ほんの累積 平成16年2月
平成16年2月28日
「家郷の訓」 宮本常一 岩波文庫
読んでいて少し苦しい。遥洋子の「(犠牲になった)母親を褒めるな」という言、うなずける。
学校に行かず子守をして、坊ちゃんの通う学校の教室の窓から覗き見てかろうじて「ひらがな」を覚える。
家計を握る夫からこずかいを貰う事もなく、さりとて他の家の妻のように家の作物をこっそり金に換えるようなこともできない、「道徳」を持ち、身を粉にして働き子供を育てた母親。
褒めれば褒めるほど…。
村の八割方の娘は出稼ぎ奉公から帰って、地下の男たちと結婚したという。村のなかのしきたりを心得ることが「よい村人」ということ。なるほど、他の在所から嫁にくるという状況がないから、成り立つことである。
結婚相手が幼馴染であるからこそ、失敗ということがない。システムとしては、合理的。血縁の問題はあるが。
「社会」というものはどこも似たようなシステムになるのかもしれない。どこの国でも、同じ「なかま」のなかで婚姻を繰り返し、それによって財産の拡散を防ぐ。パレスチナ人家族の話もそうだった。女が別の「家系」と結婚するためには、その女の「男従兄弟」の了解を得ねばならない。子供を産む女は「男の財産」。
懐かしさと、哀しみと。寿命が延びて、贅沢ができるようになった分人の思いは薄れていっているとも思える。だからといって、あの時代に生きたいとも思えない。
平成16年2月27日
「人間合格」 井上ひさし
「井上ひさし全芝居」のなかのひとつ
本格的な芝居、見てみたい。
平成16年2月10日
「ブラッド」 倉阪鬼一郎 ?
「溺愛する母、うろたえる父」 北上次郎
印刷関係の仕事をしていた著者の「随筆」の方が面白くて、今度初めて読む。文章、うまい。漢字の使い方も適切。(当然か)雰囲気も、申し分なし。違和感なく、楽しめます。ここまで褒めると不穏かな。
「あの〜、それでどうだったんですか?」
栗本薫の「魔界転生」?のノリ。あとは問わないでくれ。
「父、母」目黒さん、何が言いたいのよと思いつつ読む。「あとがき」で納得行きました。「情痴小説の研究」の方がわたしには適当だとおもいます。どこかでさがしてみます。
平成16年2月9日
「ライオンハート」 恩田 陸
はるかその昔、自分の小遣いで初めて買った「単行本」がロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」だった。
そのころ油絵を描いていて、表紙絵のタッチが好きだという理由だけだった。大当たり、というべきだろう。
なにしろ四半世紀過ぎても、この作品のオマージュが書かれていてしかも佳品揃いときている。
==タイムトラベルものの名作==
ジャック・フィニイ「ゲイルスバーグの春を愛す」「ふりだしに戻る」
リチャード・マシスン「いつかどこかで」
グリムウッド「リプレイ」
北村薫の三部作「リターン」「スキップ」
ハインライン?「夏への扉」
日本人が外国を舞台にしたと聞くだけでどうも食指が動かないのは偏見なのだろうが、今回は自然に読めた。
平成16年2月6日
「ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB」 早川書房
読んでいても大してスキャンダラスでないのは何故?ちゃんと筋が通っているからか。えらく面白いお話だが、これは一体どういう類の人なのかと思う。
読み進むにつれて、わかって来た。これはいわゆる「おとこ」の言い草なのだ。言っていることは「男の論理」である。
「誰が稼いだと思っている」
(ひっつく男はみな文無しの浪費家)
「惚れたものは 仕方がない」
(なにしろ 男前だけは そろっている)
「どちらも愛してる」
(ドア一枚隔てて男二人、女おろおろの図は笑えた)
男の論理で「理想の女」になってしまったら、「聖女」であり同時に「娼婦」とあがめられるのは当然の帰結。男ならば「仕方ないやつ」と言われるだけ。
「気まぐれ」という責め方はあたっていない。十五や二十歳の子供が気まぐれでない方が珍しい。
「人生に疲れた」って、25歳だろうが!!
〜こんな女に、だれがした〜
今度一番目の夫の話を借りてきたので、比較してみましょう。
16歳の未成年を妊娠中絶させた言い訳など、きかせていただけますかね。
平成16年2月4日
「無名」 沢木耕太郎
この人の文章は、何を読んでも不快になることがない。だから安心して読んでいられる。節度をもって、感情に流されることなく、しかも対象にたいして「誠実」であろうとする姿勢を崩すことがない。
親譲りなのかもしれない。
なぜ、あのような「小説」を書いたのか、ということが明かされる。読んだ時は意図を測りかねてすこし悩んだ。ゲーリー・クーパーに似ていたという「伯父さん」見てみたかったなあ。
平成16年2月1日
「シーラス マッテイとであう」 セシル・ボトカー 評論社
県立図書館開館。書棚の配置が変わりました。児童室に座り込んで「シーラス」を読むのはちと気が引けたので、今度児童書の一部がロビーに出されたのはありがたい。待ち合わせの時間待ちで結局一冊読んだ。
眼球のない奇形で生まれたマリアが、いざ妊娠がわかり、ウマガラスに産婆となってなってくれと頼む。
既成の社会からつまはじきにされた者たちが作った「セバスチャンの村」はいろいろな「既成概念」を問い直しつつつくられてゆく。
とても重い話ではあるのだが、こちらを力づけてくれる話でもある。若い頃こんな本を知っていたら、少しは気が楽になれたかもしれない。
本の量が多すぎて借りる本に迷っている。でも5冊も借りれるのでありがたい。
組み合わせというのを考えつつ借りるつもり。