「塔」掲載作ほか
はや外は朧月夜となつてゐる地下の読書室の鍵かけて出づ
星の地図足裏の地図脳の地図学ぶといふはかくも楽しき
咲きのぼる吉野の里の山ざくら恋はしづかに愛へと変はる
* * *
駅のホームは真っすぐで平たくて二十四時の次は二十五時
東京タワーに触れるか触れないかのところに置く月の輝き
「院生の勉強部屋」と呼んでいる部屋の机と椅子と寝袋
いつよりか「いつもの場所」と呼んでいるポストの脇で君を待っている
電車の揺れから生まれたようなものふっと思いついたアイデアは
休日の過ごし方って何だっけ顔を洗ってご飯を食べて
「スーツよりジーパンが好きだから就職をするのはちょっと憂鬱」
野良猫が餌を求めてやってくる場所から消えた丸い灰皿
近づけばその分遠ざかる猫と通じ合っているような感じ
アルトからソプラノに変わってしまうじゃんけんぽんのぽんを言うとき
虹を見つけて立ち止まるときみたい大切な思いに気づくとき
タオルゆらゆら靴下ゆらゆらパジャマゆらゆらベランダの夕暮れ
長ねぎがすっぽり入るエコバックあればいいなと思いませんか
夢という言葉のやわらかい響き満開の桜の下に聞く
小説の中に入っていけそうな風が輝かせる冬の星
まあいいかというわけではなくてもういいかというわけでもなくって
次々に思い出されることのある異国の雨はじわじわ沁みて
「束縛をされてみたいと思うのは自由を享受できているから」
書かないでおいた続きがあるような啄木の三行書きの歌
コスモスがゆらゆら揺れている丘でずっと一緒にいれたらいいね
満月を抱いて眠っているような背中が描くゆるい曲線
机に向かってばかりの休日を肯定するように外は雨
どの坂も下れば海に行き当たる神戸の街と横浜の街
「大学に行かない理由がなかったから大学に行くと決めた」と
階段を上って行けば見渡せる川が行きつく海の輝き
120円の入場券を買う発車するまでの時間を買う
雨が好き山の緑がいつもより明るく見えるような雨なら
ゆっくりとお湯を注げばゆっくりと味噌汁になってゆくかたまり
デパートのバレンタインの賑わいを抜け来て研究棟の静けさ
すべり台よりもジャングルジムよりもぶらんこにのせたい恋心
清少納言派と紫式部派で異なる幸せの条件
あまりにも美しければシャッターを切れずに帰る又兵衛桜
来年の君の誕生日が賞味期限のビスケットを見つけた
件名はハッピーメリークリスマス本文は原稿の催促
にんじんのクリスマスツリーをのせて少しだけクリスマスの気分
パイプオルガンの音色が春雨のように降りくる朝の教会
「雨の日はこいつも機嫌悪くてね」バイオリン抱くバイオリニスト
知らないということを知ることばかり本を読んでも人と会っても
疲れた日嬉しかった日悲しい日違って見えるペコちゃんの顔
花束のふんわりとした重たさのなかに感じる温かさとか
本を置くその上にまた本を置くその上にまた本を置いてしまう
心から身体がずれていく感じゆっくりぬるいお風呂に入る
リクルートスーツ姿が構内を繁く行き交う新緑の時季
現在形で話すことしばらくは過去形で話したくないこと
また一つ空き家が増えた集落にたくさんのコスモスを咲かせて
君と並んで満月をみていたらホットケーキが食べたくなった
自己紹介を繰り返すうちに過ぎていったという感じの四月
休日は遠まわりして教会のオルガンの音を聞いてから行く
一人ぼっちの寂しさとは異なる大勢のなかにいる寂しさ
いつもより砂糖を多く入れてより寂しさと仲良くする時間
「何がしたいかわからない」という学生さんと一緒に日向ぼこ
夢がいくつもあるという者がいて夢が見つからない者もいて
自転車が自転車を追い抜いてゆく青葉若葉の大学通り
意味もなく舌をぺろりと出す癖は今もそのままだからペコちゃん
一次会二次会そして三次会いつもの顔ぶれとなってゆく
人に囲まれているときより本に囲まれているときの落ち着き
居心地がいいから今日も来てしまう一番奥の隅っこの席
図書館の静かさの延長にある図書館の外側の静かさ
詩を読むときのゆっくりと論文を読むときのゆっくりは違って
路面電車のスピードが心地よい詩集を読みながら乗っている
ケーキの上のいちごとかシューマイの上のグリンピースって感じ
ぽつぽつと実るみかんがわかるほど今日の満月の明るさは
名前はまだ知らないから「青色のよく似合う人」と書いておこう
こしあんぱんとつぶあんぱんの違いのようなぼんやりした違和感
お湯を沸かしてココアでも作ろうか突然やってくる寂しさに
ゆっくり歩きながらゆっくり話すゆっくりがいいゆっくりがいい
さようならのうは抜け落ちやすいものまた明日会う人にさようなら
ペコちゃんの前を通って帰宅する少し遠回りになるけれど
人間であることを忘れることがうまく泳げるための条件
足のうらと足のうらで会話するジャグジーのぶくぶくの一角
感じ取ることで埋めたいものがある背中合わせで空を見ている
眠れない日の翌日はよく眠れるそんな規則正しさもあって
長針は短針を追い越してよりまた短針を追いかけてゆく
図書館の屋上庭園のために出てきたかと思う鰯雲
寝て起きてまた寝て起きて寝て起きてやりがいはぼんやりとしていて
シャンプーとリンスの横の空間にちょうど収まるアヒルの親子
透明になって今でもそこにいるような気がする父の定位置
駅前も今日の終わりがやってくる深夜一時を過ぎる頃には
お世話になりますと入力したところから前に進まないミルクティー
蛇行する川沿いを行くまだ諦めるのは早いような気もする
パトカーが通る救急車が通る平和であるということを知る
本棚の整理に費やしてしまう一日二日三日四日と
約束を残したまま終わっていくような別れがいいな、月光
ぽんぽんぽんぽんぽんぽんと雨が降るぽんぽんぽんと春が近づく
祈っておりますという言葉が物語る二人にある隔たりを
トールサイズのカフェオレが冷めてゆく時間通りにバスが来なくて
手のひらが何かに触れていたいときそっと握っていたい手袋
仕事といえば仕事仕事でないといえば仕事でないようなこと
もういない人のためにもマグカップ置いてやっぱりいてほしい人
夜の背泳ぎもいいけど夜のぶらんこもおんなじくらいおすすめ
夜のプールにいたいくじらにもイルカにもなれないけれど
ベランダに出れば広がる青空の誰かとつながっている感じ
野菜炒めを作るときとんとんとんチャーハンを作るときもとんとんとん
アボカドの皮がするりと剥けたときのような感じと言えばよいか
雨の日は雨の日なりの過ごし方ゆっくり動かす鉛筆削り
アイロンをかけたハンカチがゆっくり冷めてゆく真夜中の雨音
眠くなるのは食べたから食べたのはお腹がすいたからなのですが
締め切りを何とか守ることばかり十二月の次は一月で
ざわざわとするというほかないようなうまく眠りにつけない理由
夜の続きに朝が来るのはなぜかなんて考えたことなかった
窓ガラスを叩くほどの雨となり後悔はないとは本心か
昨日より十度も低い公園の昨日と同じ場所にいる猫
孤独だと感じることと自由だと感じることの関係性は
花を買う食材を買う何となくこれがいいなという感覚で
にんじんさんじゃがいもさんと呼んでみる料理をするのが楽しくなる
キャンパスのあちらこちらに猫がいる猫が寝そべるための場所がある
足踏みをしているような日が続く書いては消して書いては消して
狭すぎるのも広すぎるのも苦手一人で過ごすホテルの部屋は
寒さからくる寂しさか寂しさからくる寒さかその両方か
自転車で坂道を一気に下るどこか遠くへ行けそうな風
とぼとぼと歩いてみれば新鮮でさっさと歩いていた道のりも
虹が出てきそうな空という虹が出てきたらいいなと思う空
「アルバムのための写真を撮るときはマスクを外してもいいですか」
野良猫が好きそうな雰囲気の風草の花がそわそわと騒ぐ
外に出ることがなかった一日の終わりに空を見上げる時間
近づいてはダメおしゃべりをするのもダメそばにいるのに遠く感じる
パソコン画面に向かってこんにちはパソコン画面からこんにちは
自粛自粛の一年が過ぎて行くオンラインでお別れ会して
太陽が雲に隠れてしまうこと無理して笑わなくていいこと
けんかして仲直りする子どもたちそれがうらやましい私たち
心地よい疲れと思うような日は本屋に寄って帰りたくなる
好きになっても仕方ない人のこと咲けば散ってゆく桜のこと
ふわふわと来てふわふわと去って行くものが愛しい春の休日
買い物をするためだけの外出に花を見つけて歩を止めるとき
カレンダーを見て曜日を確かめる時計を見て時間を確かめる
オンライン会議の後は存分に風を感じるベランダに出て
昼休みまでに終わらせたいことが終ってからにする昼休み
タマネギもじゃがいもも乱切りにするだんだんどうでもよくなってくる
母の日の母はなんにもいらないと言うのは分かっているのだけれど
おにぎりもサンドイッチも外にあるベンチで食べる方が美味しい
目覚ましの鳴る直前に目が覚めて目覚ましが鳴るまでのひととき
矢印の看板が傾いていて自分を貫き通せばよいと
忘れたいことを忘れてしまうには時間がかかる冬の夕焼
カフェに寄るコーヒーを飲む考えるコーヒーを飲むまた考える
左手の上に右手を重ねれば左手のために右手がある
公園に誰もいなくて公園の遊具を抱いている月あかり
おおかたは一人暮らしのアパートの一つ一つの部屋が灯って
手巻き寿司のようなものを食べる会巻いてみたいものを持ち寄って
図書館に行って買い物して帰る青葉若葉のまぶしい季節
もう少しだけ頑張るというときの引き出しのホワイトチョコレート
川沿いを行けば見つかる春らしさすみれよもぎつくしクローバー
ただ空を見ているときは遠ざかる合理性とか効率化とか
ゆっくりと近づいてきてゆっくりと遠ざかる夕暮れの水鳥
パフェの主役はさくらんぼ深刻な話をしているような時でも
明け方の丘の上から見渡せば真っ直ぐ届く鳥の鳴き声
とんとんぽんとんとんとんぽんとんとんぽん天気予報を覆す雨
庭で採れたもので済ます昼ごはん小さな庭の実りの秋の
本を読む好きなだけ読む図書館は明け方の森のような感じ
回答のない質問を追いかけてゆくようなものという人生
それでいいんだよとか言ってくれそうぼよーんと形を変えながら (バーバパパ)