精神的な修行をすると
「どんなことにも感情が動かされなくなる」
と思われがちです。
さらに、
「そんなのは人間としてつまらないと思う!」
とまで飛躍することもありがち。
でも実はそれ、全くの誤解でして。
どんな修行を積もうとも、
人間である限り「感情」はあります。
むしろ、精神的な修養を積むほど
感情が豊かになります。
なぜか。
修行をつんていることにより
意識が精妙になっているので、
どんな小さな「感情」の動きにも
敏感に気がつくからです。
一見なんの感情もなさそうな場面でも、
しっかり
「感情」として認識できるのです。
さらには、そんな
「小さな感情」の存在が自覚できているので、
いつでも刺激的に
「感情」を楽しめる状態なのです。
「感情」発生のしくみや
その動き、性質を知らずに、
感情を「ただ起こるもの」として
無自覚に反応していると、
感情に振り回されるだけになります。
これは
「感情」=「私」だと思ってしまっている状態です。
「感情」も物理的なものです。
目視ができないだけで、
実際には観測できる物質です。
物質というか、「現象」です。
「波」のようなものでしょうか。
「波」は現象ですが、
「無い」わけではありません。
ある物質が起こす現象として
人が認識できるほどに
ハッキリと存在しています。
感情も、この「波」のような性質のものです。
形を変えながら動き回る現象なので、
放っておけば消えていきます。
精神が鍛えられてゆるがなくなるということ。
それは、
「感情が「波」だと知っていること」
「水面ではないところから「波」を見ていること」
というだけです。
一方で、
感情に振り回されているということ。
それは、
「波の渦中で「波」と一体になってもがいている」
ということです。
この「感情」が「波」であることを知るためには、
自身の感覚とちゃんと向き合うことです。
まずは
粗い物質の固体である
カラダが発する声が聞けるようになる。
そうすると徐々に、
もっと精妙な物質である
ココロの声が聞こえるようになります。
自分の意志で「動かそう」
と思って動かせるはずのカラダですら
まともに扱えないのですから、
意志で動かせないココロとなったら
もっと難しいのだということは
火を見るよりも明らかです。
いわゆる「精神的な修行」により
感情の動きに巻き込まれなくなることを、
「感情をコントロールできる」といいます。
これは決して、
「感情がなくなる」
ということではないのです。
なので、
ぜひ安心して
「精神修行」をしてください。