2004年08月27日:
日本での夏休みを終えて8月21日に瀋陽に戻ってきた。夏休みの間、研究室では、胡さん、王さん、Kanさん達は休みなく実験をしていて私たちに絶え間なく連絡をくれたから、私たちも実験の進み具合から全く離れることはなかった。
研究室は23日から始まって、修士1年の鄭大勇君が私たちに加わった。4年生の譚玄くんも是非来たいというので特別に参加を認めた。4年生の呉さんは10月半ばに3週間ここで実習をする。博士1年の王くんの参加は事情があって数週間遅れる。
2004年09月01日:
昨年度の卒業研究生の一人である沈慧蓮さんは留学のため今日の飛行機で上海から日本に向かった。彼女の前途が明るい希望に満ちたものであるよう祈っている。
慶応大学にいる朱さんから連絡があった。いよいよ質量分析機を使って研究を始める模様である。
薬科大学に毎年数ヶ月滞在して講義をされる貴志先生が到着された。今年は3ヶ月滞在の予定だそうだ。講義の相手は日語の4、5年生。
薬 科大学には日本語を教える先生が今まで3人おられたが、今年から合計6人に増えた。これまでは3年生から教え始めていたのを、1年生から学習するようにし たので、二年間は6人の先生が必要となったという。日本語を1年生の時に習ったら、それっきりというのではなく、続けて勉強できるようなカリキュラムにな ると、こちらの講義にも助かるに違いない。
2004年09月13日:
山形研究室の新学期の行事が9月11日から始まった。
土曜日はJournal Clubで、月曜日Progress Reportの日である。
メンバーは今までの博士2年のKanさん、修士2年の胡くん、王さん、に加えて、博士1年の王くん、修士1年鄭くん、4年生潭くんが加わった。魯くんは修士1年を終わったところで韓国に留学する。15日の水曜日に出発する予定。それまではここに所属しているが、Progress Reportに出席するのも今日限りである。
薛蓮さんからmailがあった。夏休みが終わって、地震におびえながらも元気に研究を始めたようだ。沈慧蓮さんから来た私信によると、京都大学薬学部のの赤池・杉本研究室で親切な待遇を受けていて、「うち、メッチャ、楽しゅうおます」と、もう京都弁なのだ。
2004年09月30日:
新学期が始まったと思うと、10月1日の国慶節の休暇が始まる。
28日は中秋節で、中国で派家族が全員集まってお祝いをする日となっている。薛蓮さんからmailがあった。可哀想に、日本にいて、中秋節を忘れていたという。
2004年11月22日:
2003年度の卒業生だった沈慧蓮さんはこの9月から京都大学大学院の研究生になっていたが、大学院の入試を受けて合格したという知らせがあった。大変嬉しいことである。沈慧蓮さんが澄ました顔をして京都のお寺で写っている写真を一枚載せた。
名古屋大学大学院で勉強している薛蓮さんからmailが届いた。ホームシックに耐えてがんばっているという。
2004年12月03日:
11月28日の日曜日に、その前日ケニアで野呂先生がなくなったという電話を受けて思わず耳を疑った。野呂先生は97年からこの7月まで足かけ7年間この薬科大学で日本語教育に携わってこられた。
私たちの研究室の修士二年である、胡丹、王麗の二人、それに、慶応大学に行った朱性宇さん、韓国に留学した魯さんは日語65期生で野呂先生の教え子である。野呂先生を母とも慕う彼らの嘆きは見ていてつらい。
野呂先生はケニアで悲惨な生活を強いられる貧しい子供達を救おうとしている「一人NPO」の活動に共感して、8月にケニアに行き、9月には資金集めのためにいったん帰国して10月半ばに再度ケニアに向かわれたのだった。
朱性宇さんから、野呂先生の訃報を悲しむmailが届いた。
2004年12月23日:
野呂章子先生を偲ぶためのホームページを作成した。教え子や友人達の協力を得て充実させていきたい。
http://www.geocities.jp/noroayako2004/
2004年12月30日:
12月29日のほぼ同じ時刻に朱さん、薛蓮さんからmailが届いた。二人とも元気なようで嬉しいことだ。30日から浦和の最上先生のところに、薬科大学から留学している同期の友人達と集まって年越しをするらしい。最上先生、辛苦了。
2005年01月03日:
研究室は元日から休みなし。私たちは午後から参加。夜は私の誕生日の祝いをかねて皆で一緒に外に食事に出かけた。
二日は日曜日だったけれど昼前からラボに出かけた。午後は日本語教師の加藤先生の一緒の作業。傑作なのは、午後教授室に入ってきた胡丹に加藤先生が「おめでとう」と新年の挨拶をしたら、胡丹はびっくりして「何が?」
元日に顔を合わせた私たちは口々に「新年快楽、万事如意」と言い合ったけれど、中国の人たちにとっての新年は旧暦の春節なのである。二日目には今が新年であることをもう忘れていたのだ。三賀日というのは日本人だけ。
2005年05月19日
研究室は後期は2月18日から再開された。卒業研究生3人を迎えて忙しい毎日が始まった。今回は男子学生ばかりなので、どうも華やかな話題が乏しい内に時間ばかり経っていく。
薛蓮さんからmailが大体月に一回の割合で届くけれど、今年に入って更新を怠けていた。今日3月以降の新しいmailを新たに載せた。
沈慧蓮さんからくるmailはいつも短くい京都弁である。少しましな京都弁になったら、載せようと思っているうちに、もう彼女が日本に行って半年余経ってしまった。
慶応大学の朱性宇さんは修士の二年目に入った。春の日本化学会では研究の発表をしたということである。
後おそらく3週間で卒業研究の発表会になると思われる。忙しい春である。
2005/7/20 (Wed)
Visa、居留証、専家証の更新のために、国際交流処の丘さんに連れられて出掛けた。
連れて行かれたところが、公安局出入境管理処で、後の二つを扱うらしい。一人800元。
Visaの有効期限は7月末日までで、8月第1週に日本に戻る予定だから、更新が出発までに間に合うかどうか心配になってきた。
国際交流処の蔡さんに上記の3つを渡したのは6月23日だったのだ。
新たに9種類の遺伝子のプライマーを設計して、今日王麗が発注した。みなの仕事の進展が楽しみである。
胡丹には、GD1a抗体を用いてカベオラを二種類に分けてシグナル分子を二種類の細胞で調べるアイデアを説明した。やる気になったみたい。
Kanさんとmeeting:用いる阻害剤の検討。LYでLL細胞を処理しておいてGD1aを加えたときにどうなるかもやるように指示した。
夜うちの前で茹でたトウモロコシを買う。芸豆、椎茸、豆腐のスープ。
夜はYao老師がうちに。
2005/7/21 (Thu)
今日も停電1回。今週になってから昨日までは毎日2回くらいだったので、ちょっとましかもしれない、相変わらず予告なし。ただし今日は5分くらいで通電。
研究室の電話代5月分を明日現金で支払いに来いという電話。6月に通知があってそれ以来毎月銀行に自分で足を運んで、自分の金で払っている。ここは日本の常識が通らない国。
胡丹に新しい研究の仮説を説明。ガングリオシドで仕分けられているカベオラらを別々に取り出して調べよう!というアジテーションに乗ったみたい。
王Puは、B16細胞で、ガングリオシドの有無で発現のOnOffが支配される分子を見つけた。これはガングリオシドの機能に新しい光を投げかけるものである。大棒了!
王麗はFBJ細胞でFasリガンドが押さえられることを見つけた。これも前記と同様、大棒了!
私は論文書き。構想を大きく変えないなら、だいたいの枠組みができたと言って良い。文献も90%網羅した。
国際交流処の蔡さんに電話して貰ったところ、Visaの更新は専家証が1週間後に戻ってきたら直ぐにやりますとのこと。8月2日の航空券を全日空に予約した。
2005/7/22 (Fri)
今まで自分のホームページに書きためたエッセイをまとめて印刷し、製本に出した。全部で175ページ。
この建物の1階にそのような部屋があり製本を引き受けてくれる。1冊5元。
出来た頃行ってみると、縦印刷で右綴じのはずが、左綴じにされてしまっていた。これでは真ん中のとじしろに余白がなくて読めない。印刷を無駄には出来ない。それで、右綴じにして、封じてしまった左端は出来るだけ損害の少ないように切り落とすよう頼んだ。
石井先生から電話があった。明日帰国予定。当分会えない。石井先生には大変お世話になった。
カベオリンの論文のDiscussionがまだ不備。関係ある論文を読みあさる。
全日空からe-ticketを受け取るためのfaxが送られてきたが、インクが切れてしまって印刷不能。明日胡丹に行って貰おう。
このごろ頼み事は皆胡丹で、この数週間、何時も胡丹がトマトを切らさないよう買ってきてくれる。
3時のmeetingは胡丹。detergentによる抽出の違いをしらべている。実験ごとに結果をよく眺めて気づいたことは必ず書くように指導した。
2005/7/23 (Sat)
今作成中のカベオリンの論文の投稿先を考え直した。その新しい構想に基づいて、王麗に図の作成内容を話した。数日で図が完成し、論文も完成することを夢見ている。
昼は日本語資料室に貞子と出かけた。借りている本を返し、新しく本を借りてきた。食事は下でいつもの豚肉カレーを。研究室に戻って1時半。
帰りのタクシーで「薬科大学」がちっとも通じない。難しい発音なので「科」を気にしすぎるあまり、おかしいのかもしれない。「ああ、薬科大学ね」と運転手から返ってきた返事の発音の無造作なこと。
論文は何度見ても直したくなって、まだ完全版にほど遠い。夕方の6時で今日は打ち切り。
「瀋陽だより」はトラブルがあったけれど一応4部が綺麗にできあがった。20元。この1部は、「瀋陽だより」の最初のファンである谷孝子さんにこの夏帰国の折りに進呈する予定である。
胡丹が三好街に出かけてfax電話のインクを買ってきてくれた。1個で何と230元。
6時半にうちに帰ってインターネットを見ると「午後4時35分、足立区で震度5強」とあるので、真っ青。ここに来るまでお世話になった日本皮革研究所のあるところで、この建物は亀裂だらけなのだ。
研究所の人たちにmailを書く。夜楠畑さんから返信。怖かったそうだ、建物と人は無事。よかった。
2005/7/24 (Sun)
昨晩は日本語資料室で借りてきた富島健夫の「恋と少年」を読んで夜更かしをしてしまった。
1931年朝鮮生まれの作家なので自伝的に描かれた小説の時代は、私にもだいたいがなじんだ時代だ。杉良吉という主人公の高校生活が中心である。私にも高校時代の思い出は山のようにあるけれど、さすが作家を志すような人は高校生活を多感に過ごしている。
同じように多感だったと思うけれど、書き残こすとがなかったから、比べようもないわけだ。というのが、真相だろう。人ひとりごとに、小説が書けるのだ。
朝起きて、まだ寝たりなく、昼1時まで寝てしまった。日曜日だから出来ることだ。一つには、私たちは、この歳で働きすぎなのだと思う。毎日の疲れが一晩寝たくらいではとれずに蓄積しているみたいだ。
3時から大学に行って、論文作成の続き。
2005/7/25 (Mon)
23日の地震のニュースで、ニッピの研究所が耐震性に大きな疑問のあるまま放置されていることを思い出した。
不等沈下により建物の柱、梁、壁のあちこちに亀裂が入り、消防署に危険が指摘されている。しかし本社は予算不足で放置している。今に予測される関東大地震があったら、そして人がそのとき中にいたら、絶対に助からない。
それがわかっていて何もしない本社の偉いさんたちに怒りの火が燃える。
それで、私のホームページのエッセイにそのことを書いた。淡々と。今までに危険が指摘されているのにそれを本社が握りつぶしていることを。
何かの役に立つだろう。一番いやな想像は、地震で研究所が倒壊して、誰も助からず、そして本社の人たちが責任を追及されている図である。そのときここに書いたエッセイが告発の助けになり・・・。
土曜日に安否を尋ねたニッピの友人たちから続々と返事あり。今回は無事で本当に良かった。
一日論文のDiscussionで悩み抜く。再三再四書き直し。これは、決め手になる実験をしていないからなのだ。自業自得。
3時に鄭大勇とmeeting。予想通り無血清でガングリオシドを持たない細胞の方が弱かった。
日本にいる時中国語を習った小陳老師からメイルが来た。早速返事を書く。
2005/7/26 (Tue)
朝、呂永俊先生に出会った。その後すぐに、李好枝夫人から電話があって、土曜日に自宅に誘われてしまった。今度はこちらが呼ぶ番なのに。
胡丹が蔡さんに電話したら彼は今海外。8月2日に帰ってくるという。エッ?パスポートはどうなるの? 丘さんが引き受けていて28日に手にはいるという。
Visaの延長も出来ているのでしょうね?さもないと、8月2日に出国できないことになる。
王麗が論文の図を作り出した。meetingではGT1bの効果が確かめられた。SiRNA:FBJ-LL細胞には効果が出ない。配列はS1細胞で証明済み。プラスミドがこの細胞に入らない?
論文のDiscussionはやっと完成。こんなに苦労したのは初めて。後は図の説明を書くこと。
「瀋陽だより抜粋」を作って友人に送った。厳しい審査をして貰うため。
東工大の頃の教え子から相談ごとのメイル。
2005/7/27 (Wed)
昔の教え子のことで、北海道の友人にmailを書いた。返事が来てそれに書いてまた、という具合に一日何度もmailの往復をした。互いに共通の知人があることがわかり、そんなこともあって話題が広がった。世間は狭い。
また教え子とも何度もmailをやりとりした。またここでもこちらの知っている人がそうとは知らずに触れられていて、世間は狭いことを実感した。
名古屋大学の教授である友人と今度会う約束。
今日はトマトがなくなっているのに胡丹は買ってきてくれなかった。
王麗の図がだんだん出来てきている。
Kanとのmeeting:Caの阻害剤二つで共通の結果が出た。別の細胞を使ってこの阻害剤の存在下、GD1aの効果を見れば、この経路を通っているかどうかがいえる。
この結果は、ガングリオシドが細胞の中で機能しているという私たちの古い首長を支持する結果になるかも知れない。そのためにはカルモジュリンの機能を押さえて・・・。
2005/7/28 (Thu)
朝、驚いたことに、そして嬉しいことに北京の小呉から電話があった。internet出遅れなかったので原図をCDに焼いて送るとのこと。新しく始めた商売はただもう忙しいらしい。奥さんのうちにいて、「メイヨウ房間」といっていた。まさかそちらの家族と雑魚寝ではないだろうね。
Takara のPCRキットの支払いをしたばかりなのに、Kanさんがまた注文して支払いが生じた。受け取った王麗が支払いは来月といったので、業者はむくれて帰り、そしてKanさんはめちゃむくれ。再度来て貰って金を払ったのだが(もちろんすべて私たちの私費)、こういう面倒は困るね。
丘さんがパスポートを持ってきてくれた。居留証がなくなってビザと一緒になってパス、ポートに張ってあるという。ビザと書いていないが、これで有効なのだろうか。OKならこれで1年延長できたことになる。
胡丹が昼にトマトを9個買ってきてくれた。先生たちが瀋陽にいる間中の分ですよとのこと。笑ってしまった。5元。ありがとう。
小呉の論文をどうするかで午後中考えあぐねる。その間、今の論文の図の説明を書く。図は王麗が頑張っているが、まだ出来ていない。
王Putono meeting : siRNAのtransfectionで、今までの小呉の結果がGM3の増加によることを裏付けることが出来た。目覚ましい成果である。夏の間の研究方向の指示を出す。
隣の池島先生は北京から戻ってきて、お茶のおみやげ。
2005/7/29 (Fri)
久しぶりに瀋陽は好天気。
国際交流処の蔡、李さんともに不在。事務の劉さんに帰国の送り迎えを依頼した。伝わったかどうか不安が残るけれど。
隣の池島先生は11日に帰国。全日空を安く買ったという、往復が税金込みで五千元しないとのこと。こちらは6千元で買っているのに。
支店の西川さんという美人ちゃんとお話しできるから、ま、いいか。
午前中は、Pkn1, Pdk1の勉強。The Cancer Genome Anatomy Projectでは図から遺伝子をたぐっていくと、Pdk1がPyruvate dehydrogenase kinase1になってしまう。こんなはずはない。とんでもない間違いである。
北京の小呉から原図を入れたCDが昼に届いた。速い。信じられないほどの能率の良さ。
胡丹とmeeting:抽出条件は二つ。リン酸化タンパク質を調べること。
カベオリンを押さえた時の酵素活性を調べること。ガングリオシドで遺伝子発現の抑えられることを確認すること。
王麗の図は後一つ。そのために王Puが追加実験をしている。
2005/7/30 (Sat)
今日も朝7時から出掛けた。胡丹も7時過ぎには研究室に来た。
論文の図の説明を書く。一方王麗も一日図の仕上げ。WondowsでPowerPointを使って図を書いているが、Canvasには及ばない。PC用のCanvasを、以前は買う気でいたけれど、今はあまりにも高価でためらっている。
論文の文献を整理。投稿するジャーナル向けに直した。この大変な作業も、EndNoteがあれば出来るのに。これは今度手に入れようか。
論文は、後2日のうちに発送するつもりで最後の仕上げに取りかかろうという気になってきた。
4 時に切り上げて帰宅。4時半に李好枝老師をたずねる。呉永俊老師。昨年8月に35歳の息子が結婚、その時に二人も芸術写真。うち中に張ってあった。李好枝 老師も書がずいぶん上手くなった。呉永俊老師の書がうち中に張ってあったが、これはさすが気品が高い。うちの中は相変わらず綺麗で、モデルルームみたい。 そのあと「孔府餃子」に誘われた。東北大拉皮、武昌魚、鍋包肉など、ご馳走の数々。私に付き合って、ビールなし、露々で請喝一口。こちらが奢る番なのに。 この次はきっと。
夜9時頃、胡丹から貞子に電話。胡丹は親にくっついて歩いている子犬みたいなところがある。
2005/7/31 (Sun)
朝7時から夕方7時まで、何時も通り研究室で。
論文はfinal check。PDFへの変換に成功・図もPDFに変換した。これらを一緒にすることも出来た。
午後後半は、次の論文の内容の検討。どのジャーナルを考えるかが問題。cancer関係にしよう。
International J. Cancer Res.
Molecular Cancer
International of Oncology
2005/8/1 (Mon)
朝、学生たちが来る端から
「ハーイ、一番に来て、おめでとう。一番に来たから今夜の食事に招待しましょう!」と胡丹。
「ハーイ、二番に来て、おめでとう。二番に来たから今夜の食事に招待しましょう!」と王PU。
三番が王麗。
四番が大勇。
という具合に皆を誘った。夜の食事の食材はもうなくなったので、ちょうど良い。
セミナーにおける心構えを渡す。
評価をしたのは胡丹だけ。彼は自分で5段階評価の4といっていたが、私が見ると3。
8時半に来た易国際郵便局に胡丹とタクシーで行った。何と、カリフォルニアの仲田大輔からチョコレートが届いた!
嬉しい喜び。綺麗なカードも一緒。
仕事の話:大勇、王PU。
5時に集まったのは、上記の4人。特に言わなかったので彼らは恋人同伴なし。言わなくても一緒に来ると思ったいたので失態でした。
今回は間に合わず。6人で出掛ける。久しぶりにこぢんまりとした会。新洪記のちょっと先になる孔府餃子に行った。餃子なしで8点とって満腹。この店は美味しい。173元。
帰りは小雨。Karrefourに寄って明日持って帰るお土産を買う。干し椎茸、乾し百合、湯葉など265元。まだ雨だったので私たちが先に帰り、胡丹たちが後から荷物を届けてくれた。
荷物はこれらの土産だけ。
昼から机の片づけ。