C001:ドヴォルザークを知ろう
【SJPOジュニアオーケストラ講座】 ドヴォルザークを知ろう
【アントニン・ドヴォルザーク (チェコ語:Antonín Leopold Dvořák [ˈantɔɲiːn ˈlɛɔpɔlt ˈdvɔr̝aːk]】
(生:1841年9月8日 -没:1904年5月1日)
◆ドヴォルザークは後期ロマン派のチェコ国民楽派を代表するチェコの作曲家です。
チェコ語の発音により近い「ドヴォルジャーク」や「ドヴォジャーク」という表記も用いられます。
【ドヴォルザーク年表】
1841年:9月8日にチェコの北ボヘミア地方で肉屋と宿屋を
営んでいた両親のもとに生まれる。
1857年:オルガン学校入学。
1859年:オルガン学校を12人中2位の成績で卒業。
その後ヴィオラ奏者としてオーケストラに所属する。
1862年:国民劇場オーケストラにヴィオラ奏者として入団する。
1865年:作曲コンクールに応募するため交響曲第1番を作曲する。
1865年:音楽教師の教え子アンナ・チェルマーコヴァーと結婚する。
1878年:民族音楽を題材にスラブ舞曲集を作曲して一躍有名になる。
1884年:渡英して大成功を収める。
1890年:プラハ音楽院教授に就任。交響曲第8番を作曲。
1892年:渡米してニューヨークナショナル音楽院院長に就任する。
1893年:交響曲第9番「新世界より」を作曲する。
1895年:チェコへ帰国して、再びプラハ音楽院で教え始める。
1904年:5月1日に脳出血で死去する。
【ドヴォルザークの生まれた1841年(天保12年)の日本】
◇第12代将軍に徳川家慶が就任。
◇水野忠邦の天保の改革が始まる。
◇初代内閣総理大臣となる伊藤博文生誕
【ドヴォルザークが音楽を始めたきっかけ】
肉屋を継ぐために通ったドイツ語学校の校長がドヴォルザークの才能を見出して、
ヴァイオリンやオルガン、音楽理論などの音楽教育を施したのがきっかけでした。
【作品ジャンル】
◇後期ロマン派
◇チェコ国民楽派(ボヘミア楽派)
【ドヴォルザークと主な作曲家とのかかわり】
◇B.スメタナ:[1866年]
ドヴォルザークが所属していたオーケストラの指揮者に就任して直接教えを受けました。
◇R.ワーグナー:[1870年頃]
ドヴォルザークが傾倒していた作曲家で初期の作品に大きな影響を与えました。
◇J.ブラームス:[1878年]
コンクール審査員でドヴォルザーク作品の審査がきっかけで親交を深めました。
◇P.チャイコフスキー:[1888年]
プラハを訪れたチャイコフスキーと親交を深め、のちにロシアへ招かれました。
【ドヴォルザークの主な作品】
※作品番号は「Op.○○」で表す他に、ブルグハウゼルの整理番号((ブルグハウゼル番号))「B.○○」で表す方法もあります。
◇交響曲第9番ホ短調Op.95,B.178「新世界より」
◇スラブ舞曲第1集Op.46,B.83、第2集Op.72,B147
◇弦楽四重奏曲第12番ヘ長調Op.96,B.179「アメリカ」
◇チェロ協奏曲ロ短調Op104,B.191
◇交響曲第8番ト長調Op.88,B.163
◇序曲「謝肉祭」Op.92,B.169
◇歌劇「ルサルカ」Op.114,B.203
【ドヴォルザークの生誕地】
・プラハの北30kmほどの北ボヘミア地方のネラホゼヴェスで生まれました
【当時のチェコ共和国】
ドヴォルザークが生まれた時はオーストリア帝国
亡くなった時はオーストリア=ハンガリー帝国という国名でした。
【チェコの音楽】
音楽の都ウィーンからも近く、中欧の様々な民族の多様性もあり、独自の音楽が形成されました。
【鉄道ファンだったドヴォルザーク】
ドヴォルザークは相当の鉄道ファン(というより鉄道マニア)でした。
作品の中にも、鉄道の音から取ったリズムがいくつも取り入れられているようです。
〇有名なところでは・・・
◆ユーモレスク
◆新世界の三楽章
◆弦楽四重奏「アメリカ」の4楽章
など、汽車が走るリズムを思わせるところが数多く見受けられます。
〇ドヴォルザークの鉄道マニアぶりを表すエピソードも数多く存在します。
◆子供の頃、乗っていた汽車の音のリズムが違うことから、列車の故障に気づき大惨事を防ぎました。
◆鉄道模型作りに凝っていたのはもちろんのこと、暇があればプラハの自宅近くの駅にいつも散歩に出かけては
電車を眺めていて、時刻表から車体番号なども暗記していたそうです。
◆ニューヨークに住んでいた頃、新しい機関車が駅に到着することがあったのですが、予定があって観に行かれず、
仕方なく弟子であり娘の恋人のヨセフ=スークに代わりに車両番号を確認してくるように頼んだのですが、
スークが間違った番号を控えてきてしまい、ドヴォルザークは「お前は本当にうちの娘と結婚する気があるのか!」
と激怒したそうです。
◆「本物の機関車が手に入るなら、今までに私が作ったすべての曲と交換してもかまわない」と言ったのも有名な話です。
真偽のほどはともかく、現代なら筋金入りの鉄道オタク(鉄ヲタ)や鉄っちゃんと呼ばれたことでしょう。