近年、細胞の内部温度は場所によって約1 °Cのばらつきがあるという報告が相次ぎましたが、細胞内に直接導入した温度プローブは pH やイオン強度などの非熱的因子から逃れられないという根本的課題が残っていました。本研究では、厚さおよそ50 nm のポリメタクリル酸メチル膜に温度依存性蛍光色素 EuTTA と温度非依存色素 Rhodamine 101 を共担持した「蛍光サーモメーターナノシート」を開発し、培養細胞をその上で育てるという“細胞外”計測法を実現しました。二つの蛍光強度比で温度を自己補正するため、外乱に強く、数十ミリ秒単位で 0.01 °C 前後の変化を追跡できます。
HeLa や HEK293 といった非興奮性細胞では、細胞と培地の温度差は 0.2 °C 未満と判明し、悪性高熱症関連の RYR1 変異による恒常的 Ca²⁺ リークでも全細胞温度はほぼ不変でした。一方、イオノマイシンで細胞内 Ca²⁺ を一挙に放出させると、カルシウムポンプが集まる小胞体膜近傍で局所的に 2 °C 以上上昇するものの、ナノシートが捉える細胞表層温度は ±0.2 °C の範囲にとどまり、発熱はナノスケールで急速に散逸することが示されました。
興奮性のラット新生児心筋細胞や海馬ニューロンでも、拍動(2 Hz)やシナプス発火(0.25 Hz)に伴う Ca²⁺ オシレーション下で全体温度はそれぞれ ±0.01 °C、±0.03 °C の微小揺らぎしか観測されませんでした。さらにミトコンドリア脱共役剤 CCCP により褐色脂肪細胞や心筋細胞で熱産生を誘導しても、ナノシート計測ではグローバルな温度上昇は検出されず、熱は組織・細胞レベルでは極めて局所的にとどまることが裏づけられました。
これらの成果は「生きた単一細胞は全体としてはほぼ等温であり、エネルギー代謝による熱は1 µm オーダーで空間的勾配として存在する」という理論的予測を実験的に支持します。ナノシート型サーモメーターは、オルガノイドや高密度細胞シートの非侵襲温度マッピング、さらには温熱刺激が引き起こす局所シグナル解析など、細胞熱力学をめぐる広範な応用を切り拓くプラットフォームになると期待されます。
論文情報・引用
Kotaro Oyama, Mizuho Gotoh, Yuji Hosaka et al. “Single‑cell temperature mapping with fluorescent thermometer nanosheets.” Journal of General Physiology, 152 (8): e201912469, 2020.
https://doi.org/10.1085/jgp.201912469