C002:パッヘルベルを知ろう
【SJPOジュニアオーケストラ講座】 パッヘルベルを知ろう
[ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)]
[生:1653年9月1日(受洗) ~ 没:1706年3月9日(埋葬)]
◆パッヘルベルはバロック期のドイツの作曲家で、南ドイツ・オルガン楽派のオルガン奏者であり、教師でもありました。
パッヘルベルは作曲した200曲以上の楽曲を通じてJ.S.バッハにも影響を与えるなどコラール前奏曲やフーガの発展に
大きく貢献しました。
[ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)年表]
1653年:ドイツのニュルンベルクでワイン商の家に生まれる。
9月1日に洗礼の記録があるので、8月末に生まれたと思われる。
1669年:アルトドルフ大学に入学。
1673年:ウィーンに移住。聖シュテファン大聖堂の次席オルガン奏者に就任。
1677年:アイゼナハに移住。宮廷オルガン奏者に就任。
1678年:エアフルトに移住。プレディガー教会のオルガン奏者に就任。
1680年:3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグニ長調を作曲
1681年:エアフルト市長の娘、バルバラ・ガブラーと結婚。
1690年:ヴュルテンベルク公国(シュトゥットガルト)の宮廷音楽家に就任。
1695年:ニュルンベルクに戻り、聖ゼーバルドゥス教会のオルガン奏者に就任。
1706年:52歳で亡くなる。正確な死亡日は不明だが3月9日聖ロッフス墓地に埋葬。
[パッヘルベルの生まれたころ(1653年 承応2年)の日本]
◇第4代将軍徳川家綱、第69代一条天皇
◇浄瑠璃や歌舞伎の作者の近松門左衛門誕生
◇1651年(慶安4年)慶安の御触書公布
◇1663年(寛文3年)武家諸法度改定
[ジャンル]
・バロック音楽
[職業]
・作曲家/オルガニスト/教師
[音楽を始めたきっかけ]
少年時代に通っていた教会の音楽教師から、音楽全般やオルガンを学んだとされています。
[バッハ家とのかかわり]
パッヘルベルは、1677年アイゼナハでJ.S.バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)のお父さんであるアンブロジウス・バッハと親しくなり、彼の子供たちの家庭教師を任されました。
また1678年から住んでいたエアフルトでは、J.S.バッハの親戚であるヨハン・クリスティアン・バッハの家に住んでいました。そしてJ.S.バッハのお姉さんであるヨハンナ・ユーディタの名付け親となり、お兄さんのヨハン・クリストフ・バッハの家庭教師を務めるなど深くかかわりをもっていました。
J.S.バッハとは、1694年にお兄さんのヨハン・クリストフ・バッハの結婚式にパッヘルベルが招かれた時に当時9歳のJ.S.バッハと会ったのではないかと言われています。
[主な作品]
◇3つのバイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグニ長調[PWC 37, T. 337, PC 358]
◇コラール変奏曲集『音楽による"死への思い"』
◇コラール前奏曲集
◇室内楽曲集『音楽の喜び』
◇『アポロンの六弦琴』
◇オルガン曲集『マニフィカト・フーガ』
[パッヘルベルの生誕地]
◇パッヘルベルはドイツの バイエルン州第二の都市であるニュルンベルクで生まれました
[当時のドイツ]
◇パッヘルベルが生まれた時のドイツの国名は、「ドイツ国民のための神聖ローマ帝国」でした。現在の正式国名は、「ドイツ連邦共和国」です。