右城暮石は、師である「自然が持つ秘密、この秘密に触れなければならぬ」という靑々の教えを大切にしながら、誓子からも多くを学びました。墓石の第一句集『声と声』の序文で誓子は、「右城暮石氏は「倦鳥」と「天狼」の接木作家である」と述べています。この句集には誓子を詠み込んだ<綿虫を指ざす誓子掴む三鬼>が収録されています(この句の句短冊は、たかすみ文庫(奈良県東吉野村)で閲覧することができます)。
暮石は、「馬酔木」を脱退した山口誓子を中心とする同人誌として1948年に奈良で創刊した「天狼」で出会った作家から刺激を受け、(「筐」を解題して)1956年の「運河」発足につながりました。その創刊号(「運河」昭和31年4月号)で、以下のように記しています。
「運河」の作品は一口に言へば、各者各能であってよい。でたらめや負け惜しみで言ふのではない。出発早々から一色一列を並べられる筈もないし、そう言ふ積りもない。只作
品意欲だけは旺盛であり度い。少々俗つぽくても不死身の態度の中から、次第に本物が生れて来ることを期待する。
句集に『声と声』、『上下』、『虻峠』、『天水』、『一芸』、『散歩圏』があり、小動物を詠んだ作が多いのが暮石俳句の一つの特徴です。
いつからの一匹なるや水馬 『上下』
蛇もまた人間嫌ひひた逃ぐる 『虻峠』
上げ泥に蝌蚪の形の現るる 『天水』
蠑螈浮く宇宙泳ぎをするもゐて 『一芸』
探すもの探し得たるや蝶止まる 『散歩圏』