーションルーム1
テーマ:コスモス・幸福・愛
発表者・発表題目:
1. 佐藤龍一郎(地域文化研究専攻 フランス科 博士課程)
「聖なる愛と俗なる愛:中世末期を中心とした愛の図像の諸相」
<報告概要>
本発表では、中世の愛の図像の諸相を聖なる愛と世俗の愛という視点から紹介、考察することを試みた。中世の愛をめぐる図像は、世俗の愛を下位に、聖なる世界の愛や価値観を上位に置く明確な上下関係に置かれ、それを反映していたのか、を再検討した。まず、結婚を主題としたヤン・ファン・エイク作《アルノルフィーニ夫妻の肖像》を扱い、そのフォーマットとしてアダムとエヴァの結婚を示唆した。そこでは、聖なる世界の愛をモデルとし、上位に置く世界観を再確認できた。次いで、大英博物館蔵《パレード用の楯》を考察した。そこでは、貴婦人に愛を捧げる騎士と騎士を捉えようとする死の擬人像が描かれているが、その図像の構図が当時頻繁に描かれていた聖母子と祈祷者、祈祷者を聖母子にとりなす守護聖人の二連画の構図を踏まえていることを指摘した。その上で、本作品が聖なる世界の出来事をモチーフとした作品のパロディであると示唆した。そこには、聖なる世界の価値観に従属するのではなく、世俗の世界の愛を笑いながらも肯定する態度を見て取れる。最後に、愛の贈り物としての巾着を取り上げ、その巾着に描かれる図像、また、巾着自体が性的なメッセージを含意していることを、写本ミニアチュールを扱いながら論じた。そして、それが《ユスティニアヌス法令集》写本における夫婦像のミニアチュールにも描かれることから、教訓的・規範的な図像においても、性的なモチーフを描くことで、それを茶化す図像となりえたことを示唆した。以上の考察によって、中世において愛をめぐる図像が世俗の愛を下位に、聖なる愛や世界観を上位とする図式に還元できるわけではなく、ときにその序列が逆転し、あるいは世俗の愛のみが前景化するという様子を概観することになった。
2. 新津厚子(地域文化研究専攻 中南米科 博士課程)
「『開かれた傷口』とチカナ・アート」
<報告概要>
本発表では、グロリア・アンサルドゥアによるメキシコ/米国の境界のメタファー「開かれた傷口」概念をもとに、根源的な矛盾と多様性を追求するメキシコ系アメリカ人(チカナ)女性たちの主張・価値観・芸術表現について考察した。具体的には、壁画・絵画・詩を参照し「開かれた傷口」「境界」の理解を進めた上で、痛み・笑い・矛盾によって独自の文化潮流を築こうとしたメキシコ系の美的感性「ラスクアチスモ」について議論を行った。またチカナ女性たちの抑圧の三位一体(母・淫売・聖母)を解体する諸表現へも接近した。これらの考察から地理的・身体的・性的・精神的な差異や矛盾を包含しうる「開かれた傷口」と「愛」概念の接合を試みた。
コメンテーター:
1. 矢ヶ崎紘子(地域文化研究専攻 地中海科 修士課程)
<報告概要>
佐藤氏の発表においては、貴婦人・騎士・死、聖母子・祈祷者・聖人(仲介者)の図像にみられるように、ある分離を前提しそれを超えようとする愛の表現が提示されたと思われる。新津氏の発表では、チカナの諸表現、特にアンサルドゥアの詩を通じて、フロムのいう「孤立感を克服するが、自分の全体性を失わない」愛、分離を超える幸福への端緒が示された。本参加者は、仲介者としての死や傷という解釈、壁画表現のもつ社会的プレゼンスなどの観点から質問を行った。
2. 倉澤正樹(地域文化研究専攻 アジア科 修士課程)
<報告概要>
今回の発表者のお二人の研究手法は、図像分析を核としている。図像分析をする際の留意点として、研究者は「深読み」(=解釈をし過ぎる)と「浅読み」(=表面を撫でただけ)の間においてバランスを取らねばならない、という問題がある。言語資料ではなく図像資料によって特定の概念や思想(例えば、今回のシンポジウムのテーマである「コスモス・幸福・愛」など)について語ろうとする際は、あくまで示唆の範囲を出ない。文学・思想・歴史学などの研究領域とは異なるチャレンジを感じた。
司会:渡辺惟央(地域文化研究専攻 フランス科 博士課程)