※2020.9以降は、ご恵贈いただいた句集・歌集などの作品を書き留めています。
・「近況」を設置しました。(2020.3)
・新型コロナウイルス感染予防を理由に、講座や句会はすべて中止・延期の連絡をいただいております。(2020.3)
・通信、オンライン形式で一部の講座や句会が再開されることになりました。(2020.6)
・第二句集『砂の輝き』(2014年;2013年春までの作を収録)以降の作を整理して掲載しました。
・ご恵贈いただいた句集・歌集などから書き留めています。(2020.9~)
―――句集、ほか
狐火の目撃者みな老いにけり 篠崎央子『火の貌』
ずりずりと畳につぶす夜の蟻 南うみを『凡海』
あたたかやカステラを割る手のかたち 津川絵理子『夜の水平線』
針箱は母のお下がり石蕗の花 宮沢恵理『ハーブティー』
かよひ路のわが橋いくつ都鳥 黒田杏子『木の椅子(増補新装版)』
三角の牛乳パック鳥渡る 木田智美『パーティは明日にして』
かまきりのゆらゆらゆらりと海原 豊里友行『地球の音符』
大の字になって素足に風を聴く 塩見恵介『隣の駅が見える駅』
廃駅は日と綿虫のただなかに 加藤又三郎『森』
いやりんぐのりんりりりん春の星 豊里友行『ういるす籠り』
野遊の指笛に鳥加はれり 堀瞳子『水恋鳥』
いつまでも革命起きず蝌蚪の國 堀田季何『人類の午後』
ふんだんに星糞浴びて秋津島 谷口智行『谷口智行集』
お隣のとなりも空家山桜 鈴木玲子『桜狩』
人類の歴史短し十三夜 鈴木光影『青水草』
ニュータウンの小さき葬式月静か 小川軽舟『無辺』
昼蛙どの畦のどこ曲がらうか 南うみを『石川桂郎の百句』
長江や夏あかつきに濁りつゝ 恩田侑布子『はだかむし』
耳打ちのごとくぽつぺん鳴らしけり 小野恵美子『航路』
あんなところにからうじてつもる雪 野名紅里『トルコブルー』
一天に灼くる一剣とこしなへ 松永浮堂『不動剣』
天涯の地に立て直す鷹柱 淵脇護『鷹柱』
ゆふべまで臥してゆふべの鳰のこゑ 中岡毅雄『伴侶』
山河まだ色を出さずに猫柳 若井新一『若井新一集』
猪食べに来んか冷凍せぬうちに 松井トシ『冬青の実』
父と子の後の雛をかざりけり 本杉純生『有心』
旅の空どこも深くて冬帽子 松下宏民『竜宮の使ひ』
暮れてなほ白まさりけり山桜 小川軽舟『小川軽舟集』
新暦子の婚礼を先づ記す 山中悦子『美しき重力』
あらこんなところに月の法隆寺 谷口智行『海山』
肥後守蛇の匂ひのこびりつき 行方克巳『肥後守』
貰ひ手のなき猫の子の名を決める 柴田多鶴子『桐箱』
山あげの街水清し山清し 鈴木美江子『山あげの街』
風紋は沖よりのふみ夕千鳥 広渡敬雄『風紋』
泳ぎ子の母の胸へと泳ぎ着く 松林朝蒼『水声山色』
逃げ水の戦死者数の同じ顔 豊里智行『地球のリレー』
そこにゐるはずの人呼ぶ冬はじめ 石田郷子『万の枝』
銀漢のかたむきて鳥こぼしけり 飯田晴『まぼろしの雨』
おほぞらをもたげてゐたりふきのたう 和田ゑみこ『流灯』
分校の生徒に出会ふ探梅行 山内節子『気息』
水渡り来し一蝶や冬隣 藺草慶子『雪日』
体温をみんな測って水温む 山本純子『オノマトペ』
石蹴りの子に道聞くやおみなえし 杉山一陽『案山子』
東京にまた住む暮らし年の暮 染谷秀雄『染谷秀雄集』
滴りは光をためて音ためて 室達朗『忘筌』
日と月と一山の花鳥のこゑ 山口素堂『吉野百景』
後出しのじやんけん強し雲の峰 坂本登『松の位置』
太陽に菊に目をやり朱印待つ 高山れおな『百題稽古』
かなかなは嫌ひ叱られたくなくて 大久保樹『ありつたけ』
こまやかな春一番や龍太の地 藤田博『甲斐連山』
文明の滅びのときも田を植ゑて 対中いづみ『蘆花』
茸筵和生が見たらなんと言ふ 本郷をさむ『茸筵』
金魚より金魚の糞のながかりき 森尾ようこ『惑星』
土手をゆく土踏まずより春は来る 木村内子『金平糖』
――歌集、ほか
何もかもデーターになる近未来 秋空のつつぬけの明るさ 小谷博泰『時をとぶ町』
初詣 初日 初夢 初滑り 初を重ねて松過ぎにけり 斉藤雅也『くれはどり』
葉桜の並木の下をうつむいて通り過ぎゆくおもかげのひと 沢田麻佐子『レンズ雲』
苦しいよあなたはずっとそばにいた、なのに全然気づけなかった 永田愛『LICHT』
朝四時の鳥のさえずり飽和して光につたい枕辺にふる 池田行謙(文藝別人誌「扉のない鍵」第5号)
すこしだけこはれてみたい昼月は指紋のやうに空にはりつく 澄田広枝『ゆふさり』
積み重ねしやすき皿は良い器使うときにも作るときにも 加藤武朗『のぞみとのぞみ』
―――評論、エッセイなど
・林誠司『俳句再考』
「虚」=「嘘」というイメージを持つかもしれないが「虚」とは「創造」と考えるべき
「ひねり」と「昇華」は厳密には違うが、「憂し」から「華やぎ」へひねってゆくこと、昇華してゆくこと、つまり、異質のものへ変えてゆくのが俳句
・髙田正子『日々季語日和』
季語が「あそぼ」と呼びに来てくれたときに、「は・あ・い」とすぐに飛び出せるよう、いくつになっても体勢を整えていたいと思います。
・藤英樹『俳句500年 名句を よむ』
和歌の上の句(五・七・五)と下の句(七・七)を何人かで詠み合う連歌が盛んだった時代は、また能と狂言も盛んでした。決まり事の多い正式な連歌が能とすれば、その余興として砕けて詠まれた「俳諧の連歌(連句)」は狂言のようなものでした。
・向瀬美音『パンデミック時代における国際俳句の苦闘と想像力 2020·1―2021·1』
季語の中には、時候、天文、生活、植物、動物の中から世界の俳人と共有できる季語はたくさんある。季語の持つ深い大意を理解してもらうのは時として難しいが、植物、動物、天文、時候のいくつかは十分分かち合える。
・広渡敬雄『全国・俳枕の旅 62選』
短歌が自然詠、名勝地、歌枕に、あまり目を剥けなくなった現在、俳人に求められる責務は重い。
・田島健一『平成の一句』
「平成無風」という言葉があります。これは平成期において昭和の頃のような論争が失われ、まるで凪のように穏やかだった平成俳壇の様子を揶揄する言葉として知られています。確かに振り返ってみると平成期には俳句史に残るような本質的な議論や俳句論があまり見当たらないようにも思われます。けれどもそれは昭和期に議論された「俳句の本質」なるものが失われたことを意味しません。むしろ、そうした「本質」が相対化され、俳人の数だけ「俳句の本質」がある、とされた時代だったと言えるでしょう。
・向瀬美音(企画)『国際俳句歳時記 秋』
海外の俳人は天文が大好きで、特に月、星、銀漢、流星には多くの句が寄せられた。月を見て思うことは万国共通であり、星を見て煌めく心も同じであるのだろう。