下村海南(しもむら・かいなん;本名:下村宏(しもむら・ひろし);1875- 1957 )は、官僚を経て大阪朝日新聞社に入社し、専務、副社長を歴任しました。1937年に貴族院議員となって以降も、日本放送協会(NHK)会長、鈴木貫太郎内閣の国務相兼情報局総裁を務めるなど、言論や報道のあり方に影響力をもつ立場にありました。
歌を読む効能、歌を作る効能を折々に説いている海南は、『白雲集』(1934年)で「吾々はよしあしに拘らず、歌を作るといふ気持が欲しい。殊に歌は人間の気の滅入つた時には入りやすい、しかし僕は人間は得意の時にも歌を詠まなければならぬと思ふ、人間にはさうした自省と余裕がなければならぬと信じているから」と述べています。
佐々木信綱門下の歌人として多くの作品を残し、各地に歌碑もあります。
下村海南の歌碑
春寒み野飼の牛も見えなくに潮の岬は雨けむらへり (和歌山県東牟婁郡串本町潮岬)
眼ざむれば松の下草を刈る鎌の音さやに聞ゆ日和なるらし (兵庫県西宮市苦楽園)
切支丹のむかしかたりに耳たつる千人塚の浜木綿の花 (熊本県天草市船之尾町)
このあたり天草学林のあとゝいふあら草にましるコスモスの花 (天草市木戸馬場)
山の秋の水はさやけしとちの実の水底ふかく沈めるが見ゆ (岩手県花巻市湯本)