2012年08月04日(土)
テーマ:ブログ
二年前の新学期から、瀋陽日本人教師の会はおかしくなった。
それまでの代表の多田さんが帰国してしまったが、直ぐにほかの大学で職が見つかって新学期から瀋陽に再び戻ってくることになって、多田さんがまた代表をしてくれるだろうと誰もが思っていた。
ところが着任が遅れたことと、職種が変わったことを理由に多田さんが代表継続を固辞して、代表のなり手がなかったようだ。私は、妻の病がとうとう重くなって、教師の会に出られなくなっていた。
その時てを挙げたのが宇野さんだった。
それ以来のことは、私はあまり教師の会の集まりに出られなかったので状況ははっきりしていない。対外的には評判を落とし、対内的には、無気力集団に化しつつあるのを、時々見ていただけだ。
それで昨年の新学期が良い機会だったが、「誰もやりたがらない代表を自分で進んでやりたいという宇野さんこそ貴重な存在だ」と、その時の副代表の松下さんが強力な後ろ盾となって、宇野さんが二年目の代表に選ばれた(残念なことに私は日本出張が重なって、9月も、10月、11月も会合に出られなかった)。
そしてまた一年。教師の会はあんな代表を選んだ集団だと評判を落とし続け、集まりでは上辺だけ笑顔で繕った、白々しい付き合いが続いてきたような気がする。
私は何をしていたかというと、教師の会が日本語資料室を持ちこたえるよう、事実上たった一人で努力を続けてきた。もちろん、会員にも、資料室のオーナーにも、そしてうちの学生さんたちにも助けられた上のことだが。
さて、あと一ヶ月で新学期だ。今度はどうしたものか、どうしたらよいかと思っていたら、会員の中にさすがにこのような状況に我慢できず、代表を変えようという動きが出てきたみたいだ。
教師の会の代表は会を代表する顔であると同時に、会員が快適に集まれるよういつも気を配る役だ。自分は代表なんだと嬉しがっているだけでは、皆から信任が得られるはずがない。二年間、代表をやってもそれを理解出来なかったなんて、可哀想な人と言うしかない。
2012年08月02日(木)
テーマ:ブログ
昨日のうちに今日は朝から夕方まで、大学は停電となるという知らせがあった。
マイナス80度とマイナス40度のフリーザーに入れるためのドライアイスを手配して、資料室の本の整理に行きたいと劉さんに連絡した。昔から大学で停電があるときは、資料室にはよく出掛けていたのだ。
いま、資料室に行きたいのは停電を逃れて快適に勉強をするためではなく本の整理のためである。
今日は朝から小雨だった。屋上の宝来は濡れた身体で資料室にやってきて、遊びたいと言って甘え掛かるものだから、こちらのズボンは何時もぬれたままだし、手は始終洗いに行かないといけないし、しかし、丸一日傍にいたので宝来もすっかりくつろいでいた。
今日は、日本の女流作家の本に黄色ラベル(と、小説の時は緑のラベル)を付けて著者の頭文字を書き入れ、中国関係には赤いラベルを付けた。
サイエンスものには青色のラベル。いつの間にか右手の親指の腹には四筋の切り傷が出来てしまった。痛い。
朝8時から夕方5時まで仕事をして、あとは翻訳もの、日本語の勉強関係のもの、コミックスのラベル貼りが残っている。
あとはどういう色の組み合わせにしたものか。研究室で昔使っていた色ラベルの残りを利用しようと思いついて、最初から出たところ勝負みたいに始めたのだ。白いラベルが使いにくいのが分かって使える色ラベルが一色減ってしまった。
帰りにうちに寄ってシャワーを浴びてから、ラボに来た。設計しなくてはいけないPrimerがまだ幾つかあるが、今日は疲れたから、明日にことだ。大して意味のないブログを書きに来ただけ見たい。こんな日もありってところだ。
2012年06月29日(金)
テーマ:ブログ
資料室の移転は、お店の契約が8月末までなので未だ先のことかと思っていたら、6月中に店を明け渡したいとのこと。
従って資料室の本を運べるように段ボールの箱に詰めないといけない。それで、教師の会の人たち数人に当たってみたのですが、今は学期末で講義、試験、採点で大忙しでそんな時間は取れない、7月に入ればねという大方の返事だった。
この間資料室に行ったとき、ちょうどあった空き箱の本を入れてみて、この大きさの段ボールが20個あれば全部収まるという計算をした。その時本を詰めた感覚に基づけば20個くらいなら私だけでも詰められるかな。教師の会の人たちが来なくても、やるしかないと思った。
それでも院生の暁艶の助けを仰いで、水曜日の朝資料室に行った。
ぼくたちが行くとお大喜びの宝来はもう7ヶ月の青年で、成犬なみの体格に育っている。大きな檻が前後に大揺れで、早く出してくれとせがむので、しばらく宝来と遊んで作業に取りかかった。
本を段ボールの箱に詰めるのは、確かに大したことはないすが、この本を詰めた箱を動かさないといけない。それが大変。直ぐに気付いたオーナーの甥の于さんが、運び役を買って出てくれたが、最初数回運んだだけでも、それがそのあとずっしりと身体に応えた。
以前は本だけで6千冊近くあったし、本棚、什器、諸々の財産が沢山あって、資料室の移転はおおごとだった。今は幸いスリムで、ぼくたち二人と于さんが2時間強働いただけで、パッキングは終わった。
日本語の教材として紙芝居みたいに絵が描いてある厚い紙が沢山あったし、カセットテープも沢山出てきた。この二年間全く使われていなかったようなので、処分することを提案しよう。
それにしても、この二年間を思い返してみると、以前とは資料室の位置が変わってきたようだ。つまりみんなの心の中で大きな位置を占めなくなったみたいである。一つには集まることの出来る大きな部屋がないこともあるし、生活スタイルが変わったためだろう。
以前は中国で教師をすることは大変なことだったと思う。その中で顔を合わせて助け合うことは大きな意味があったに違いない。でも、中国が変わってきて、ここで暮らすことに大袈裟な決意が必要ではなくなったのだ。
資料室の意味を考え直すときが来たのかも知れない。
実際、資料室の移転のために本を詰めたこと、移転は業者に依頼すること、移転の後の本の整理にお手伝いをお願いしたいことを書いて会員に送ったが、丸一日半経った現在、誰からも、何の音沙汰もない。
それぞれが期末で忙しいのだおるけれど、これが教師の会における私と資料室の立ち位置を暗示しているように思える。
2012年06月28日(木)
テーマ:ブログ
瀋陽日本人教師の会の資料室は、いまは中国人のお店・千品軒に置かせてもらっているが、このお店の不動産の持ち主が代わったので、千品軒自身が追い立てを食ってしまった。
朱紅飛さんによるとお店は別の場所を探そうにも、瀋陽は今でも不動産景気がつづいていて何処も異常に高値の上に、しかも再開発が常に進行している。今度お店を出す場所はその先変わらないことを見極めたいので、簡単ではないとのことだ。いずれ、次のお店にも資料室を一緒に置くつもりだけれど、その店を探すのは時間を掛けたいと言うことである。
一方で、千品軒の朱さんは北の方に住んでいるが、都心の交通事情が悪化して、年年通うのに時間が掛かるようになったし、犬も飼っているので自宅を引っ越したいと言って、探していた。瀋陽市の南を流れる大河の近くに、十二年前に開発された住宅団地があり、そこが気に入って、部屋を借りることにして5月末には越した。
六階建てで、屋上がありこの一部は六階の住人に附属しているので、つまり屋上庭園付きで借りられる。
今瀋陽で一戸建てに住む人は政府高官以外にはあり得ない。市内で、このように庭園を持てるなんてすばらしいことだろう」。
案内していただいたが、百平方メートル以上の広さの屋上に東屋も造ってあるし、リンゴ、桃、杏などの果樹が育って果物を付けているし、自分が食べる野菜を育てるには十分な広さの畑もあるし、ゴールデンレトリーバーの宝来が走り回れる広さだって十分あるし、宝来の身になってすっかり嬉しくなった。
さらに屋上に一部屋あって、ここに、資料室の本を入れることは可能ですという提案があった。本をここに置けば本は活きるが、一方で人が出入りして迷惑を掛けることになる。それで資料室の閉鎖の間はうちの教授室に置くしかないかと思っていた。
でも教授室が60平方メートルあるといっても、本を本棚に入れて閲覧を可能にする空間は取れない。6月の定例会では、一応そうやって資料室は閉鎖と言うことになったが、本が生きることに飛びついて、私の独断で、新居の一室を本を置くのに使わせていただくことにした。
バス停からも近いし、安全性抜群な立地ですので、ここに来る教師たちの安全も大丈夫である。
この新居の佇まいがすっかり気に入って、私もこういうところに住みたい。家賃を尋ねたところ、毎日、水だけで活きていくなら、住めそうだ。
2012年03月13日(火)
テーマ:ブログ
気が進まないながらも昨日の午後は教師の会の3月の定例会に出てきました。
ちょうど日本から、石井先生が訪ねてこられたので、出席して良かったと思います。
石井先生は1998年から瀋陽の遼寧大学に勤務して、2000年には資料室を作り上げた先生ですよね。ぼくたちが瀋陽に来て教師の会に参加したときの代表が石井先生でした。
会員に対する思いやりに満ちた接し方、自分の責任で始めた資料室を黙々と整備して教師の会の使用に供していた石井先生の献身ぶり、をずっとみながら手伝ってきたのが、今のぼくの資料室への思い入れに繋がっています。
この資料室があったことが、この瀋陽の教師会が中国で唯一、教師の会としてまとまった活動を続けていられる原点であるとぼくは認識しているのです。それと、石井先生の背中をみて育ったという自覚が、一旦消滅した資料室の再興に、朱紅飛さんから一室の提供の申し出を受けて、傾注しているのだと思います。
こういったことなどを思い出せば、教師会からぼくが離れてはいけませんね。
石井先生は今年の1月8日にそれまでの寧波の学校での日本語教師を辞めて日本に戻ったそうです。
でも、中国の留学生が中間業者に搾取され、しかも、日本の大学院を目指しながら研究生という段階で留め置かれたままふるい落とされる現状を憂えて、その改善のために日本の日本語学校で無駄に時間を金を捨てないよう、そして目指す大学院を受験できるような道筋をきちんと付けようと、今は努力中だとのことでした。
定例会のあとの懇親会でも石井先生の話を聞いて、多くの先生たちは深い感銘を受けたようでした。ぼくよりもずっと年上の石井先生の頑張りに、ぼくも大いに刺激を受けました。人生は終わりのない旅。。。
2012年05月19日(土)
テーマ:ブログ
先週の土曜日には教師の会の定例会があったが、体調が良くなくて欠席した。4月の弁論大会は教師の会挙げての支援行事なので、参加してお手伝いしたが、責任者でもないので欠席しても良いと思ったのだ。
そのあと、撫順の学校で日本語教師をしている鈴木貞夫先生から電話があった。
鈴木先生は今年度、つまり昨年9月からの会員で、私は11月の集まりにやっと出席したくらいだったでお互い知っている程度の関係である。
「この間の集まりに、先生、出なかったでしょ?」「ええ」と、返事。
「私も出席しなかったのですがね、そのあと、出席した先生から、宇野代表が、『今日は山形先生も、鈴木先生もいなかったので、スムースに出来ました』と言ったと聞いたのですが、知っていますか?」「いいえ」
つまり、非常に失礼なことだと言って怒っている。
会の代表が公式に皆の前で発言して良い科白ではないだろう。あとの食事会で隣の人にささやいたのでろうか。それなら、まあ、笑って済ませて良いことだ。実際、本当のことだろうし。
でも、そう言うと、「いえ、公式の発言の途上で言ったと言うことです。こりゃ、怒って良いことですよね」
公式発言なら、問題にして良い、当然。
この次、皆が集まったところで、このような発言があったかなかったかを確認するところから、始まるのだろう。
でも、今の代表の宇野さんならそう言うことを言いかねない人だし、良識のない人だからそれがいけないことだと分からない人だし、そうなると、辞めるよう不信任を突きつけることになる。
二十人弱の集まりで、こんな風にごたごたするなんて残念だが、資質のない人が代表でいることが問題なのだろう。
2011年12月24日(土)
テーマ:ブログ
教師の会は仲好しクラブなので、長年ずっと会計監査の必要もなしにやってきた。
私は長らく執行部を助けてきましたけれど、昨年度に新しい代表が立候補して選ばれて以来、会の運営に全く関係がなくなりった。会員は平均二年で変わる。それで、会の統一見解というか、決まりというか、モラルを受け継ぐために、古い会員のわたしは必要なときに色々と思うところを述べてきた。
12月の定例会のときに幸い会計係から、一人で会計の全責任を負うのは負担だし、会計監査を置いた方がよいのではないかという申し出があって、定例会でその提案が認められした。誰かやる人はないかという司会の言葉に志願して、会計監査を担当することになった。
と言うわけで、教師の会に貢献することが出来るようになったが、うんと控え目にしないといけない。某国の世代交代時期の粛正を見るまでもなく、権力者はそれ以前に力を持ったものの存在を好まない。会の運営は新しい人たちに任せよう。
まだ今期が始まったばかりだが、会計係の石井仁先生は前期の終わりに帰国予定なので、今は前期の途中だが、資料室に集まった。
数年前に、会計を一般会計と特別会計に分けた。以前は教師会の会計基盤を強くするために、本を出版するなどして資産を増やす努力をした。その後は、特別会計に特に入金を計っていないので、毎期繰り越しのとき、前々期の繰越金を特別会計に入れるようにした。
今は、特別会計は資料室の本を増やすことに使って良いことになっている。今度の休みの前に、会員に本を増やす努力をお願いしよう。
資料室に集まったついでに、会員から要望のあったコピー機の修理が定例会で認められているので、私たちのいる時間に業者に来て貰った。
午後は資料室でやることを全部終えて、そしてオーナーにお茶をご馳走になり、いろいろとまた古代文字の話を伺った。
あ、今日はクリスマスイブなんだ。
2011年12月12日(月)
テーマ:ブログ
12月10日土曜日に開かれた12月の教師の会の定例会では、研修が一つ組まれていた。この研修は、教師の会の昔の集まりでは、時々やっていた。
前期の終わりに、教師会の集まりの一体感を作るためにも、教師が瀋陽にいる目的のためにも、次期からは研修を再開しましょうと、私は全員に訴えた。
それで9月から始まったけれど、粟野先生による初回の研修にも出られず、私が研修に参加するのは今度が初めてだった。演者は東北育才外国語学校の中谷先生で、話題は「敬語について」だ。
日本語の敬語は外国人による日本語学習の中でもっとも難しいものだ。だって、それに相当するものがないのだもの。でも、この敬語の使い方が身につかないと、日本語はマスターできない。
それで、日本語教師はこの教え方に努力してきたわけだ。今日の話は、敬語の教え方を従来法と、新しい教え方に分けると、日本語学習の初心者には、新しい教え方が遙かにわかりやすいというものだった。従来法が何かはわたしは知りませんが、この新しい方法は、わたしが聞いても、すっと理解出来るものだった。
敬語は、尊敬語、謙譲語、丁寧語の三つに分けるが、この謙譲語を分からせるのに、「受け手尊敬」という考え方を導入するという。相手に対して自分を下げて(へりくだって)、相手を上げることで尊敬する言いまわしになるという捉え方だ。丁寧語は、「聴き手尊敬」と、考えるとわかりやすいらしい。
実際、説明を聞くと、なるほど、と納得できる。それにしても日本語の先生たちは新しい概念を教えるために、大変な苦心と苦労を重ねている。
聴衆のひとりから「あなた」という言葉は相手に対して失礼だと言って教えているそうだが、という発言があった。中国で日本語を教えているけれど、日本語教師が本職ではない人のようだった。
確かに、学生がやってきて「先生、あなたは、、、」なんて言われたら鼻白む。だからといってあなたは相手に対して失礼な言葉じゃなく、尊敬語だ。普通使わない理由として、知らない相手、あるいは目下と思われる人には使って良い、しかし名前も知って人には、使わないのが普通だ、と言うことだろう。
と言うわけで、会員の日本語教育に対する熱意には感心した一日だったが、宇野代表が懇親会で述べた言葉はいただけない。
懇親会で皆が挨拶をして最後が宇野代表だったが、話しの結びが、「まだ言いたいこともありますが、『他の人も色々と言ったので』、え、ま、これで。」でした。
ここの『他の人もいろいろと言ったので』は、『他の先生がたも色々とおっしゃったので』でしょうね。そうじゃないと、とても失礼なはなしだ。代表だからと言ったって、若年の宇野さんが遙かに年長の尊敬すべき先生方に言って良い言葉ではない。
宇野代表は本当に日本語教師の資格があるかどうか、疑わしい。
2011年12月11日(日)
テーマ:ブログ
久しぶりに瀋陽日本人教師の会の定例会に出た。今期になって4回目の会合二初めてでたわけだ。知らない顔ばかりというのは大袈裟だが、3分の1の人は初対面だった。
会合に出られない間は、教師会の議事録のブログを見ていたが、「1. ○○について」「2. △△について」というような記述だけで、何を議論して何が決まったかが書いてない。
それでも昨日の集まりで、弁論大会に関して気になる話しが出た。大会で審査をして、1-3位を入賞と評価して表彰するが、入賞しなかった学生から、順位と点を教えて欲しいと言われたそうだ。
それで、いままで散々議論して、公表できない理由はないと言うことで、聞かれれば結果を公示することにしたという。
わたしはこの議論に参加していないので、決まったことに文句を言ってはいけないが、結果を知らされていなかったと言うことを盾にして、自分の意見を言った。
『1から3位までは恐らく6人の審査員の評価がだいたい一致するでしょう。しかしそれ以下は、審査員ごとに大分違うでしょう。つまりStudent t-testを計算すると信頼が置けない数値となるのではないかと思います。
審査員は教えるプロの日本人教師から3名、日本人会から2名、中国人教師から1名という配分ででています。日本人会からでる審査員は専門家ではなく、どのような信条で点を付けるのかは、非専門家の私には良く分かります。
つまり、教師の会が責任の持てる採点は半分の人数なのに、外部に公示してその内容に教師の会が責任を負うというのは、やり過ぎだと思います。
つまり科学者の眼から見ると、責任の追えない数値なのに、それを自分の責任で発表するのはやり過ぎなのです。と言うか、明確に言うと、間違いです。
点数を公示するとすべての参加者がそれを知り、審査会にでていた他の人たちの意見も加えて、この点と順位はおかしいではないかと言い出す可能性があります。
そんなことないでしょ、というのはナイーブすぎますね。私たちはいつもすべての可能性を想定しなくてはいけません。』
それでも、多くの人たちから攻撃を受けた。自分たちが議論して決めたことに何で門外漢が文句を付けるのかという感じを受けたのだが。
もし、学生、父兄、その先生たちから、これはおかしいじゃないと言われたときに、教師の会でない人たち半分の審査員も含めた結果の責任を教師の会がどうやって取れるのか、とれっこなないのに、今の教師の会に人たちは、とても不思議なひとたちだと思う。
公示しない理由は何かと聞かれて、答がないので公示することにしたというのが、理由みたい。そう言うのが理由になるのかな。
集まりで、多くのひとたちが語気も鋭くこう決めたのだとぼくにいう以上、わたしは言いたいことは言ったのだから、もう結構。
わたしは、採点結果の公示とその結果は日本人会の責任であることを日本人会に明確に伝えるようと、この会で司会と代表に念を押して、お終いにした。
2011年09月21日(水)
テーマ:ブログ
2011年度の教師の会の初めての定例会は、私はちょうど日本への出張の時期と重なり、出席できなかった。
年度の初めての会合で代表を決めるので、そこにいない私は代表選出については何もできなかった。あとで、前期の宇野代表がまた自薦で立候補し、ほかに立候補も、他薦もなく、宇野さんが今期の代表になったという。
9月17日付けで宇野さんからメイルが入った。
皆様
本日の定例会および歓迎会、お疲れ様でした。
よりよい教師会を作り上げていくために努力して行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
これに対して私は、9月21日に以下のメイルを送った。
宇野先生
ご連絡をありがとうございます。
今期も代表をされると言うことですが、前期のあなたの行動は、あなたが代表にふさわしくないことを皆に示していました。その批判を教訓に、今年は是非、成長して欲しいと思います。
代表は会員のために奉仕するための存在であることを、まず認識して下さい。会員からの声には誠実に対応して下さい。「俺は代表なんだ」と浮かれるための代表ではありません。
集まりで出合ったら、きちんと挨拶をしましょう。挨拶をしないのは今の若者だからでしょうか。しかし日本の社会では、挨拶をしないのはその人を認めていないと言うことなのですよ。大人になる訓練だと思って、教師の会ではその日に初めて会った先生たちには、目をそらさないできちんと挨拶をしましょう。心のこもった言葉で挨拶をしましょう。
瀋陽日本人教師の会は、日本語教育の(あるいは研究の)経験を積んだ、知性も品格もある先生方の集まりです。それを代表するのにふさわしく、振る舞って欲しいですし、ほかの方々、ほかの団体、組織の代表の前で、それにふさわしい話をして下さい。日本人会の人たちから、批判を聞かされて、教師の会の会員としてあなたが代表であることに恥ずかしい気持ちを何度も持ちました。
草々
山形 達也