黒部川小屋平ダム及び第2発電所1999

●黒部川小屋平ダム及び第2発電所1999

伊達美徳

DATE,Yosinori(正会員 都市計画家)

黒部川の電源開発は、大正期になって高峰譲吉博士がアルミ精練の電力を求めたことに始まる。1927年の柳河原発電所を第1号として今日まで、日本電力から関西電力へとひきつがれて、次々と困難な環境を克服してづけられ、かつての深山幽谷の秘境は、今や産業基盤と観光資源に転じている。

黒部につくられた多くの土木構造物等の中で、1936年完工の黒部第2発電所と小屋平ダムの設計には、日本電力の土木技術者と共に建築家の山口文象(1902-78)が重要な役割を果しており、建築史上でも重要な位置づけにある現役の近代土木遺産である。

●国立公園にふさわしい構造物とは

その完工当時の日本電力の土木部長斉藤孝二郎は、雑誌「国際建築」(1938.9)へ次のように寄稿している。

『近代的な大規模の水力発電が盛んに行われる様になって二十年になるが……堰堤、取水口、沈砂池、水槽、発電所等の設計は外形上大概判で押した様に型に嵌ったもの許り多く……付近山水の景趣は兎も角、構造物自軆は如何にも殺風景…』

そこで国立公園にふさわしいものにするために、黒部第2発電所と小屋平堰堤の『外観の調整設計は總てを建築家山口蚊象君に依嘱したのである』

その山口は同じ誌面で続いて言う。

『国立公園であるため構造物は凡て「自然」と融和し、發電所には茅の屋根を、堰堤は土橋の如く、そしてコンクリートの肌には蔦を這わせては、などという意見が監督官庁からでたが……コンクリートであるがために、又鐵の構造物であるがために、「自然」に受け入れられないとは謂えない。問題はその構造物の機能性格が偽りなく自然に表現されているかどうかに懸かっている…』

その間の景観論争を物語るデザイン変遷を示す多くのスケッチが描かれている。

●近代建築及び土木史の貴重な遺産

山口はこの設計の直前にドイツに留学(1930-32)し、建築家w.Gropius (bauhausの創始者)のもとで学び、「国際建築様式」という当時の最先端デザインを第2発電所の建築に持ち込んだ。

機能と構造を抜群の優れたプロポーションで表現し、建築界の注目を浴びた卓抜な意匠は、見事に黒部川のランドマークとなっている。

今ではこの様式で現存するものは極めて少なく、近代建築史上でも貴重な遺産となる作品である。

山口文象は日本の著名な建築家としては珍しく、関東大震災の内務省復興局で東京の清洲橋や数寄屋橋などの「装飾設計」、その橋梁課長田中豊の紹介で日本電力の技師長石井頴一郎のもとで黒部、箱根、庄川のダムの「調整設計」、すなわち今日でいう「シビックデザイン」にも携わった。

上流の小屋平堰堤、水門塔なども山口がデザインしている。発電所が「機能主義」ならば、こちらは対照的にマッシブな曲面構成の「表現主義」系の意匠である。

興味深いことには 、山口の留学目的には小屋平ダム設計の調査もあり、1931年10月にカールスルーエに滞在して、Karlsruhe工科大学に水理学者Dr.Rehbockのもとで、流砂とダム形態について実験もして指導を受けている。

建築家と土木家とが景観から構造までにわたって協力し、近代日本を代表する造型にまで高めた努力を、これからのシビックデザインにも生かしたいものである。

○参考資料「建築家山口文象 人と作品」(RIA建築綜合研究所・相模書房)

注:この小論は1999年土木学会の会誌に掲載した。