社会政策・人口論研究
人口問題への政策的対応に関心があります。
アダム・スミスは、その著『国富論』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations;1776)のなかで「個人ごとの天分の違いは実際には、考えられているよりははるかに小さい。成人に達した人をみると、職業によって天分に大きな違いがあるように思えるが、これはたいていの場合、分業をもたらす原因というより、分業の結果である。例えば、仕事の性格がまったく違うと思える学者と荷かつぎ労働者の差は、生まれつきの天分よりも習慣や教育の違いによるものだと思える。生まれたときから6歳から8歳までの間はおそらくほとんど差がなく、両親も友達も特に大きな違いがあるとは感じない。しかし、この年齢か、少し後になると、それぞれ違う職業につく。そうなると能力の違いがあらわれ、拡大していき、やがて学者は虚栄心から、荷かつぎ労働者と似た点があるなどとは認めたがらなくなる」(※)と述べています。この一節にも見出される、ある個人の資質・能力を規定する遺伝要因と環境要因をめぐる知と人口・社会政策形成の史的経緯を追究しています。
(※)山岡洋一氏の訳(『国富論 上』日本経済新聞社、2007年、18頁。)
具体的には、西欧先進諸国が出生率低下への危機感を高め、優生学の興隆を機に人口の<質>や社会の進歩への関心が高まった20世紀はじめを優生-優境論(nature and nuture:※※)の時代と捉え、スウェーデンのミュルダールやイギリスのべヴァリッジといった福祉国家論(welfare state)の先駆者の思想をよりよい<生>から成るよりよい<社会>を志向する優生-優境主義が貫いていたことを手掛かりにして、日本における人口‐社会政策論の歴史的経緯を明らかにしてきました。社会の進歩への関心は、将来の社会の改善(the future improvement of society)に役立つことを願って書かれたとある『人口論』(An Essay on the Principle of Population;1798)を貫いています。そのマルサスからダーウィンの進化論を経てスペンサーの社会進化論、また、ゴルトンの優生学、リチャーズの優境学へと展開した社会の進歩に関する思想の受容が、<女性+児童+優生>政策としての人口-社会政策の形成に与えた影響は大きいと考えられます。
(※※)William Beveridge et al.,CHANGES IN FAMILY LIFE,George Alllen&Unwin,1932.
人口‐社会政策論はその時代の人口認識に基づく行政課題との関連が強く、日本では官学の強い結びつきのなかで形作られてきてきました。1970年に至るまでについていえば、日本で最初の人口を主題とする政府機関である人口食糧問題調査会(1927-1930)以来の人口‐社会行政の形成、展開に立ち合い、やがてキーマンとなった舘稔をはじめとする厚生省人口問題研究所の関係者たちが、その時々の行政課題に応じて南亮三郎、福武直といった研究者と組んで人口‐社会政策論の方向性を導き出しました。こうした動きの事実発掘を前提に、多い・少ないを問題にする<量>と資質、構成といった異質性を問題にする<質>をめぐる人口認識を前提に、家族計画論(family planning)、社会開発論(social development)、能力開発論(capability development)、家族政策論(family-friendly policy)などと推移してきた政策論議の意義、さらには限界(具体的には、政策言説と社会の規範、さらには内面化された規範の相互依存関係)について考察しています。
日本で社会開発論議が活性化するのは1960年代ですが、それは1950年代まで遡ることができる国連における人口の変化とそれが経済や社会に与える影響をめぐる課題としての「経済開発(Economic Development)と社会開発(Social Development)の均衡」とのかかわりで理解する必要があります。国際的に経済開発中心の開発から社会開発重視のアプローチへの理念的な転換の起点となったのは1955年に国連で社会開発という言葉が経済開発という言葉とともに使われたことであり、それ以降の貧困層の拡大や環境問題の深刻化によって、実際に経済との関連で社会問題、さらには環境問題について論じられることが増えていきました。「経済開発(Economic Development)と社会開発(Social Development)の均衡」から「持続可能な開発(Sustainable Development)」へと開発をめぐる議論が広がった先に「経済開発と社会開発、環境保全が持続可能な開発の三つの柱」とされているSDGs(Sustainable Development Goals;持続可能な開発目標)があります。そんな人口と開発をめぐる議論の国際的な動向と日本の動向の関係づけにも関心があります。
「文学作品が好箇のテーマとして描く恋愛や、結婚や、生死や、家系や、貧困なぞは、裏をかえしてみればことごとく人口問題につながるもので、その要素のどれ一つをとってみても、その作品の成り立った時代の人口問題と無関係ではありません」というのは『生と死と愛-文学にみた人口問題-』(三芽書房、1957年)における南亮三郎の言葉ですが、人口問題を論じた思想家たちの文学作品にも興味があります。
歴史分析を研究活動の中心に据えて取り組んできましたが、異分野の研究者や行政関係者との出会い、お導きを得て、ワーク・ライフ・バランスや子育て・子育ち、性と生殖に関する健康、まちづくりなどの今日的な課題に関する調査研究にも取り組むようになりました。これからも他者との関わりのなかから大いに学び、教育・研究活動の幅を広げていこうとするなかに、人口問題と社会政策の関係性や人口政策と人権保障の接点などについて考えを深めていきたいと思っています。
ご参考:
杉田菜穂|所属教員による研究紹介|研究|経済学部・経済学研究科|大阪公立大学
2003年 3月 大阪市立大学経済学部経済学科卒業
2006年 3月 大阪市立大学経済学研究科前期博士課程修了
2009年 3月 大阪市立大学大学院経済学研究科後期博士課程修了、博士(経済学)
2010年 4月 同志社大学政策学部 講師(有期)
2014年 4月 大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部 准教授
2022年 1月 大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部 教授
2022年 4月 大阪公立大学大学院経済学研究科・経済学部 教授 (現在に至る)
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杉田の著書に、以下があります。
『人口・家族・生命と社会政策-日本の経験-』(法律文化社、2010年)
『<優生>・<優境>と社会政策-人口問題の日本的展開-』(法律文化社、2013年)
『人口論入門-歴史から未来へ-』(法律文化社、2017年;大阪市立大学教育後援会 平成29年度「優秀テキスト賞」)
書いたもの(論文、研究ノートなど)に、以下があります。
査読あり:
「日本における社会開発論の形成と展開:人口と社会保障の交差」国立社会保障・人口問題研究所『人口問題研究』 71(3), 2015-09.
「日本における人口‐社会保障論の系譜:舘文庫を手掛かりに」国立社会保障・人口問題研究所『人口問題研究』 73(4), 2017-12.
「大来佐武郎の人口論:経済発展の最も基礎的な要件は人間の能力である」日本人口学会『人口学研究』54,2018-09.
「1950年代の日本における人口学の研究教育体制確立に向けた動きについて」日本人口学会『人口学研究』55,2019-09.
「大学教員のワーク・ライフ・バランス実態と求められる職場環境改善支援」日本教育工学会『日本教育工学会論文誌』44(4),2021-03.(渕上ゆかり氏との共著)
=Translation :Actual Conditions of Work-Life Balance and Required Supports of Improvement of Work Environment on Faculty Members, Information and Technology in Education and Learning ,3 (1), 2023.
「福武直と婦人問題:家制度の強みが、社会保障については弱みになる」日本人口学会『人口学研究』60,2024-09.
査読なし:
「日本における福祉国家論の形成と展開:北岡壽逸をめぐって」社会政策学会『社会政策』9(2),2017-11.
「近代以後の日本の人口・子ども政策:その変遷と課題」『公衆衛生』編集部『公衆衛生』医学書院,82(9),2018-09.
「研究者の職場環境整備に向けた実態調査:大阪市立大学と大阪教育大学の結果について」(渕上ゆかり氏との共著)
大阪市立大学経済学会『経済学雑誌』119(2),2019-02.
「人口政策と健康:戦前の思想的潮流から考える」日本健康学会『日本健康学会誌』86(5),2020-09.
著書(分担執筆):
比較家族史学会(監修);小島宏(著、編集)・廣嶋清志(著、編集)『人口政策の比較史』日本経済評論社,2019-09.
Nullmeier, Frank/González de Reufels, Delia/Obinger, Herbert (eds.),International Impacts on Social Policy: Short Histories in Global Perspective, Palgrave Macmillan, 2022-02.
事典(項目執筆):
日本人口学会『人口学事典』(日本人口学会設立70周年記念刊行)丸善出版,2018-11.
日本医史学会『医学史事典』丸善出版,2022-07.
助成金による研究課題に、以下があります。
「優生‐優境主義のなかの日本社会政策:近代から現代へ」(平成27年度科学研究費補助金、若手研究(B);2015-2018)
「人口・家族政策論の史的経緯における国際的差異に関する研究」(平成30年度科学研究費補助金、基盤研究(C);2018-2022)
「共働き家庭の時間的貧困に関する調査研究」(平成30年度科学技術人材育成費補助金、連携型共同研究助成;研究代表者;2018)
「ダイバーシティ研究環境実現に関する調査研究」(平成31年度科学技術人材育成費補助金、連携型共同研究助成;研究代表者;2019)
「住まいにおける子どものオンライン学習スペースの研究」(令和3年度科学技術人材育成費補助金、連携型共同研究助成;研究分担者;2021)
「人口・家族政策論における性別に基づくアンコンシャス・バイアスに関する歴史研究」(令和4年度科学研究費補助金、基盤研究(C);2022-2026)
「住まいにおける子どものオンライン学習スペースに関する研究」(令和4年度科学技術人材育成費補助金、連携型共同研究助成;研究分担者;2022)
「社会規範と性生活の相互依存関係の解明」(令和7年度科学研究費補助金、学術変革領域研究(B);2025-2027)