心臓は規則正しいリズムで動いているように見えますが、そのリズムを生み出している心筋細胞の「サルコメア」というミクロな構造では、実は不思議な“ゆらぎ”が起きていることがわかってきました。本研究では、このサルコメアの「カオス的なゆらぎ」が、細胞内のカルシウム濃度の変化によって引き起こされることを初めて明らかにしました。
新谷正嶺(中部大学)のグループは、心筋細胞を体温程度まで温めて人工的に振動させる実験(HSOs=高温誘起サルコメア自律振動)を行い、「カルシウム濃度が一定」のときと、「カルシウム濃度が拍動に合わせて上下する」ときとで、サルコメアの動きを詳しく比較しました。その結果、カルシウム濃度が変動すると、サルコメアの振動の大きさやタイミングが大きく乱れる“カオス”状態になることを発見。この現象を 「S4C(カルシウム変動によるサルコメア・カオス)」 と名付けました。
一方で、カオス的な揺らぎが起きていても、不思議なことに「サルコメア全体の振動周期」はほぼ一定に保たれていることも分かりました。つまり、心筋細胞は、カルシウムというリズム信号に対して柔軟に反応しつつ、“周期性”という秩序を失わない という、非常にバランスのとれた「動的恒常性」を持っているのです。
実際の解析では、サルコメア長(SL)のナノメートルレベルでの変化を高速カメラで観察し、振幅やタイミングのバラツキ、リアプノフ指数(カオスの指標)を計算。カルシウムが一定の場合は、隣り合うサルコメア同士が滑らかな楕円を描いて連携しますが、カルシウムが変動すると、その連携がバラバラになり、軌道も複雑に乱れることが分かりました。
この「S4C」現象は、心臓が急激な変化やストレスに素早く柔軟に適応しつつ、リズムを守る“巧みな仕組み”の一端を担っている可能性があります。将来的には、不整脈などの早期発見や、新しい治療法開発にもつながる重要な知見となるでしょう。
心筋細胞内サルコメアの各種振動ダイナミクスの性質
(A)カルシウム濃度が一定のときの隣接サルコメアの振動時系列データ。
(B)Aのリサージュ図形(整った楕円軌道)。
(C)Aのサルコメア同士の位相関係。
(D)カルシウム濃度が変動するHSOs時のサルコメア振動データ。
(E)Dのリサージュ図形(複雑なカオス軌道)。
(F)Dの位相関係(頻繁な位相切り替え)。
(G)HSOs誘導前後の振幅ばらつきの時系列。赤矢印で加熱。
(H)弛緩時の類似軌道差(対数軸上で直線的増大=カオス)。
(I)HSOs誘導前、興奮収縮連関時の位相関係。
論文情報・引用
Seine A. Shintani. Observation of sarcomere chaos induced by changes in calcium concentration in cardiomyocytes. Biophysics and Physicobiology, 21(1), e210006, 2024.