2004年04月01日:
瀋陽薬科大学山形研究室の公式ホームページを初めて作成。まずは、日本語版だけで、しかも一部しかできていないけれど公開に踏み切った。このあと、漢語版、英語版も作成する予定である。
有 料のgeocitiesにスペースを確保して、ファイルのアップロードはできたにもかかわらず、なぜかweb上では準備中となって見ることができない。そ れで、急遽、「彼はクールな目で女性を殺す」と女性の間で密かに囁かれている修士課程1年の魯さんの手配で、go.nease.netでの公開となった。
2003年9月に研究室が発足したときから、研究生として研究室のset upのすべてに亘って力を注いで研究の発足と助けてくれた朱性宇さんが、今日瀋陽発の全日空機に乗って日本に向かった。
彼は中国に滞在したまま受験して慶応大学大学院の修士課程の入試に合格したのだった。彼は将来中国と日本の間の良い架け橋となる人材である。今後の朱性宇さんの健康と発展を願ってやまない。
2004年04月02日:
昨日のApril foolの日は大いに楽しんだ。内容はいずれ山形のwebsiteで紹介するとしよう。
昨日苦労してgeocitiesにつなげようとして果たせなかったが、一日経ってやっとつながったので、こちらで公開する。ただし、どうしてか無料版である。
研究室の魯さんは、漢語、英語、日語の全体を統一したホームページを作成中である。乞うご期待。
2004年04月06日:
4月1日に日本に向かった朱さんからmailが届いた。了解を得て編集のうえで朱性宇さんのページを作った。日本における初めての生活が描かれている。
2004年04月07日:
昨年2ヶ月間私たちの研究室にいたあと名古屋大学大学院受験に向かった薛蓮さんからmailが来たので薛蓮さんのページを作った。名古屋での生活は順調のようである。
こちらにいたときの彼女の写真をサムネイルで入れる試みに成功した。彼女はここから写真をdownloadできるだろうか。
2004年04月09日:
昨 日、薛蓮さんのページを作って彼女の写真を入れたところ、朱さんのページにも写真が欲しいと研究室の皆がいう。朱さんのページに写真を入れるついでに、研 究室の皆のページを、まず写真を入れて作ってしまった。こうすれば、皆否応なく自分のページを完成するだろう。朱さんから慶応大学における様子を書いた mailが届いた。元気のようで何よりだ。
Rectuite 用の「山形研究室希望者へ」のページに、毛沢東の言葉にくっつけて戯れ言を書いたが、これを魯さんがflashで動画にした。この動きだと日本人には読み にくいが、中国の人は一瞬で読み取れるらしい。なお、私の綽名は水滸伝にでも出てきそうな洞窟の山賊の頭目を指す「山大爺」となってしまったらしい。日本 ではヒグマのことだ。
2004年04月14日:
薛蓮さんからmailが届いた。いよいよ北島研究室での研究生活が始まったようだが、一方で生活も楽しんでいるみたいで、こちらまで嬉しくなる。
2004年04月20日:
朱さんからmailが届いた。テーマを決めて研究を始めたようだ。誰も異国の生活では食生活の違いがホームシックに駆り立てるが、朱さんの場合にはその心配がないみたいだ。
2004年04月26日:
研究室のホームページを作って1ヶ月近く経ち、魯さんがとても芸術的な中国版を作り始めた。そうなると美しくなくても、英語版を公開する必要がある。それで週末を利用して制作を始めた。未完だけれど、公開しよう。内容も体裁もだんだんと磨けばよいのだ。
2004年04月29日:
研究室のホームページに学生一人一人の紹介ページを作ったが、誰も自分で書き入れないので淋しいままだ。それで、寸評を書き入れた。誰もが個性的で輝いている。
魯さんが中国版を作って公開した。まだ完全ではないけれど、研究室に来たい人たちの役に立つことを期待している。
2004年05月01日:
研究室ホームページの掲示板にガングリオシドをもっと知りたいという要望があった。様々な手段で調べられるが、とりあえず、昔私の書いた総説がすぐ見られるようにした。
慶応大学大学院の朱性宇さん、名古屋大学大学院の薛蓮さんからmailが来た。日本でもGolden weekに入ったところで、ほっとしながらも、勉強を続けているらしい。
2004年05月04日:
5月1日から中国では労働節の休暇である。今年も北京でSARSの患者 が出ているので、この旅行シーズンで一気に広がらないように祈っている。研究室では男子の学生だけ休暇を取って旅行に出かけている。ほかの女子学生と私た ちは毎日ラボで顔を合わせているが、やはり休暇なので気分はのんびりとしたものだ。
名古屋大学大学院の薛蓮さんからmailが来た。日本の連休明けに研究室での論文紹介が当たっていているそうだ。瀋陽薬科大学の学生は、たとえ日語専攻であっても英語力は大変しっかりしたもので、むしろ、日本の大学院生達こそしっかりがんばってもらいたい。
2004年05月12日:
5月1日から9日までの黄金週も終わった。SARSが蔓延せずに収まっているみたいで大変結構なことである。卒業研究の発表会がいつあるのかまだわからないが、昨年の例だとあと1ヶ月しかない。学生と一緒にこちらもがんばる 時期となった。慶応大学大学院に留学している朱さんと一緒にがんばろう。
2004年06月01日:
魯さんの名前のWeiという字が日本語にはない。画像として魯さんが字を作ったのでそれをuploadした。
5月に入ってから生化学の講義に追われている。と書くと、情けないやつだと思われ そうだが、講義の相手は薬科大学の日本語コースの学生なのだ。彼らは日本語の学習を始めてまだ8ヶ月、4年になってからは専門科目を日本語で勉強しようと いう特別のコースにいる学生達なのである。
週30時間の授業のうち24時間が日本語の勉強なので、急速に日本語が話せるようになってはいるが、専門科目を日本語で聴くのはこれが初めてなのである。
そう、つまり、私は本場物の日本語をしゃべる外人なのだ。本場物はよいけれど、生化学のエネルギー代謝のところは、どんな言葉で勉強しても難しいところである。それを、日本語勉強途上の学生にわかるように話すのだから、毎回、工夫と苦労の連続である。
最初にゆっくり話して80%わかったらしいというので喜んで、次の時にはまだ慣れていないのだということを忘れてしゃべりまくったら、シーン、結局、3時間目には前のことをそっくり、ゆっくりと繰り返す羽目になったりしている。
生化学の難しい反応も、アニメにしたらわかりやすいかと思って、一念発起してソフトを勉強して、2日間、朝から夜中まで掛かって5個作って教室に持って行ったら、教室WindowsではPowerPointXで作ったアニメは動かず、涙をのんで汗をかいたものだった。
やれやれ、私の苦労は6月に入ってもまだ続く。
2004年06月05日:
朱さんから近況を知らせてきた。5月の末に貞子が日本に行ったときに慶応大学を訪ねて朱さんに会っている。二ヶ月ぶりに会った朱さんは輝くように元気だったという。そのときの写真も載せる。
2004年06月07日:
今日から今日から生化学教室の小劉先生がここで本格的に実験を始めたいということで、早速細胞培養を王麗と胡丹が教えることになった。朝8 時からある生化学の講義を終えて10時にオフィスに戻ってくると、生化学教室の小張先生から電話があって、なんと今週いっぱい薬学部の基地クラスの学生ひ とりの面倒を見ることになっているという。
この基地クラスというのはこの薬大の中の特別コースで、7年間で学部・修士・博士を終えるコースだ。あとでその学生に聞いてみると、3年生の時に希望の研究室に行って研究とは何かの雰囲気を味わうように用意されているとガイダンスに書いてあるという。
こちらはそんなプログラムは知らない。聞いたこともない。小張先生も今朝聞いたばかりだという。驚いていても学生はもう来ているのだから、受け入れざるを得ない。
というわけで唖然・呆然としたまま、1週間のインターンシップが受け入れ準備も何もしていないのに、始まった。
2004年06月08日:
薛蓮さんからmailが来 た。彼女は研究室の掲示板に現在私の生化学を受講している日本語クラスの3年生のために、投書している。前の講義の時に、その話をして、彼女の投書を見て 親切な先輩の激励に答えるように学生に話したが、そのあと掲示板に訳のわからない投書があったから、優しい彼女の真意は学生には伝わらなかったみたいだ。
昨日から研究室に来た呉Yu(三国志に出てくる呉の国の将軍・周Yuと同じ字。愉の」りっしんべん」が王である)は、研究室の時間は朝8時からだと言ったので、今朝は8時前からやってきた。好奇心ではち切れそうな、英語を話す元気いっぱいの女子だ。
2004年06月13日:
研究室に三人いる卒業研究生・沈慧蓮、沈春莉、趙Xiの発表が昨12日だった。Powerpointで用意して10分間英語で講演を行った。発表に至るまでの様子は、山形達也のホームページに詳しく書いているので見て欲しい。
朱さんのmailを載せ、薛蓮さんの写真を載せたが、魯さんのたっての願いで彼女と一緒の写真を二枚載せることにした。特ダネ公開中というところでしょうか。
2004年06月14日:
朱さんに山形の文章は真似したいくらいうまいと言われたので、それは「pai馬屁」だねと書いたら、早速返 事が来た。お世辞を言うという意味だけけれど、あまり品の良い言葉ではない。馬の尻をたたくという意味だから、ほめてお世辞を言ってますます盛んにさせる と言うことか。下品だから、使い方に気をつけないといけないと言われたが、今うちの研究室では流行っている。
わたしの中国語のたどたどしい発音が、とても良いと言って学生が一生懸命ほめてくれると、「それは実はpai馬屁なんだ」という具合である。
2004年06月23日:
卒業研究を終えた学生達は、毎日級友との別れを惜しんでいろいろな会合に出ていて忙しい。そのおかげで研究室は静けさを取り戻した。
2004年06月28日:
卒業式が25日にあり、卒業生全員は寮から26日には出なくてならないということで彼らは大忙しだったみたいだ。一方、こちらは久しぶりに静かになった研究室で、実を言うとほっとしたところだ。
2004年07月07日:
卒業研究の学生も卒業し、生化学の講義をした学生への試験も終わった。大学構内は夏休みモードである。人影が極端に少なくなった。研究室の学生によると、学生食堂は殆どが閉めていて、あいているところは、値段を上げてしかも美味しくないという。
瀋陽は梅雨がないはずなのに6月後半から天気が愚図ついていて、まるで日本の梅雨みたいだ。ただし、こちらの雨は豪快に降るという違いがある。
違いといえば、台風もこない。薛蓮さんから日本ではじめて台風に出会って、自室の窓を開けたままにしてために部屋中を洪水にしてしまったというmailがきた。
2004年07月09日:
朱さんからmailが来たが、なんとタイトルは「焼き豚になりそう」だったので大笑いしてしまった。朱の音は豚に通じるシャレなのだ。今、日本は連日三十何度の猛暑が続いているという。
卒業研究の学生達のやったテーマを収録した。研究室としてはまだ論文がないので、これを見て何をやっているか推測してもらう他はない。
2004年07月14日:
大学院修士1年生の英語の試験が終わったのが7月7日で、それ以来魯さんは中国語のホームページ作成に取りかかっていた。
なお、中国の大学院生は最初の1年は講義を聴講するので、大半の人達は研究室に所属していても研究室には出てこない。つまり実験をしない。しかし、私たちの研究室の魯、胡、王の3人は講義の合間にきちんと研究をしてきた。大学院生にしては例外に属する優秀な人たちである。
その魯さんが試験が終わってすべてから解放されて、中国語版のホームページを作成した。とても綺麗にできている。、これを見ると、日本語版、英語版もこのように綺麗にホームページらしくしなくてはという気になってくる。危険なことだ。
2004年08月08日:
私たちは7月一杯で夏休みに入ることにして、8月1日から上海に行って沈慧蓮さんの案内で上海、蘇州、杭州の観光を楽しみ、5日に帰国した。沈慧蓮さんと彼女のご両親に大変お世話になった。メッチャ暑かったけれど、メッチャ楽しい旅行だった。旅行の印象記はいずれ私のホームページに載せる予定である。
旅行中に薛蓮さんからmailがあった。一緒の写真は載せていない。9日から名古屋に行って、彼女と、大阪大学の王静さんに会う予定。
研究室の胡丹くん、王麗さんからは毎日のようにmailがくる。彼らは研究室で夏休みなしに毎日実験を続けていて、その結果の報告なのだ。こちらが夏休みでのんびりしていては全く申し訳ない。