人は、自分が思いたいとおりに、
また自分が評価したいとおりに
他を評価したり
批判したり
判断したりする生きものです。
どんなに気張って
意気込んでみても、
周囲の人たち全てに対して
「こう思ってもらいたい自分」
をつくり上げることは
ほぼ不可能です。
人の価値基準は
完全に「その人の独断と偏見」
のもとにあります。
こちらがいくら
「このように思ってもらいたい人」
を作り上げたとしても、
それを見る側は必ずしも
「そのように」は見てはくれません。
人の考えは、個人の主観です。
その人だけが、自分の考えを
寸分の狂いもなくパーフェクトに理解しています。
その人の考えというのは、
その本人にしかコントロールできないものです。
他人はいっさい
さわることができません。
でも人間というのは悲しいかな、
「他人の主観」をいじろうとします。
「こんなふうに思ってもらいたい!」
という欲を持ちます。
自分が希望するとおりの評価を
周囲からも得ようとして、
自己を演出します。
周囲の評価や期待にこたえようと
演技をしたり飾ってみたりと、
自然体で存在していないので
どんどん疲れていきます。
かと言って、
疲れることが悪いわけではありません。
人は
その「疲れること」自体が
楽しかったりします。
なので、
「他人の評価」に疲れた人だけが
それにふりまわされない生き方を探せばいいだけです。
「他人の評価に関心が無い」
「人がどう思うかが気にならない」
という生き方は、
大変効率がよいです。
なぜなら、
「他人が下す評価」は
どのみち思い通りにならないので、
それを気にし続けることは時間の無駄です。
ですので、
時間を浪費したくない方は、
「評価」を気にしないこと。
ではどうすれば気にならなくなるか。
まずは、時間があったら「感謝」をしてみてください。
何でもいいです。
「感謝をするということ」
これは
「執着」や「こだわり」を手放せる
ひとつの道でもあります。
なぜかというと。
感謝ができる=充足感がある
からです。
感謝は、満足の上に成り立っています。
「まだ満足していないから感謝できない!」
と思う方もいるでしょう。
でも宇宙には本来時空はありません。
順番なんて、そもそも無いです。
それをふまえたうえで、
「感謝をしている状況」を先に作る。
すると、感謝したくなる満足がやってくるのです。
さらに、
感謝をしていると
おもしろいことが起こります。
それは
感謝している
↓
充足感がある
↓
満足しているので手放せる
↓
他人が下す評価も手放す
↓
いろいろ気にしなくなる
↓
気にしないので
他人が下す評価の中から
「自分の納得がいく評価」を見つけだして
自分の思い通りに解釈する
結論。
他人がどのように評価しても
自分の好き勝手に解釈できるようになるので、
結果的に
「他人の評価をコントロールできる」
ということにつながってしまうのです。
・・・・・・といっても、
その段階まで行っていればすでに
「他人の評価について思いわずらう」
ということ自体がなくなっていますけどね。
つまり、すでに
「結果を気にすることはない境地」
になっているので、
「他人の評価をコントロールすること」自体に興味がない、
人の評価に関心がない、
ということになっています。
そこまでいけば
人生はさぞ
生きやすいものとなっていることでしょう。