なぜ放送大学の学生になって、心理学の勉強をしているのか?
今からこの歳で心理学の勉強を始めるには、放送大学に入るのがほとんど唯一の選択肢だろう。家にはBorder CollieのかわいいZophieがいるし、毎日気楽に出かけて学生生活を満喫するわけにはいかないのだ。
放送大学だと勉強はうちにいても出来る。
時には、教室に出掛けて先生から直接授業を受けたり、実験をしたりする必要があるけれど、その時間はわずかなものである。
自分の自由に、勉強の時間が設定できる。
それでは、どうして心理学を選んだか?
本屋に行くと、人の心理を扱った本が溢れている。人が自分の心の動きを言葉にしない限り、その人の心の動きがわからない。人の気持ちを推し量って理解するために、人はいつも神経を使っている。それで、人の心理がわかるようになることを期待して、心理学に興味をもつのだ。
実際、放送大学の学生の大半は心理学を専攻している。ぼくもOne of themというわけだ。
そう。理由の第一は、心理学の勉強を始めて、若い女性の気持ちが分かるようになりたい。まだ、今からでも、遅くはないよね。
小学校の同期会が2週間前にあって、往時は女の子だった同級生にそう言ったら、「なんで、若い女の子なのよ」と、睨まれてしまった。
だから少し変えて、第一の理由は、今まで振り回されてきた女性の気持ちを、間違えることなく読めるようにするためである。
女性の心の動きは永遠の謎だと言うけれど、だからこそいいじゃないか、興味の対象は尽きないわけだし。
第二の理由。これは、心理学の勉強を始めてわかったことなので、あと付けの理由だが、ぼくの性格を変えられるかもしれない。
大学院で心理学を専攻して認定試験に合格すると、臨床心理士の資格が取れる(もうすぐ国家試験になり、国の認定資格となるらしい)。
この臨床心理士は、ひとの心の悩みを聞いて、その解決を図る仕事をする職業だ。
このカウンセリングは、人の心の悩みを聞くときに、本人が心を開いて語れるようにすることが、とても大事らしい。
その本人が自分で話しているうちに、解決を見つけられるのが理想的なのだという。
人の話を聞いて、「要するにこういうことでしょう」と話をまとめてしまったり、解決法を指示したりするなどは、今のカウンセラーはやってはいけないことのようだ。
ただ、じっと人の話を聞くだけ。
ぼくは昔から人に対して、かなり傲慢な性格だったと思う。
人の話を聞いているうちにバカバカしくなって、すぐに先回りして人の話を遮ってしまうことが多かった。
これではカウンセラーになれない。自分の性格を本質的に変えなくてはならない。
心理学を勉強して、カウンセラーを目指して自分の性格も変えようというのが、第二の目的である。
なぜ、自分の性格を変えることまでして、カウンセラーを目指すのか。
それは、ぼくの年齢ではいずれ長生きしていれば、老人ホームに入ることになる。そこでは他人と一緒に生きていかなくてはならない。
そのときにストレスなく生きて行くのに、心理学を勉強していれば大いに役立つだろう。
それよりも、カウンセラーとして人の話を聴いて悩み多き老人たちの心に平安をもたらし、仲間の老人たちの役に立つかもしれない。
そう、これが第三の理由だ。
ぼくは人の役に立ちたいのだ。
二年前に77歳でそれまで続けてきた大学での研究・教育生活を辞めて、帰国した。
仕事のない毎日が日曜日の人生に向き合うことになって、初めて気づいたのは、今の自分は人の役に立つことを何一つしていないという恐怖だった。
ぼくは生きている以上、ひとの役に立ちたいと心から願っていることを、強く自覚したのだった。
日本に住むようになったら、地域の民生委員が訪ねてきた。聞くと、老人の安全を見守るため、国の委託を受けて月に一度の訪問をしているという。
「なるほど、これだ」と思って、「ぼくも民生委員をやって地域のお役に立ちたい」と言ったら、とんでもない、定年は65歳ですと言われてしまった。
「じゃ、何か地域で貢献できる仕事があるでしょうか」と尋ねたら、その民生委員は、いや、老人には元気で生きていてもらいたいのです、という。
「地域ごとに、年齢の若い老人が高齢で動けない老人を助けるシステムがあってもよいですね、あとは順送りということになりますね」といったら、その民生委員は絶句してから、いや、それは民間の営利事業ですと言った。
つまり、ぼくの友達には、現役の弁護士、現役の医者、現役の社長などが、まだ大勢いるけれど、退職した老人には世の中に役立つことをする機会は与えられていないのだ。
老人が一番世の中に役立つのは、『できるだけ早くこの世から消え去ることだ』ということか。
老人にとっては正に真実を衝いた悲しいブラックユーモアだ。
というわけで理由の第三は、心理学を勉強してカウンセラーの資格を取ることで、世の中に役立ちたいためである。
放送大学の2016年の前期には、4科目の試験を受けて8単位を取得した。
この先の道はまだ長く、そして険しそうだ。それでも、ぼくには光り輝くバラ色の道である。
(20161030)