1948年に「天狼」(主宰:山口誓子、編集:西東三鬼)を創刊した山口誓子は、その出発に際して以下のように宣言しました。
現下の俳句雑誌に酷烈なる精神乏しく鬱然たる俳壇的権威なきを嘆んずるが故に、それ等欠くるところを「天狼」に備へしめようと思ふ。
「天狼」誕生のきっかけとなったのは、戦後間もない俳壇に激震を与えた桑原武夫の第二芸術論でした。誓子は「座談会 現代俳句の原型」(『俳句研究』1949年6月号)で、以下のように述べています。
「天狼」やるときには、桑原さんの「第二芸術論」がありました。桑原さんは、俳壇は中世の職人組合みたいに親分子分の関係が強く、
の中でだけ通用する俳句を作っていると言われました。いまにして思えば、季題趣味俳句を職人組合的俳句と見られたのかも知れませ
ん。しかし、私たちの俳句は、そんなもんじゃない、ということを言わねばならなかったのです。
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
スケートの紐むすぶ間も逸りつつ
ひとり膝を抱けば秋風また秋風
きりきりと渦巻く殻の蝸牛
やはらかき稚子の昼寝のつづきけり
海に出て木枯帰るところなし
天よりもかがやくものは蝶の翅
波にのり波にのり鵜のさびしさは
舟漕いで海の寒さの中を行く
全長のさだまりて蛇すすむなり
洛中のいづこにゐても祇園囃子
日本がここに集る初詣
滝落ちてゆくみづからを追ひ抜きて
サハリンに太くて薄き虹懸る
『季題別山口誓子全句集』(本阿弥書店 、1998年)から