本研究は、筋収縮を担うミオシン分子モーターの自発振動(SPontaneous Oscillatory Contraction, SPOC)を理論的に解明することを目的として、三状態パワーストロークモデルを提案し、その線形安定性解析を行ったものです。著者らは分子スケールの「前ストローク―後ストローク―非結合」三状態モデルをミオフィブリルのメソスケール運動方程式と結合し、両者をひとつの階数 1 の更新(rank‑1 update)として再構成しました。この新しい数学的枠組みにより、定常解近傍でのヤコビ行列の固有モードを解析的に導出し、SPOC に必須となる固有値条件を初めて明示的に示しています。
解析の結果、二つの実正固有値が振動ダイナミクスを支配することが分かりました。大きい固有値は後ストローク状態からの集団的リバーサルストロークによって生じる急速なサルコメア長伸展を記述し、小さい固有値はその後に続く緩慢な収縮過程を司ります。さらに、固有値のパラメータ依存性を追跡することで、分子モーターのストローク距離や弾性定数・粘性係数の変化がホップ分岐点を通過した後にどのように振動の周波数と波形を変えるかを体系的に評価しました。これにより、従来の二状態モデルでは説明が困難であった速い弛緩と遅い収縮が同居する波形の成因が力学的に裏付けられました。
本成果は、心筋や昆虫非同期筋に見られる自然振動を理解するための理論基盤を提供するだけでなく、多数の分子モーターが協調して力学仕事を行う際のエネルギー効率や緩和機構を評価する上でも重要です。特に、同グループが進める心臓ポストKスーパーコンピュータシミュレーションへ本モデルを組み込むことで、拍動ごとの迅速な圧力低下の起源や拍動間のエネルギー消費量を分子論的に予測できる道が拓かれました。理論解析と数値シミュレーションを往還させることで、SPOC が示す非線形現象の背後に潜む普遍則を今後さらに洗練できると期待されます。
論文情報・引用
Takumi Washio, Toshiaki Hisada, Seine A. Shintani, Hideo Higuchi. Analysis of spontaneous oscillations for a three‑state power‑stroke model. Physical Review E 95, 022411 (2017).