C004:J.S.バッハを知ろう
【SJPOジュニアオーケストラ講座】 ヨハン・ゼバスティアン・バッハを知ろう
【ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ) Johann Sebastian Bach]】
生誕1685年3月31日 - 死没1750年7月28日(65歳没)
◆J.S.バッハは、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家で、バロック音楽の重要な作曲家の一人で、1,100曲を超える曲を
作曲しました。また演奏家としても即興演奏の大家としても広く知られていた上に、現代にいたるまで多くの作曲家たちに
影響を与えたことから、日本では「音楽の父」と呼ばれています。
【ヨハン・ゼバスティアン・バッハ年表】
1685年:アイゼナハの町楽師の家に8人兄弟の末子として生まれる。
1700年:リューネブルクに移り、修道院付属学校の給費生となる。
1703年:ヴァイマルの宮廷楽団にヴァイオリン奏者として就職。
1706年:ミュールハウゼンのオルガン奏者に就任
1707年:ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに就任。
マリア・バルバラと結婚
1708年:ザクセン=ヴァイマル公国の宮廷オルガニストに就任
1714年:宮廷楽師長に昇進。
1717年:アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長に就任
1720年:妻マリアが亡くなる
1721年:アンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚
1723年:ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽指導者)に就任
1736年:ザクセンの宮廷作曲家に任命。
1750年:7月28日に亡くなる。
【1685年(貞享2年)頃のできごと】
◇第5代将軍:徳川綱吉/第112代天皇:霊元天皇
◇1687年:生類憐れみの令が発令される
◇1688年:英国で[名誉革命]が起こる
【世界最大の音楽家系のバッハ一族】
◇バッハの家系は、中部ドイツを中心に200年余りの期間に、J.S.バッハの曽祖父(お祖父さんのお父さん)を始めとして、
一族で80人以上の職業音楽家がいた歴史上最大の音楽家家系でした。
◇バッハの音楽はバロック音楽に分類され、作曲家としても有名でしたが、他にもオルガンやピアノ、ハープシコードといった
鍵盤楽器や、ヴァイオリン奏者としても秀でていました。
【ヨハン・ゼバスティアン・バッハの主な作品】
◇主よ人の望みの喜びよ(教会カンタータより)[BWV147]
◇G線上のアリア(管弦楽組曲第3番ニ長調より) [BWV1068]
◇ゴルトベルク変奏曲[BWV988]
◇ブランデンブルク協奏曲第1~第6番[BWV1046-1051]
◇小フーガト短調[BWV 578]
◇2つのヴァイオリンのための協奏曲[BWV1043]
◇マタイ受難曲 (Matthäuspassion)[BWV244]
◇ヨハネ受難曲(Johannes-Passion)[BWV245]
◇ロ短調ミサ曲(MESSE in h-moll) [BWV232]
◇トッカータとフーガ ニ短調(Toccata und Fuge in d-Moll)[BWV565]
◇無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ[BWV1001-1006]
◇クリスマス・オラトリオ(Christmas Oratorio) [BWV248]
◇音楽の捧げもの(Das Musikalische Opfer[BWV1079]
【J.S.バッハの音楽の影響】
◇バッハは、複数旋律の重ね方の技法である対位法を極限まで進化させました。
また同じ旋律が複数の声部に順次現れるフーガ(遁走曲)の巨匠としても名高く、モーツァルトやベートーベンを始めとする
後世の音楽家たちに大きな影響を与えました。
◇300曲近い教会カンタータや受難曲やミサ曲など音楽を通じて、キリスト教を民衆に浸透させる大きな助けともなりました。
◇洗練されたバッハの音楽はクラシックだけでなく、現代においてもポップスやジャズ、ロックなどあらゆる分野の音楽に
応用されています。
【ヨハン・ゼバシティアン・バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)の天才的な作曲へのこだわり】
◇J.S.バッハは、他にはない様々な工夫やこだわりを作曲に取り入れていました。
例えば[高き天より]という曲の最後の小節には、名前のBachを音にして「B[シ♭]-A[ラ]-C[ド]-H[シ]」という音階を
サイン代わりに(?)書いています。
◇下の楽譜は「音楽の捧げ物BWV1079」の3曲目の通称「蟹のカノン」という曲です。
最初の12小節の曲は、一方の旋律を最後の音から最初に向かっても反対側に演奏すると、もう一方の旋律とまったく同じ旋律に
なっています。 さらに後半の12小説では反対から演奏した2つの旋律を重ねて見事に美しい曲にするところにもバッハの
天才的なこだわりぶりが発揮されています。
【ヨハン・セバスチャン・バッハの作品番号】
◇J.S.バッハの作品は[BWV]というシュミーダー番号によって整理されています。
BWVとは「バッハ作品目録」を意味する[Bach Werke Verzeichnis]の頭文字を取ったものです。
「バッハ作品目録」は、1950年にヴォルフガング・シュミーダーによって整理され始めましたが、作業はドイツの
東西分断などの事情で難航して、約1,100の作品が収められた「新バッハ全集」103巻が完成したのは2007年のことですが、
現在も作品の整理が続いています。
【ドイツの地理と、当時のドイツ】
◇J.S.バッハは、アイゼナハで生まれてライプツィヒで亡くなるまで、アルンシュタット/ヴァイマル/ミュールハウゼン/ケーテン/
ザクセンといった、現在のテューリンゲン州/ザクセン州/ザクセン=アンハルト州にあたる中部ドイツのみで活動を続けていました。
◇J.S.バッハは現在のドイツ国外に出た記録はなく、一番遠いところで、ドイツ北部のリューベックに旅行した記録がある程度です。
ちなみにこの時は住んでいたアルンシュタインからリューベックまで400kmもの道のりを徒歩で向かったと言われています。
◇バッハの生まれた時代のドイツは、[神聖ローマ帝国]という国名で、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部に
またがっていました。
ただし実際には神聖ローマ帝国は、小さいものまで含めると300以上の領法国家と自由都市からなる集合体でこの形は1806年に
ライン同盟ができるまで続きました。