これは簡単に言うと
「行為の結果に執着しない」
ということです。
「ひとまかせにする」とか、
「自分でやらない」とか、
よく
“自分の努力を怠る”
というような意味で使われることがあります。
でも本当は
「他力=他人の力」
ではありません。
純粋に
「他力=自分のチカラが及ばない」
ということです。
そもそも
「他力」は何なのか。
どういうところで使うのか。
まず、
この世に生まれ出たこと自体が
「他力」です。
自らのチカラだけで
受肉することは不可能ですので。
さらに、その自分は
他者の命の上に「生かされている」
ということもそうです。
(もちろん食べずに生きられる人もいますし、
そもそも人間は食料で生きているわけではないですが、
地球上の理屈では説明が少々難しくなので
ここは端折ります)
「生かされている」という時点で
そもそも100%自力ではないです。
自力=自分ができる最大のこと
他力=自分が出来る限りの行為以外のすべての状況
またはその結果
人は往々にして「結果」を望みますが、
それがそう思うとおりにいかない、
ということは
ほとんどの人は経験があると思います。
つまり、
「絶対こうなってやろう!」と
自力の部分を頑張ったとして、
おこった結果が想像と違うことになった。
それが「他力」です。
「本来望むところ=本望」
つまり、宇宙がはからった本願です。
例文。
「死にもの狂いで勉強した司法試験が終わった。
まったく悔いはなくスッキリしている。
生まれて初めてのような爽快感。
落ちようが受かろうが、そんなことはもうどうでもいいや。
あとは他力本願だ。」
と、いった感じ。
「自力」を悔いなく使ったので
後悔がまったくない状態。
空っぽでスッキリ爽快です。
「あとは野となれ山となれ」
的な投げやりな気分とはまた少し違いますが、
いずれにしても、
「私ができることはすべてやった」
という状況です。
似たようなところでは、
「人事を尽くして天命を待つ」
といったところでしょうか。