大正期に生起した母性保護論争は、平塚らいてうの「母性(妊娠・出産・育児期の女性)は国家によって保護されるべき」とする見解と与謝野晶子の「女性は男性にも国家にも寄りかかるべきではない」とする見解の対立を軸に、山川菊栄や山田わか等を巻き込んで展開しました。当時にあって性や愛について正面から論じることを憚らなかった彼女らは、新しい女と呼ばれました。「そぞろごと」(詩)が『青鞜』創刊号(1911年9月1日発行)の巻頭を飾るなど、晶子は精力的な創作、言論活動で新しい女の時代をリードしました。
清水へ祇園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美しき
何となく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
たなばたをやりつるあとの天の川しろくも見えて風する夜かな
水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり岡の夕日に
朝顔や物のかげにも一つ咲くひるがほめきしはかなさをもて
山の夜や星にまじりてあるごとく高き方にて鳴けるこほろぎ
風立てばすこしゆらぎて水くさの花めく夏の夕ぐれの星
『与謝野晶子歌集-与謝野晶子自選-』(岩波書店、1943年)から