「諸行無常」という言葉。
有名なので、
この言葉の意味は
ほとんどの方が知っていると思います。
ひとことで言うと、
「すべてのものは変化する」ということ。
諸…もろもろの。さまざまな。すべての。
行…おこない。所作。造作。現象。
無…ない。なし。
常…つね。一定。
この地球上で
私が物質として認識できる範囲のものうちで
「変化しないもの」はありません。
カタチがあるものはすべて、
それを構成している成分
(粒子とか原子とか分子とか)がうごめきながら、
その「形」をつくりあげています。
目視はできませんが。
たとえば、
物質としてのカタチがないようにみえる
「空気」を思い出してみます。
空気は
「とどまっていない物質」の
わかりやすい代表です。
空気は
いま目には見えていないけれど
ちょっとでも圧力を加えたり
温度や湿度を変えたりするだけで
簡単に
その存在に気がつけます。
いまいちピンと来なければ、
自分の呼吸を思い出します。
呼吸をしていない人間はいませんから、
呼吸を思い出しさえすれば、
自分の肉体という「目に見える物質」を使って、
空気という「目に見えない物質」を
うまく感じられることでしょう。
話を戻しますが、
この地球上で、
私たちが認識できるもののうちで
変化しないものはありません。
形あるものは壊れます。
でも、この「壊れる」だと
解釈が一方的になってしまうので、
もう少し相互的なニュアンスを用いて、
ここは
「変化」として見ていきたいと思います。
「割れた花瓶」は
“壊れた” のではありません。
“形が変わった” だけです。
「花瓶」はモノではなく、
「現象」です。
土やガラスという素材によって
「花瓶」という現象が作られていました。
割れて粉々になった花瓶は
その状態を「花瓶」とは呼びません。
人間もそれと同じ感じ。
宇宙の成分(粒子、原子、分子・・・)によって
今は「私」という現象として“在る”だけ。
それは常にうごめき
流れ続け
変化し続けています。
世の中ではその変化を
「老化」とか
「衰退」とか
「死」などと命名し、
その変化がいかにも
悪いことであるかのように表現しています。
本当はすべての人が、
「変化することほど自然なことはない」
と、知っています。
季節によってうつり変わる風景を
人々は「美しい」と思います。
子供の成長を
人々は喜びます。
「変わる」ことは自然であり
変わらないことが不自然であることは、
実際には地球人の誰もが
当たり前のように受け入れている現象です。