2012年から2019年までお世話になった「晨」(晨集;10句)掲載作を整理しました(第二句集『砂の輝き』以降)。すべて、茨木和生先生に選をしていただいた上で提出、掲載していただいたものです。
第176号(平成25年7月号)
恋猫の一匹二匹三匹と
春泥の道の果てたる牛舎かな
鶯の二羽を三羽と思ひけり
しやぼん玉吹くアイデアに飢ゑたれば
たばこ屋がパン屋に変り鯉幟
青林檎素直になれぬ年頃よ
菖蒲湯の銭湯に子らぞくぞくと
あめんぼの運びて来たる光かな
第177号(平成25年9月号)
出張の荷物に入れる海水着
潮の香の残る日傘をたたみけり
水飲めば忽ち汗となるほどよ
砂浜の砂の熱さの沖縄忌
家事終へて机に向かふ扇風機
ハンカチの木の花に日の差しゐたり
廃屋と思へず朴の花時は
樹木医の自転車で来る梅雨晴間
夕焼の海へと続く滑走路
第178号(平成25年11月号)
東吉野村に来てをり暮石の忌
煙草の葉貰ふ蛇除けのための
蛇は嫌ひ見とれるほどの白なれど
鳥声の降りしきる宿とは涼し
磐座の裏側に差す月明り
秋扇持てる仕草も小説家
遊ぶやうに学ぶ林間学校は
さくらんぼ口に含みて返事せり
小鳥来てゐる境内の能舞台
風の輝きとんぼうの輝きは
第179号(平成26年1月号)
食卓で議論を交はす青蜜柑
露寒の銭湯にある電気風呂
船着場から見る秋の夕焼かな
水澄むや海に見立ててある池の
少年と少女に戻る草の花
茶の花のなべて俯き加減なる
毒菌取り囲みゐるひとりなる
秋出水巨岩も流さるるほどの
第180号(平成26年3月号)
冬桜ピアノの音に合はせ散る
クリスマスなればピアノを弾きにけり
メリークリスマスと結びて置手紙
大根の葉の勢ひを褒めにけり
十五分早く着きゐて落葉踏む
妹のやうな後輩冬林檎
小指ならば触れてもよろし初氷
第181号(平成26年5月号)
駅までの近道といふ冬菜畑
几帳面蜜柑の皮の置き方まで
鳥声の絶ゆることなき冬木道
ロボットも恋する時代冬ぬくし
買物に行くのがやつと春の雪
五日前に降りたる春の雪残る
返り花恋つて何と少女聞く
高齢化過疎化を嘆く雛の店
白菜を洗へり井戸水を使ひ
第182号(平成26年7月号)
春の空研究室から見てゐたる
恩師より著作贈られあたたかし
師弟には黙契多く青き踏む
論文の誤植見つかる余寒かな
寄書きに似顔絵もあり猫柳
春の鴨時間ゆつくり過ぎゆけり
麗かや箸でいただくスパゲッティ
祈ることある真夜中のさくらかな
花疲れ項に風を感じては
日時計の十二時を指す花吹雪
第183号(平成26年9月号)
畦道を行けば近道夏薊
涼しさとどこか似てゐる寂しさよ
初心忘るべからずと書く薄暑かな
いつもより酸味利かせて夏料理
靴を履く金魚に話しかけてから
目を覚ますために泳ぐといふことも
日覆は本棚のため研究棟
ここよりは歩くほかなき河鹿宿
動き出すまで山椒魚見てをりぬ
短夜や太陽よりも月が好き
第184号(平成26年11月号)
研究会のち大文字鑑賞会
秋風やリボン結びの論文集
湖の濁りてゐたる秋日和
虫の夜誰とも会はぬ日となれり
学校の裏に繋がる茸山
息抜きをせよと林檎を渡さるる
爽やかや十分前に皆揃ひ
秋蝉や楽器を運ぶ楽屋口
レモン置く部屋を明るくするために
自説説く語気の強まり柘榴の実
第185号(平成27年1月号)
道果てて真上に月の見ゆる場所
出産を終へたる姉に林檎剥く
長き夜や赤子の泣くたびに起きて
秋風の入り来る部屋にピアノ弾く
十五分あれば登れて茸山
小説の旧仮名遣ひ鳥渡る
秋の夜にふさはしき曲探しけり
赤とんぼ数の増しゆくひかりかな
墓参して研究経過報告す
第186号(平成27年3月号)
学ぶこと恋するに似て小春かな
寒星に藤本安騎生と名付けたる
冬に入る頃の糺の森が好き
寒夕焼運河に沿つて蔵の建ち
漬物は母の手作り冬至粥
焼芋を自分で焼いて食べる会
日記買ふ研究経過書くための
綿虫の迷つてゐるのかもしれず
木の器木のスプーンの葛湯かな
締切を何とか守り去年今年
第187号(平成27年5月号)
北窓開く古書の匂ひのする部屋の
妹のやうな後輩桜餅
雛の間を借りて研究報告会
知識不足経験不足春遅々と
石鹸の香を運び来る春の風
執筆は深夜に進む未開紅
明日からは三月といふ上機嫌
暖かや女にあるといふ母性
困つたら訪ねていくと卒業子
初蝶に託してみたきことのあり
第188号(平成27年7月号)
母の日の相談をする姉妹
顔洗ふことも息抜き薄暑かな
鳥声の山越えてくる花蜜柑
青葉若葉書物に囲まるる暮し
背伸びして本を取り出す夏始
若手研究者の集ひ夏つばめ
夕虹や俳句の二十一世紀
炎天はしづか海荒れゐたれども
さくらんぼならばまだまだ食べられる
七月のランチの冷製スープかな
第189号(平成27年9月号)
一九二〇年築夏館
夏の合宿八畳に六人寝て
学生は失恋故の夏痩と
すぐ傍にゐる人遠き恋蛍
研究室にもあればいいねとハンモック
涼しさや古墳の石室の中の
信号のなき道となり麦の秋
かき氷学生価格のある店の
橡の花一番星を指さして
ゆつくりと想ひは育ち君影草
第190号(平成27年11月号)
一週間の調査実習の日焼
しばらくは空仰ぎゐる昼寝覚
捩花とわかる枯れてはをりたれど
汗の匂ひ煙の匂ひ土の匂ひ
添書きのなき絵葉書の夏見舞
船遊この辺までは難波潟
隅つこの好きな山椒魚が好き
十か二十か三十か蝉の数
青葡萄水が自慢の集落の
磐座に西日の差してゐるところ
第191号(平成28年1月号)
蚯蚓鳴く昔話をしてをれば
爽やかや船の上から見る空は
合宿の起床は六時とろろ飯
露草を踏まずに進むのに苦労
母との時間姉との時間秋惜しむ
水の秋水車の音に歩み止め
味付けは母に委ねて南瓜汁
どんぐりをじつと見つめてゐる時間
夕食は三日連続焼秋刀魚
身に入むや津波体験談を聴き
第192号(平成28年3月号)
北へ北へ北へ北へと冬の旅
雪雨となれり日付の変はる頃
人間も人も喜ぶ冬青空
今日の雪昨日の雪を覆ひけり
北上はしづか雪降る北上は
鬼の面に囲まれてゐる寒さかな
愛らしき鬼面もあれば冬ぬくし
目を閉ぢて海の音聴く日向ぼこ
被災木飾りつけたる聖夜かな
水鳥の水を離るる水飛沫
第193号(平成28年5月号)
散歩してからの朝食春立ちぬ
春めくやドリアに塗す粉チーズ
探梅や三十五人ゐて静か
春の夜の鉛筆が生む詩の言葉
口笛を教へてもらふ春野かな
姉はふらここ妹は滑り台
十人のゼミナール春合宿の
合宿の起床は六時蜆汁
春眠の日の眩しさに目が覚めて
春風に誘はれて弾くピアノかな
第194号(平成28年7月号)
空港に売られてゐたる鯉幟
鳥声に返す口笛麦の秋
船遊ビーズのネックレスをして
初夏の仮説を書き留めるノート
滝道は川を離れず登りゆく
本堂のまはりも荒れて栗の花
水眼鏡魚と会話してみたき
噴水の前解散も集合も
一日は二十四時間明易し
考へながら眠つてしまふ夏布団
第195号(平成28年9月号)
海好きも山好きもゐて夏帽子
教へ子とその婚約者水木咲く
縁側に鳥の来てゐる薄暑かな
滝の音滝に近づく階段の
夏服の証明写真の真顔かな
貴重書のための冷房地下書庫は
学生食堂が主催のビヤガーデン
マネキンの手足の細き白日傘
養殖の魚使はず夏料理
第196号(平成28年11月号)
南座の前の混雑夏夕
鮎料理小振りなれども天然と
箱眼鏡といふ名に惹かれゐたりけり
一服といふ数分間星涼し
よつこいしよといふ感じの蟇
油虫入つてゆける倉庫かな
考へてをり青林檎手にのせて
切り傷は瘡蓋となり夏の果
第197号(平成29年1月号)
爽やかや山頂に吹く口笛は
散歩するための早起き水の秋
月仰ぐ酒を飲まざる者寄りて
白菊や英語に訳す芭蕉の句
名物は蛸の丸茹で島の秋
コスモスが好きといふのも何となく
小鳥来る考へ事をしてをれば
小学校中学校の吊し柿
秋の星見上ぐる髪の乾くまで
身に入むや女に産むといふ役目
第198号(平成29年3月号
狼を恐れてゐたる頃のこと
気分転換といふ名の日向ぼこ
久しぶりに母と出かけて蕪汁
執筆の進まぬことも風邪のせい
冬あたたか心ゆくまで眠りたし
足湯して喋る卒業旅行かな
大根の一本分の明るさよ
忘年会一升瓶の差し入れも
第199号(平成29年5月号)
母強し風邪を引いても怪我しても
遺言のやうな一節未開紅
ご自由にご覧ください雛の間
受付にロボットもゐて長閑なり
俳句あり卒業生の寄せ書きに
強風になれば匂はず梅の花
山からか湖からか春一番
帰宅してまづ弾くピアノ春の昼
マルサス遠しマルクス遠し春の星
病院の朝の混雑水温む
第200号(平成29年7月号)
何もなきことを喜ぶ母の春
木に触れて春確かむる吉野山
午前二時三十分の春炬燵
調査実習の帰りの野に遊ぶ
数へ切れざるおたまじやくしに夢中
靴脱いで靴下脱いで磯遊
雨待つてゐる山畑の花大根
花冷の心懸かりの二つほど
何よりの財産といふ山桜
大胆に活くるのもよし朴の花
第201号(平成29年9月号)
母の日の入院中の母見舞ふ
レース編む母の手術の終はるまで
考へてをり夜濯をしながらも
朝涼の正座崩さず講話聴く
哲学者瀧を見つめてゐる時も
十畳は一人に広し夏の星
沢蟹と区別のつかぬ岩の色
砂日傘本を読んだり喋つたり
汗にじむ背中のリュックサックまで
紫陽花の湖の色海の色
第202号(平成29年11月号)
初秋の研究経過報告会
学長が最初に気づき秋の虹
猛勉強すると言ふ子のひよんの笛
流星と革命といふ言葉かな
講演の同時通訳涼新た
喪服とは重たきものよ秋の風
石段の崩れてゐたる葛の花
境内に舞台設けて村芝居
秋麗ゆつくりと言ふこんにちは
解散の前に集合赤のまま
第203号(平成30年1月号)
古書店のポスターに知る秋祭
秋澄むや一句のための一頁
コスモスのための風かと思ふほど
新米をお腹いつぱい食べる会
身に入むや故人の書物手にとれば
朝寒の自転車置場ごみ置場
貝割菜午前十時の日の差して
ひよんの笛一番うまく吹くの誰
秋の七草と百人一首かな
耳たぶに触るれば秋の寒さかな
第204号(平成30年3月号)
玄関の掛け時計鳴る冬館
思ひ出し笑ひしながら日向ぼこ
尻尾から推測すれば狸かと
梟やリーダーシップとは何か
暦売る書店の前の賑はひは
百人もをれば寂しくなき枯野
二人より三人四人寄席鍋は
ライトアップの雪吊も見るべきと
数分の時間見つけて毛糸編む
第205号(平成30年5月号)
駅前に出れば賑やか雪の果
春の鳥北上川に集まれる
水菜畑私設美術館の裏の
菜の花を咲かせることも町おこし
石鹸玉ピアノの上に消えにけり
五時間の会議終へたる春夕焼
漬物を噛む音愉し春の昼
樹下といふ安らげる場所春日さす
物置の裏側にまで蕗の薹
雨よ降れ真つ直ぐに降れ誓子の忌
第206号(平成30年7月号)
永き日や欠伸はうつるといふ話
海に返す欠けてをらざる桜貝
演奏中断鶯の声がして
誓子忌や炎めがけて雨が降り
雛飾るほか何もなき部屋となり
花衣久女のやうに生きられず
この世とは桜の吹雪くところかな
食欲はいつもよりある春の風邪
母の楽しみ花種を蒔くことも
春障子広すぎるのは落ち着かず
第207号(平成30年9月号)
茉莉花といふ夜更かしを誘ふ花
蛍に近づいて行く息遣ひ
邪魔するなといふ感じなる蟇
紫陽花は雨が嫌ひといふ説も
涼しさを呼ぶ白色のワンピース
別荘の空き家数へて草いきれ
どの道を選ぶにしても草いきれ
調査から戻つて来たる夏帽子
草むしりオープンキャンパス前日の
扇風機しかないといふ合宿所
第208号(平成30年11月号)
夏帽子今は幸せと叫ぶ
内観といふ言葉あり水中花
書籍のために冷房はつけたまま
朝焼や机の上に目を覚まし
蝮の死骸渋滞の原因は
並は養殖上は天然暑気払ひ
タイトルは最後につけて夏蜜柑
書を曝す先生の書き込みのある
泳ぎをり疲れが取れるまでといひ
秋の蝶行方を決めるのは風か
第209号(平成31年1月号)
大学の隣は大河草の花
人混みを避けて駅まで秋日傘
詩心といふ心あり水の秋
流星やマルクス生誕二百年
松茸は一切れだけの茸飯
台風の進路次第のことばかり
秋惜しむ秋の俳句をたんと詠み
譲り合ふ窓から月が見ゆる席
役員は全員胸に赤い羽根
薩摩芋戦争体験記のなかの
第210号(平成31年3月号)
熊野まで足を延ばさう神の留守
こんなにも海が穏やか冬日和
海のもの山のものある薬喰
水鳥の声なのか人の声なのか
眺めよき岩を探して日向ぼこ
寒月やいづれわたしもゐなくなる
水音に抱かれて山も眠りたる
本の山書類の山に師走来る
行列の先頭にゐる冬帽子
本棚から研究室の大掃除
第211号(令和元年5月号)
春炬燵眠くなるまで本を読む
正門といふ春風の吹くところ
切株に荷物を置いて野に遊ぶ
手のひらの真ん中に置く桜貝
哲学の道に似合はず春日傘
俳人に囲まれてゐる落し角
紫雲英とか一輪車とか懐かしや
現地集合大学生の遠足は
佐保姫も幸せも目に見えぬもの
第212号(令和元年7月号)
しやぼん玉遊び石ころ遊びかな
はや十年かまだ十年か水温む
春の眠りはエプロンを着けたまま
戦争を知る人もゐて春惜しむ
和歌集に恋歌多き朧かな
夜のふらここは大人のためにある
大学におたまじやくしがこんなにも
日傘買ふために立ち寄る百貨店
発表も一時中断油虫
見飽きるといふことあらず五月富士
第213号(令和元年9月号)
風薫る暮石ゆかりの町に来て
夏萩や島がいくつも見えてゐて
こんなにも厚く切るのか初鰹
露天風呂から螢の見ゆる宿
右左ともに空席夏帽子
夏蝶が来る青空の向かうから
さくらんぼ女性ばかりの集まりの
休日に同僚と会ふビヤホール
事務室に行けばあるはず蠅叩
第214号(令和元年11月号)
帰国してそのまま仕事明易き
白色に灰色混ぜて瀧描く
鳥声の繁きところに泉あり
消えてゆくまでを見てゐる虹の橋
干からびてゐても蝮と分かるほど
無花果は別の袋に入れて持つ
熊の足跡もろこしのすぐそばに
新涼の医学部看護学部かな
文机にえんぴつ消しゴム烏瓜
終戦日とするか敗戦日とするか
* * *
以下は、特別作品(タイトル付き10句)
特別作品
188号(平成27年7月号)
水中花
しばらくはパジャマで過ごし水中花
新緑や窓にぶつかる雨の音
鳥の名を思ひ出せざる朝曇
器にはこだはる母の夏料理
正座して話を聞いてゐる薄暑
水中は安らげる場所泳ぎけり
遠くから呼ぶ声のする雲の峰
思ひ出すことの輝きさくらんぼ
明日切ることにしてゐる髪洗ふ
明易し論文締切迫りゐて
特別作品
第196号(平成28年11月号)
吉野山
戸も窓も開きたるまま秋灯
秋麗手で川魚摑まへて
山からの風の寄り来る猫じやらし
鶏の声虫の声人の声
秋雨や吉野の宮はこのあたり
献木の桜紅葉と知りてより
千年も前の話を秋の虹
月光や車通れぬ幅となり
鳥獣害対策されて豊の秋
足跡を見て猪とわかるまで
特別作品
第210号(平成31年3月号)
遅き日
いつもより少し無口に雛の間
菜の花の色は元気が出る色と
待たされてゐるのもよろし春日傘
いつのまにかといふ春の眠りかな
暖かや弁当箱の忘れ物
天ぷらは母に任せる蕗の薹
叱らるること懐かしき葱坊主
種を蒔くときの未来の話かな
帰国して食べたきものに蜆汁
遅き日や水はひかりになるものと