金沢文庫パークタウンの変遷

当地区の航空写真や地図を江戸時代までさかのぼって掲載しています

現在の航空写真です。赤い線の範囲が、おおむね当地区です。

1988年(昭和63年)

この直後、1989年3月31日に釜利谷南小学校が開校しました。

釜利谷地区センターが開設されたのは1992年3月29日、

明徳釜利谷保育園の開園は2002年4月1日でした。

1983年(昭和58年)

宅地開発が始まっています。この後、1985年10月20日に自治会が創立、

1986年に釜利谷中学校や、関東学院大学釜利谷キャンパス(現「金沢文庫キャンパス」)が、開校しました。

1987年12月10日には老人倶楽部「寿会」(現「沢木谷クラブ」)も創設されました。

1977年(昭和52年)

三菱地所・住宅販売が開発行為許可番号を取得したのが1983年3月30日ですから、

この写真は、宅地開発開始6年前のものです。

1955年(昭和30年)頃の地図

まだ周辺の住宅地もできていません。金沢文庫駅から釜利谷交差点への

大通りも無く、地図右上の、手子神社から釜利谷小学校(南小ではなく)

あたり一帯が家屋や商店の集中地区でした。

1982年(明治15年)頃の地図

白山道には田畑が広がり、現在のパークタウン地区は、

里山として利用されていたことでしょう。

1753年(宝暦3年)頃の図

赤い楕円の下に「白山道」が読み取れます。

赤い楕円の右上に手子神社の鳥居が見えます。

1600年代(17世紀)後半の図

赤い楕円の右側に「畠山之墓」(現在の白山道トンネル入り口の左)、その上に「かまりや」が読み取れます。