ほんの累積 平成23年5月

平成23年5月24日

「オッペンハイマー」原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか 中沢志保 中公新書1256ISBN:4-12-101256-9 C1242

「原子力の父フェルミの生涯」 ローラ・フェルミ 法政大学出版局 昭和30年 ISBN:

「ハタラクオトメ」 桂望実 幻冬舎 ISBN:978-4-344-01966-9 C0093

「ひまわり事件」 荻原浩 文芸春秋 ISBN:978-4-16-328640-2 C0093

「オジいサン」 京極夏彦 中央公論新社 ISBN:978-4-12-004209-6 C0093

「サム・ホーソーンの事件簿」1 エドワード・D・ホック 創元推理文庫 ISBN:4-488-20102-4 C0197

「サム・ホーソーンの事件簿」2 エドワード・D・ホック 創元推理文庫 ISBN:4-488-20104-0 C0197

オッペンハイマーの伝記の方を選ぶべきであったようである。流石にロスアラモス所長時代から戦後の水爆開発への流れを新書の薄さで解説したら、表題すなわち主人公であるはずのオッペンハイマー自身のことについての記述が少なくなってしまうという事態になる。

何が主題なのか掴むための自分の集中力が尽きてしまった。残念、中途半端にして断念。

フェルミについては、これは夫人による伝記(というかその時点でまだ死亡、完結していない)

当時の時代背景、この人の祖国であるイタリアがムッソリーニによってファシズムの渦中となる過程も描いている。ノーベル賞授賞式を理由に出国し米国へ落ち着いたといういきさつも興味深し。

ナチスドイツと手を組んでいたムッソリーニの政治状況では、ユダヤ系軍人?の家庭に育ったローラ夫人は迫害対象であったのだ。

当時の若き物理学者たちにとって国境は有って無きが如し、というか相互に留学などしていたのでナチスが勢力を極めつつあった西欧のなかで留学や大学就職を理由に故国を脱出しようとした若者たちが大勢いたことがよくわかる。フェルミやボーアは既に大御所ではあったのだが。

かれらが結局米国へと逃れ、マンハッタン計画の主力として雇用され原爆開発推進の最先端を担う流れとなる。

今回何冊か読んでかすかにでは有るがその大まかなところを初めて認識出来た。昔読みあさっていたころは違う視点で読んでいたわけだ。(例えば「エノラ・ゲイ」とか)

「ハタラクオトメ」

もと中小企業の事務員やっていたせいか、身につまされること有りすぎてあまり楽しめず。が、やはりこの作品がそれでも「明るい」のは、主人公のキャラクターつくりが大成功だったからだろう。 ちょっと、否自虐を逆手にとって、という感じでは有りますが。

自分は醒めた事務員だったので、ここまで素直にはおじさん方に同情はいたしません、はい。

「ひまわり事件」

はじめは荻原版「クレヨンしんちゃん」かと思って、一旦中断。ふとひらいた「いんたあーましゅまろ」に吹き出して再挑戦。なんだこりゃあ!気がついたら、つかこうへいの「飛竜伝」?になってしまっていた。さすが、荻原浩。笑って泣かせてしんみりさせて又笑かす。お見事。

「オジいサン」

これこそわからぬ京極夏彦。延々と独白。いったい何処へたどり着くのか皆目分からず。そうか、これは「落語」だったのか。と、意味不明の事をつぶやき。さあご自分でご確認あれ。

途中頭の中が混乱したのは、「ひまわり事件」とこの「オジいサン」どっちも主人公の名字が「益子」だったため。どっちも爺さんが頭の中で自問自答を当分繰り返しているし。変な偶然だった。作家のあいだで流行っているのだろうか?

サム・ホーソーンようやくみつける。

平成23年5月13日

「石の血脈」 半村良 ハヤカワ文庫JA23 197

「何と少ししか覚えていないことだろう」原子と戦争の時代を生きて オットー・フリッシュ 吉岡書店ISBN:4-8427-0312-1 C1042

昭和の匂いのする本格派SF。検索したら「伝奇小説」とあったけれども、なあるほどここから京極夏彦という作家への流れも感じられる。それにしても古びていないところがすごい。

西村寿行読んで懲りてしまった自分なので「伝奇」と気付いていたら多分読まなかったわけであるが、どうも頭の中で「眉村卓」とごっちゃになっており、どちらかというとジュニア向けのSFファンタジイと思い込んでいて、読み出してのけぞった。濡れ場の連続なんだもの。こんなもの純情な青少年(んなもの居るのか?)には読ませられない。

で、濡れ場をすっとばしたがそれでも本当に面白かった。いやあ、名作です。いちどは読んでみたいSF?のひとつ。日本人でこの時代にこんなすごいの書いていた人が居たのかと感動。

手に入れたのは筋金入りの古本屋で、ISBNなぞなかった時代の昭和50年刊行で絶版ものでしたが検索してみると角川書店で復刻している様子です。そりゃそうだわな。これほどの作品だもの。

「何と少ししか覚えていないことだろう」

まさに現在の自分も同じ感慨をもつわけでありますが。さてこの自伝の著者は実験物理学者で、核分裂関係の理論を実証しうる計器ほかを自作し実験すると言うタイプのひと。

その過程で核融合核分裂をつかって原子爆弾を製造しうるということに気付き、結局米国のロスアラモスにたどりつく。

そして第一回核爆弾の実験の成果をその眼で見届けている。

ナチスドイツの人種迫害によって当時第一級の科学者医学者が続々とアメリカへと移住していたが、彼もその一人。

ファイマン自伝なんかを読んでいて、このひとたちの語りには妙に突き抜けたような「あかるさ」を感じてしまい何故だろうと言う気がしていたのだが。今回ちょっと判ったような気がする。

当時の人々は「死と隣あわせに生きていた」。日常的な空襲、抗生物質のない時代故に結核は致命的、X線が発見されたばかりで、細菌感染も明らかになっていないような時代。

いつ爆弾が落ちて来るかもわからない。ユダヤ系はいつ絶滅収容所い送られるかもわからない。物理が好きで学問が好きで、しかし明日生きている保証も住む国も亡い若者たちが頭脳だけを頼りに理論を極め「神の火」を自分の手で作り出した。その「創造の喜び」はなによりも大切なもので、それによって起ったもろもろのことはやっぱり別の次元のことだったかもしれないと。

明日生きている保証のない時代に産まれた人々に、百年後十年後の先の世界を見通す余裕があるか。

当時の若者たちに「目の前の焼夷弾と原爆とどう違う。戦争とはそういうものだ」と言われたとしたら、現在自分はなんと答えたらいいのかと迷うかもしれぬ。

平成23年5月5日

「ハーモニー」 伊藤計劃 早川書房 ISBN:978-4-15-208992-2 C0093

「泥棒は図書室で推理する」泥棒バーニイシリーズ ローレンス・ブロック 早川書房 ISBN:4-15-001692-5 C0297

「泥棒は深夜に徘徊する」泥棒バーニイシリーズ ローレンス・ブロック 早川書房 ISBN:978-4-15-001802-3 C0297

「伏」(ふせ)贋作・里見八犬伝 桜庭一樹 文芸春秋 ISBN:978-4-16-329760-6 C0093

「女縁」を生きた女たち 上野千鶴子編 岩波現代文庫 社会171 ISBN:978-4-00-603171-8 C0136

たしかにフィリップ・K・デイック賞を獲る為に書かれたような作品。まさにデイックの世界であります。

ちょこっとアトウッド的な雰囲気もあるのですがそこまで重さは感じられない文章。SFはIFの世界でもあるけれど現実にはそれが許されない、そこが口惜しい作者の余りに早すぎる死。

ローレンス・ブロックは初めてなのだっけ?アンソロジーはしっかり読んでいる癖にこの自分。

泥棒シリーズというのはこんなのだったのかと、とりあえず二冊。女相棒がレズビアンという非常に調子の良い設定でありまして、おかげで自責の念無く毎回違う美女とよろしくやれる泥棒君。

いいのかそれでと言いたいが、ベッドシーンはあっさりした描写なので助かる。

でもとりたてて読まねばならないようなものではなさそうなのでこのシリーズを読むのは多分これで終わり。

桜庭一樹を読んでいると、その昔初めて近所の市立図書館分室(小さな公民館の一室だった)に放り込まれてわけもわからず活字をガッツいていた幼い頃の「わくわく感」が蘇って来る。すごく不思議である。

南総里見八犬伝ですか、知っておりますよ。NHKの辻村ジュサブローの人形が活躍したドラマほとんど欠かさず見ておりましたので。「玉梓(たまずさ)が怨霊〜」というのが流行りましたっけ。

テレビで見ていても怖かったあの人形たち。

題名の通り「贋作」ではありますが、もうわくわくどきどきの桜庭一樹ワールド!面白し!

先日宮台氏と東氏でしたっけ、「おひとりさまの老後」をひゃかしておられたのにムッとしたせいでもないですが。「女縁が世の中を変える」という著書(1988年刊行)に「その後の20年」をつけた増補版というのを見つけましたので再読兼ねて読んでみた。

読めば読む程納得する。この本の延長に「おひとりさまの老後」があるということで、やはり納得できるのだけれど、両氏何故あのような言い方をしたのだろうと不可解。

やはり不愉快だった。このお二人判っているつもりなのだろうが、根本的に判ってないんだとしみじみ思った。まあいいや、判る筈もなし「男」として育った上流階級に。

キャロライン・グレアムの「空白の一章」というのを読み出して50ページ。事が始まるまでに既に登場人物把握できずわけわからなくなる。殺されそうな人が出て来たがやっぱりこれは殺人事件の話?

副題が「バーナビー主任警部」とあるからまだ主人公は出て来ないのか?

これは読み続けられるのだろうか?登場人物の区別がつけばどうにかなるとは思うけど、はて。

名探偵コナン「空白の15分」見た。さすがちゃんと盛り上げどころを心得た展開。

が彼等永遠に「小学1年生」なんだと思ったら気の毒になってきた。隣の席に40代くらいと20代くらいの冴えない格好の母娘が「やっぱりコナンは劇場で見なくちゃあね」といいながら座っていた。

一緒に来る相手がおらんのか娘よと言いたかったが、我が身は50代のおばさんシングル。そっちはいいのか、と反論来そうだわい。