「屠殺場の壁がガラス張りだったら、人々はみな、ベジタリアンになるでしょう。」
と、ポール・マッカートニーは言っています。
おいしいおいしい、といって食べている牛や豚や鳥。 その手で殺せますか。
すでに死んでいる動物をさばく程度の話ではありません。
狩った動物を、その血を一滴たりとも地面に流さずさばき、この身に変えさせていただくことに感謝しながら無駄なく活用することができますか。
肉食動物を非難はできません。
かれらは、自分で食べる分だけを、自分たちで狩るからです。
他人に殺してさばいてもらった肉を、いいところだけ、いわゆるおいしいところだけを取って捨ててしまうのは、「人間様」意識があるからでしょう。
動物は、人間に食べられるために生きているわけではありません。
人間が生きるために、仕方なく動物をいただかなくてはならないのが順番です。
すべての動物は、生きる喜びを全身で感じるために、存在しているのです。
そうしながら、地球上のエネルギーのバランスを取っているのです。
自分が生きるために食べるのだったら、自分が殺せなくてはいけません。
技術の問題ではなくて、気持ち、倫理観の問題です。
ほとんどの人が、「自分で殺さなければならないのなら、食べたくない」はずではないでしょうか。
つまり、「そこまでして食べたくない」のです。(例外の方もいるでしょうが・・・)
その意識が本当なのです。
にもかかわらず、その意識の声が、マヒした味覚とエネルギーの枯渇に負けてしまうのです。
自分で絞めてさばけるものをいただくことが、精神衛生的にも良いでしょう。
心が病んだり、落ち込んだり、興奮したり、怒りやすかったり、、、精神的に疲れやすい方は、まずは食事から見直してみると良いかもしれません。