ほんの累積 平成15年11月
平成15年11月29日
「四季 春」森博嗣 講談社
突然図書館にこの人の新刊?が入っていた。
だれがリクエストしたのだろう。ま、それはともかくミステリイの範疇というより「ダニエル・キース」の世界になってしまいつつある。
本質的に自分の興味のある世界にしか行かないお方のようである。べつに文句はありませぬが。でも、あたまのなか見てみたい。
バドミントン一ヶ月振り。さすがに太ももと右腕に影響あり。ひさしぶりにいい汗かけたけれど、むやみやたらと空振りがふえる。
お仲間がひとりぎっくり腰といって欠席。くわばらくわばら。「お酒は腰に悪いで」といってやろうかと思ったが無駄なのでやめる。
おたがい年だねえ。
平成15年11月27日
「夏のレプリカ」森博嗣 講談社
トリック的には納得できるが、なぜそうなったかのフォローがない。美少年もう少し出して欲しかったな。
IT講座でマクロも少し教わったので、少し表を作ってみる。なかなか言うことを聞いてくれないのである。というか、習うと使うは違うわけで。しばらくおたのしみ。「森博嗣のミステリイ工作室」を読みかけている。
何ゆえこの人のミステリイを読んでいると不思議になるのか、すこし納得がゆく。
平成15年11月25日
「キル・ショット」エルモア・レナード
評判のよい エルモア・レナードじつは初見参。なるほど評判だけのことはある。下手な作者だと思考回路がおんなじ人間ばかりの物語だったりするが、今回「人格分裂」の仕方が半端でない。そこの行き違いの潔さが一種の快感だったりする。最後の、「ふつう」であったはずの「主婦」が冷静に、かつぶちきれてしまうのが、なんだか爽快だわな。
「わかってんのか、お前は俺を殺したんだぞ」と言うせりふが、やけにおかしい。
女はタフでなければやってゆけない。
平成15年11月24日
「親愛なるマミー ジョーン・クロフォードの虚像と実像」クリステイーナ・クロフォード 評論社
そのむかし「銀幕のスタア」が神様であった頃神であるスタアの養子となった生活の、天国と地獄。幼児虐待の系譜。「暴露本」のようにみえるが、じつはそうでもない。
虐待される側がこれだけ冷静にこと細かく記述できる能力を備えているというのは稀有に近いのかもしれない。その能力ゆえに恐れられ、しかしそれ故に生き残ることができた。普通ならば潰れている。
虐待を訴えても誰も救えなかった。ソーシャル・ワーカーさえも。今ならば、違うかもしれない。そう思いたい。
しかし、結局「子供を召使として養成し労働させる」ということが容易に起こりうるわけだが、どこまでを「虐待」とするか。そういえば、子供たちを軍隊式に使っていた母親がいたなあと思ったら、「エセル・ジョーン・ジャッキー(ケネデイ家の嫁たち)」のエセル・ケネデイーだった。広い邸宅を金がないのに管理するには、子供の労働力が欠かせなかったのだった。
ううむ。
ジョーン・クロフォードは金欠からというよりも、後にはアルコールによる譫妄状態が異常な行動の原因のようではあったが。ベッドから落ちないように縛り付ける、突然夜中に乱入してきて家財道具を壊しまくる、
というのは幼児にとっては地獄である。よくぞ生き延びた、といってよい。
平成15年11月20日
「灼熱」シャーンドル・マーライ 平野卿子譯 集英社
「自分の介護がやってきた」羽成幸子 春秋社
「灼熱」ゴシックロマンスというやつでしょうか。水村美苗の「本格小説」の味わい=「嵐が丘」ですね。
「介護」なるほどもっとも。「良く死ぬことはよく生きること」の実践か。このごろあまり、よい話をきかない。病気だの、なんだの。徐々に精神状態戻りつつあるが、それやこれやで、まだちと暗い。
明日はITはマクロをかじるというはなし。
平成15年11月19日
「ベツレヘムへの道」アガサ・クリステイー ハヤカワ文庫
アンデルセンの「絵のない絵本」と似て非なる、マリアのお話。他人の嫌いな老女の話はみにつまされる。
その記述たるや心理をえがいて見事。赤木かんこ さんの解説で買う気になったのだ。
「春にして君を遠く離れ」を再読してみたい思いにかられる。
今期企画終了宣言を、関わる人にいたす。企画に参画させてくださった方々に大変感謝している。それにしても「他人の褌で相撲をとる」の典型となった一年であった。
(まだ終わっていないけれど)
そもそもそういうことが嫌いな人間にしてはこの結果は上出来ともいえる。早いこと、そのつけで最悪をたどりつつある体調を戻さねば。一応の予算を消化出来たので、次回企画会議で強く出てみるもいいか.
「父と暮せば」さすがにプロはすごい。約2時間ふたりで途切れることない台詞。マイクなしのはっきりとした発音と活舌。聞きほれてしまう。
メルアドを何回送っても「送信できません」となるらしい。そのつど綴りを間違えている自分もあきれたものだが、「どこも」の文字があるのに「インターネットのアドレスですよね」という相手も相手だ。
5回目にしてあきらめる。良く考えると向こうのアドレスを聞いたが早いのだった。
ま、いいか。
平成15年11月14日
「瀬戸内の被差別部落」
昨日から読んでいる。完了するか否かは不明。「塩の民俗誌」とかいう本の中で語られる、製塩業に携わっていた人々の話がこの本を読んでいると思い出されてくる。すなわち煮沸する燃料のもとになる「山の木」をもつ地主が人々を雇い入れ、塩を作っていったシステムである。雇われる側が絶対に上がれないシステムでもある。
IT講習、一週間たったら習ったことをすっかり忘れているのに気付く。さすがに慌てる。早めに行って復習しておかないと。
平成15年11月13日
「東京大学応援部物語」 最相葉月 集英社
「謎解き少年少女世界の名作」 長山靖生 新潮新書
応援部のみなさん、青春してるねえ。でも、負けに負けてる試合を応援するのは辛い。「世界の名作」はおもしろい。ひねってはあるけれど、ひねくれてはいない。ちゃんとうなづける話である。
著者の性格はもっと面白いかもしれない。
平成15年11月11日
「石の猿」 ジェーフリー・デイーヴアー 文藝春秋
ライム シリーズの邦訳最新刊。集中力が落ちてきたのか、読み込みが難しい。出来はいいのだから問題はこちらにある。
「不肖の孫」夏目房之介
上記の原因のため半分で投げ出す。夏目漱石の長男がヴァイオリニストだったとはしらなんだ。表紙にあるステテコはいてローラースケートはいているおじさんはなんやろかと思ったら、これは母方の祖父だという。
これもまたすさまじい血筋であるか。で、孫が漫画家とは。
幸田露伴とは大違いだが、こちらのほうがプレッシャーなくて幸か。
平成15年11月9日
「当事者主権」 上野千鶴子 中西正司 共著 岩波新書
論点のはっきりした本は読んでいて気持ちがよい。かつ、ためになる。いままで「人に頼ることは悪」と思い込んできた人間にとっては救いではある。そのうち「役立たず」ということになりそうな人間に少し希望をあたえてくれる。
「マトリックス」観てくる。登場人物のキャラクター皆いとおしい。パンフをみたらなるほどキャリアのある名優ばかり。惜しいのは二度とオラクルおばさんの姿を見られぬこと。あの映像と結末が何を示していたのか暫く考えて時間が潰れそうだ。
「コンピュータープログラミング」的思考抜きではすべての物事を理解できなくなったのだなあというきがする。アシモフは遠くになりにけり?
IT講座 集計機能かじるこれで減価償却表ができそう。うれしい。
あと2回である。
貴重なバド講座の時間を潰した甲斐があるようにがんばりましょうかね。
平成15年11月7日
「ゴブリン娘と魔法の杖」 ビアズ・アンソニイ ハヤカワ文庫
寝る前に読んでいると時間がかかる。はや「魔法の国ザンス シリーズ」も15巻とか。谷山浩子の解説がおもしろい。そんなにあったかしらと、考えているが。
「カメレオンの呪文」を初めて読んだときは大して面白い気もしなかった。そのうち「駄洒落」だの「語呂合わせ」の植物・動物わんさかでてきて大うけした。それとは別にテーマはしっかりしていて、ふざけているようでそうではない。諧謔皮肉の先にはしっかりとした「前向きの問いかけ」があってそこが魅力。
「メトリア」のキャラクター、好き。さいごに決まって不機嫌に「どうでもいい」というのが大笑い。
今晩は、IT講習。わかるかいなあ。
平成15年11月6日
「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」井上ひさし ほか 新潮文庫
今年のフェスタは展示が充実町内いろいろなことをしている人がいるものだ。ばたばたしていたものでミニコンサートを見ずにいたのだが、ジャズのカルテット?で凄く良かったらしい。行けばよかった、残念。
片付けの時展示物のひとつについて「これはねえ」と解説してくださる「おばさま」あり。芋代官の石碑の字をその方のおじいさんが彫られたそうな。時代的には合いにくいのだが、納得できる理由があるはずである。
おおくの人にみていただいたら何処かでつながってゆくものだ、と感心する。
「この ”神託” というのはどういう意味でしょう」と聞かれて返答によわる。
いかに物を知らないものか。
こういうところでしっかりボロが出る。
平成15年11月5日
「演劇ノート」井上ひさし
中学校文化祭見に行く。生徒の演奏するバンドみていて脂汗がでてくる。作品展示、先生方も毎年あり。といっても新作はほとんどなく、往年の作品多し。新任の先生もいるのですこし新鮮。もうすこし内容に「勢い」が欲しいのだが、無理な要求だろうか。
マトリックス・リボルーション上映開始!!
わおう!!
平成15年11月4日
「父と暮らせば」井上ひさし 新潮文庫
メテオプラザ(知らない人は調べてみて)で上演という。お勧め文を「楽しい」だの「笑える」だのと書いて印刷にまわした後で再読し滂沱の涙におそわれる。そりゃあ詐欺じゃあないか、というきもしたが解説に「哄笑」などと出ているのだから、いいんだ。きっと。問題は演出である。人を騙してでも連れてきたいような芝居なのだし。後悔させない自信あり。騙される方もこの場合問題がある。
心身ともに原爆の後遺症に悩む娘の話ときっかり説明がある。手放しで笑い転げられると期待する奴のほうが無知といわれても仕方ない。でも、傑作です。いつもながら、井上ひさしというひとの本には「まいった」と言わされる。
企画がひとつボツになったのに連絡がなくて、知った時一瞬逆上する。一番言いやすい人に噛み付きかけてしまったが、やはりそれは逆恨み」というもの。(にっきい、ごめん。)
問題は別にある。すなわち指揮系統が整備されていなかったこと。今更責任追及しない。多分お互いに少しづつ不備があったのだと思う。自分としては実はほっとしていたりする。
もう夜中うなされずに済みそうだ。安楽、安楽。