心電図の R 波付近――拡張が終わり収縮へ切り替わるわずか十数ミリ秒のあいだに、心室中隔(IVS)の筋組織には電気刺激とは異なる機械的トラベリング波が発生する。本研究では、フェーズトラッキング型超音波イメージングを用いて、この高速・大振幅の波動を非侵襲的に捉え、縦方向(心尖‐基部軸)へ伝搬する位相パターンと振幅ディップ(“ホール”)を時空間解像度高く可視化した。観測データを解析すると、波の前後で波数がほぼゼロにも関わらず局所的な位相跳躍と振幅低下が共存し、いわゆる「ホモクリニック穴」型構造を示すことが明らかとなった。これは大動脈弁閉鎖時に見られる異相性のLamb波とは質的に異なるダイナミクスである。
理論面では、一次元複素ギンツブルグ=ラウダウ方程式(CGLE)に周期境界条件を与えた数値シミュレーションを行い、観測された波動が同方程式のホモクリニック平面波解と位相・振幅パターンで良く一致することを示した。CGLE は非線形媒質に現れるベンジャミン–フェイル不安定性や欠陥乱流を典型的に記述する枠組みとして知られるが、心筋の実測データと突き合わせた例は極めて少ない。本研究は、生体心筋でもCGLEが有効な「普遍クラス」を形成し得ることを示唆し、心拍メカニズムを非線形波動論の観点から読み解く道筋を拓いた。
実験で得られたホモクリニック穴は、局所の位相欠陥が筋線維の弾性・粘性パラメータを介して振幅を抑制する結果生じると解釈される。欠陥速度は約 0.04 mm/msと推定され、CGLEの平面波分枝で許容される速度域に収まった。これらの知見は、虚血や線維化で弾性特性が変化した病的心筋における異常波伝搬のメカニズム解明、さらには筋原線維自発振動(SPOC/HSOs)のマクロスケールへの波及を理解する上でも重要な手がかりとなる。
論文情報・引用
Naoaki Bekki, Seine A. Shintani, Shin’ichi Ishiwata, Hiroshi Kanai. A Model for Measured Traveling Waves at End-Diastole in Human Heart Wall by Ultrasonic Imaging Method. Journal of the Physical Society of Japan 85, 044802 (2016).